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1:対峙

  1:対峙



「これは、ようこそおいで下された。 名高き聖騎士の御尊顔を拝し奉るは、この身に余る光栄。 恐悦至極に存じます。 私は、キトナ大神殿より大神官の名を与えられております、オリ=オナと申す者」


 オリ=オナは、慇懃な言葉でラスターを迎えた。 外套を剥がれ、後手に手の自由を奪われたラスターは、老人に一瞥もしなかった。


 御座の間でも諸賢の間でもない、大神殿最下層にある地下大堂。 一切の装飾を排した、ただひたすらに巨大な空間だった。 青みがかった黒の、磨き上げられた艶やかな石床は、水鏡の如く、そこに立つ者の姿を映していた。

 静謐なこの空間には、オリ=オナの持つ手燭の炎以外、全く光はなかった。


「アラスター=リージェス=シン=エラノール殿。 〈方円の騎士団〉最古参の騎士であり、八人しかおらぬ〈聖騎士〉の一人。 そして何より――エランの血を護る〈聖血の器(エラノール)〉。 その身の内に流れるは、神エランの聖血そのもの。 ――真に、貴い身だ」


 老人は、深く皺の刻まれた顔に、笑みを浮かべた。 長い白髪と白髯に覆われた顔は、厳つく、その目は異様なまでに鋭かった。

 若かりし頃は、さぞ周囲に威圧感を与えたであろう大柄な身体は、年老いた現在でも真っ直ぐと伸び、衰えを知らぬようだった。


「実に、麗しいですな。 流石はエランを映したといわれる御姿だ。 いや。 その黄金の髪に天青の瞳は、陽の神ソルギムを映したと、例えるべきですかな。 何れにせよ、神の姿、神の血――。 老いぬ身体、衰えぬ意志。 貴方が、我らが悲願のため御助力下されば、確実なる結果を、(もたら)せましょうな」


 オリ=オナは、ラスターの姿を睨めつけるように見た。 だがラスターは、闇に隠れ見えはせぬ、遥か先の壁面に視線を向けたまま、微動だにしなかった。

 背後には、ラスターをこの場まで伴ってきたレセルと、神官トマの姿があった。


「年が明けましたら、いよいよ〈大祭〉の年。 新しい〈斎王〉が立てられる、八年に一度の重要な年となりまする。 至高の神の声を聴き、大陸全土にその言葉を伝える巫子の長〈斎王〉。 エランが、我等人間の前に姿を現さなくなった今、エランの声を聴くことが出来る〈斎王〉は、エランの仮の姿ともいえる、神聖なる存在。 ――聞く所によると、貴方はかつて、その役を務められたことが、幾度かおありだとか――」


 オリ=オナは一旦言葉を切ると、しばらくの間を置いて、再び言葉を続けた。


「先の〈大祭〉では、北方のシス=イリア大神殿が、〈斎王〉候補となる適格者〈器の巫子〉を、立てる順でございましたが、北に適格者が見つからず、現在はティルナの大神官が、慣例に則り、〈斎王〉の代役を兼ね務めておられる。 そして此度は、このキトナ大神殿が、〈器の巫子〉を立てる順となっております」


 ラスターの表情に、何の変化もないことを見ると、オリ=オナは薄く笑い、声を一段低め、言葉を続けた。


「貴方もよく、ご存知であろうが、〈斎王〉となれば、八年間、何人とも会う事は許されず、深殿に一人籠もり、〈精霊王〉に、ひたすら祈り捧げ、その声を聴くだけの日々を強いられる。 選ばれた〈器の巫子〉、その家族は、別れを余儀なくされる。 しかも、選ばれるのは、往々、子供が多い。 幼き子供を親から引き離すは、我等とて忍びなきこと――」


 オリ=オナは、一歩ラスターに近付き、その白い顔に手燭の光を当てた。


「――神エランは、様々な物に〈聖血〉を与えることで器を創り、息を吹き込むことで、新しき命を生み出したと、聖典には記されておりまする。 時にはその〈血〉で、死者をも生き返らせた――とも。 そして、その御業は、〈聖血の器(エラノール)〉である貴方に――受け継がれていると、"我等"は伝え聞いております」


 彼方を見ていたラスターの青の瞳に、光が宿ったのを見て、オリ=オナは更にゆっくりと、言葉を続けた。


「我等が選びし適格者は二名。 内一名は、未だ幼さの残る子供。 いま一名は、身寄りもなく、〈巫子〉となるに、何の(しがらみ)もございませぬが、哀れかな、病が為に身体が朽ち、自由に動く事が出来ぬのでございます」


 手燭の炎が揺らめき、僅かに、ラスターの瞳が揺れた。 


「我等は、この病の者を〈器の巫子〉として立てたい。 しかし、この者を立てるためには、病を癒し、朽ちた器を甦らせるか、または、新しき器にその魂を移し宿らせるか、でございます。 貴方の御助力を頂ければ、その何れとて、可能でございましょう。 ――もしくは、貴方自身が立って下されば、最善、とも存じまするが――如何ですか? 一考の余地は、ございませぬかな?」


 オリ=オナは、ラスターを見据えながら、言葉を言い終えた。

 ラスターは尚も動かず、闇を見つめ続けていたが、瞼を閉じ、ゆるりと開くと、老人の顔に視線を移し、初めて口を開いた。


「――問うからには、私の意思を尊重する心積もりがある、ということか?」


「無理強いはしたくございませぬゆえ。 御身は貴い。 更に申せば、無理強いをし、御身に瑕をつけるなど――私には、出来かねますからな」


 悠然と笑うオリ=オナに、ラスターもまた微笑み応えた。 それは、研ぎ澄まされた刃の如く、冴え冴えとした、冷たい笑みだった。


「――よかろう」


 ラスターの返答に、オリ=オナは満足げに頷き、トマを見遣った。 トマは、オリ=オナに一礼すると、ラスターの横へ進み出た。


「それでは――」


「私も――そなたに時間を、与えよう」


 トマの言葉を遮るように、ラスターは言葉を口にした。 トマは、口に仕掛けた言葉を飲み込み、オリ=オナの顔を伺った。

 オリ=オナは、無表情にラスターの顔を見つめていたが、眼光が、鋭さを増していた。


「私に、与え下さる時間とは、さて、何が為の時間でしょうや?」


 ラスターは、オリ=オナの問いに答えず、ただ薄く笑むと、横で呆然と立つ小男に視線を移した。


「言葉を遮り、失礼をした」


 トマは、突然自分に向けられた青の瞳に、どう対峙してよいか分からず、オリ=オナの顔をちらと盗み見た。

 オリ=オナは、一呼吸の間を置いて、ゆるりと口を開いた。


「この大堂の先棟に、手狭ではありますが室を用意させております。 その者が、案内いたしますゆえ、何ぞありましたら、その者にお尋ね下され。 ――トマ」


 硬直したように立っていたトマは、オリ=オナの呼びかけに、慌てて頭を下げると、ラスターの前へ、腰を折り進み出た。

 手で進むべき方向を指し示すと、ラスターの先に立ち、無言のまま歩きはじめた。

 ラスターはすれ違いざま、レセルを一瞥すると、トマに誘われるままに、闇の中へと消えていった。



 大堂には、オリ=オナとレセルだけが残った。 沈黙が、長く続いた。


「――あの者が与えると言った"時間"に、何か、心当たりがおありか?」


 沈黙を破ったレセルの問いに、オリ=オナは低い笑いを漏らした。


「さて――。 人外の者の考えなど、我には思いもよらぬもの。 見当も付かぬな」


「この先、如何なさるおつもりです」


「それは、あの者の出方次第――」


 オリ=オナは低い笑いを漏らすと、レセルの血の滲む肩に視線を向けた。


「またも、あの者に敵わなかったと見得るな――レセル」


 ラスターに負わされた傷からの出血は、今は止まっていた。 レセルは何も言わず、大神官と呼ばれる老人の顔に視線を向けた。

 かつては師と仰いだ、騎士であった男の老いた顔に、あの頃の面影はなかった。

 オリ=オナは、視線を指のオスティルに移すと、低く、抑揚のない言葉を大堂の闇に向け発した。


「小者が、ここへ何用あって参った――」


 レセルも気配を感じ、闇に視線を向けた。

 闇中には、赤い二つの光が揺らめいていた。


「だ、旦那ぁ。 妙なガキが現れたんでぇさぁ――」


     ***


「少しは我慢なさいよっ!」


 アルは、まるで積年の恨みを晴らすかのように、渾身の力を込め、カラの左肩の傷に裂いた布を巻いた。

 アルの手際は大層よく、治療はごく短い時間で終わったのだろうが、そのやり方が手荒いので、カラは傷を確かめられるにしろ、水で傷口を洗われるにしろ、薬を塗りこまれるにしろ、痛くて痛くて、いちいち悲鳴をあげずにはいられなかった。


「だって、痛いものは痛いんだよ。 もう少しそっとやってくれたっていいじゃないか。 これなら自分で息吹きかけて治した方が、よっぽどマシだよっ」


 カラは、いまだに輝きを失わないオスティルの光で、アルの手元を照らしながら、涙目で不満を訴えた。


「そんな幼稚な方法で治る傷なら、あたしだって手を出しはしないわよ。 息吹きかけて治る? 馬っ鹿じゃないのっ」 


「治るもんは治るんだ――つっ、痛いよっ」


「だから、これくらい我慢なさいっ。 あんたの好きな昔語りの英雄達は、この程度の傷でひぃひぃ言いやしないわよ。 英雄好きなら、そういった我慢強さも見習いなさいよ。 ほらっ、これで終わりよっ」


 カラの左頬の傷に、力強く、軟膏を塗り終えると、アルは雑嚢から出した膏薬入れや布の残りを戻し始めた。

 手際よく、荷物を詰め直しているアルの手元を見ていると、左手に大きな擦り傷ができ、血が滲んでいた。

 カラは短剣を地に突き刺すと、作業途中のアルの手を取った。


「な、何するのよっ」


 アルは目を大きくしてカラを睨んだ。


「だ、だって、血が出てるよ。 これ、さっきオレが突き飛ばした時に怪我したんだろう?  あ、肘も血が滲んでるっ。 手当てしなきゃ。 薬っ。 さっきの薬、もう鞄に入れちゃったの?」


 慌てるカラをよそに、アルは呆れた声をあげた。


「何騒いでんのよ。 この程度、薬の必要なんてないわ。 それこそ、舐めて息でも吹きかけとけば治る程度よ」


「でも、血が出てるし、痛いんじゃないの?」


「そりゃ、ちょっとヒリヒリするけど、本人がいいって言ってるんだからいいのよ。 この程度でいちいち薬を使ってたら、もったいないじゃない」


 アルの言葉を聞いた途端、カラはアルの手にふーっと、息を吹きかけた。

 思いもかけないカラの行動に、アルは驚き、カラの手を振り払おうとしたが、カラの手はしっかりとアルの手を掴み、振り払う事は出来なかった。


「な、何すんのよっ。 放しなさいよっ」


「だって、アルが薬塗らないって言うから。 こうしたら、少しは良くなると思って――」


 カラは更に数回、アルの手の傷に息を吹きかけた。


「だから、そんな幼稚な方法で――」


 顔を赤らめ怒っていたアルは、ふいに、反抗するのを止めると、驚いた顔をしてカラの顔を見つめた。 アルが見ている事に気付くと、カラもアルの顔を見上げ、恐る恐る尋ねた。


「――どう? 少しは痛いの、良くならない?」


「――なった。 ヒリヒリしてたのが、まったく……」


 カラはホッと笑顔になると、アルの肘にも息を数回吹きかけた。 アルはその間、傷があったはずの手を確かめた。

 傷は、ほとんど分からなくなっていた。


「――なんで。 なんで治ってるの?」


「どう? "幼稚な方法"だって、馬鹿にしたもんじゃないだろう?」


 カラは自慢げに、ふふんと笑うと、アルの顔を見上げた。 すると、アルの首筋から細い銀の鎖が下がっていることに気が付いた。

 以前目にしたものと同じ、繊細な銀細工の鎖だった。 その先に下がる石の色は、オスティルよりも淡い黄色をしていた。 オスティルほどの煌きはなかったが、その石もまた、淡い、優しい光を帯びていた。


「――それ、前は青緑色をしてたのに」


 アルは最初、カラが何ついて言っているのか分からない様子だったが、直ぐに胸元の石のことだと気付き、指で石をつまんでカラに見易いようにした。


「これのこと? 〈映月石〉ユーシュよ。 聞いたことない? 月の満ち欠けと一緒に、色が変わる貴石」


 カラが首を横に振ると、アルは首から鎖を外し、カラの首にかけた。


「あと何日かしたら、紅く色付いてくるわ。 御守、みたいなものね。 これを持っていると、必ず戻るべきところに戻れるんだって」


 カラはユーシュに見入った。 オスティルとは違う、不思議な力を宿すという貴石は、水面に映った月のように儚げで、とても清らかな印象をカラに与えた。

 カラは十分に見惚れると、首からユーシュを外そうとした。 しかし、アルはカラの動きを押し止めた。


「なんで? だって、これはアルの御守なんだろう?」


「いいから持ってて。 治療、してもらったお礼」


「そんなっ。 それならオレの方が――」


 反論しようとしたカラの言葉を制し、アルは真剣な眼差しで、カラの瞳を見つめた。


「あんたが――あんたに何かあったら……そうよ、あたしがラスターに怒られちゃうわ。 だって、私があんたをここに誘ったんだもの。 だからあんたには、ちゃんと、元気に家に戻ってもらわなきゃ、私――困るもの」


 アルの口調は、怒ったように強いものだったが、その表情は、祈るような、沈痛な面持ちに見えた。


「で、でも、大切な物じゃないの?」


「大切よ。 だから、あんたが持っていて。 失くしたり、瑕をつけたりしたら容赦しないからね。 大切に、しっかり預かっといてよ。 あんたが無事で、無傷でいれば、ユーシュも無事なはずなんだから」


 アルはカラの腕を小突いて笑うと、それ以上、同じ話を続ける意思がないことを示すように、カラに背を向け、残りの荷物を手早く詰め込み、勢いよく立ち上がった。


「さ、お互い治療も終わったんだから、さっさと行くわよっ。 ここから岩牢まで、どれくらいかかるかわかんないんだからっ。 カンテラがなくなっちゃったから、悪いんだけどオスティルで、道を照らしてもらわなきゃだわ」


 カラは、肩脱ぎにしていたシャツを着直すと、突き立てた短剣を引き抜いて立ち上がった。 アルが見つめている方向に視線を向けると、オスティルでその闇を照らした。


「"岩牢"。 そこにガーランがいるの?」


「多分。 この通路を真っ直ぐ進むと、もうひとつ、さっきと同じような鉄扉があるはずなの。 その先に、岩を穿って造られた岩牢があって、そこに、大陸各地で狩られた、たくさんの聖獣が、入れられているはずなの。 だから、ガーランもきっと――」


 アルは、進む先の闇を睨みながら、厳しい声で言った。 オスティルの光に照らされた横顔は、声のままに険しい表情をしていたが、どこか、今にも泣いてしまいそうな顔にも見えた。


「――なんで、アルはそんなこと、知ってるの? ここのことも。 どうして、こんな場所の事、アルは知ってるの?」


 ずっと感じていた疑問を、カラは口にした。

 カラの問いかけに、アルは俯き口を閉ざしたが、しばらくすると、大きく息を吐き出し、カラの顔を見返った。


「あたしの――」


 言葉を口にし始めた途端、アルは黒の瞳を大きく見開いた。 驚きの表情は、見る間に緊張に強張ったものへと変わった。


「? アル、どうしたの?」


 カラはアルの怯えた顔を覗き込んだ。

 しかし次の瞬間、その理由がカラにも分かった。 

 アルの背後に、幾つもの赤い光が明滅していた。 周りを見回すと、光はアルの背後だけではなく、二人をぐるりと取り囲むように、揺らめき輝いている。

 しかもその数は、周囲の闇の中から湧き出すように、次々と増えていく。


「な、何、この赤い――」


「カラっ、後ろっ」


 アルが鋭い声を上げた。

 カラはとっさに背後を振り返った。 が、その瞬間、殴られたような強烈な衝撃を腹に受けた。 カラの身体は吹っ飛ばされ、壁に背を激しく打ち付けた。

 ドサリと床に落ちたカラは、腹と背に受けたあまりの衝撃に、呼吸が出来ず、地に伏し呻き苦しんだ。

 手にしていたオスティルの短剣は、衝撃を受けた時にカラの手から離れてしまった。


 闇を照らす光は消え、地下通路は再び、漆黒の闇に沈んだ。


 次回、〈2:夕暮れのキソス〉に続きます。

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