つかの間の平穏
時は一瞬にしてその時の出来事を過去にしてしまう。ダービーへの出走を夢見ていた者たちの激走が遠い過去のように皆は思ってしまうほどに……
「出れるのはいいんですが……」
「なんだ。言いたいことがあるならはっきり言え」
「少しばかり気になるんですが…。どうやら疲れが溜まっているようなのですが」
「一戦交えたことが悪い方に影響していると言いたいのか?」
「はっきり言うとそうです」
調教助手にそう言われたタカダは一瞬渋い顔をしたがすぐさま表情をもとに戻す。
「問題ない。想定内だ。ダービーの後は放牧に出す。それで大丈夫だ」
疲れが出ているとは感じていた。だが、それはマドロームだけではないだろう。とりあえず後一戦、しかも最大の目標、それさえ乗り切れば、タカダはそう考えていた。
「直前の追いきりまでは軽く流しておけばいい」
タカダはそう指示をだした。
だがマドローム自身はそんな指示を無視するかのように全力で走り出す。
「落ち着け、まだ時間がある。今は焦るな」
調教に跨る助手は必死になだめていた。
「こいつは賢いからな。雰囲気を感じているのかもな。まずは俺らが気負わないことだな」
ウラタは自分自身に言い聞かせるかのようにスタッフたちにそう告げた。
「無理はするな」
マツイは心配そうな表情を浮かべながらオシタニにやや強い口調で告げる。
「いまからそんな調子では持たないぞ。まだ時間がある。気をしっかりと持て。焦りすぎだ」
そう言われてオシタニは冷静に最近の事を振り返る。プレセンシアの重荷にならないようにと自らを鍛えるべく依頼された騎乗をこなしてきた。オーナーの期待に応えるべく限界を超えるような騎乗もあり、いつか壊れると心配していたのだった。
一方のプレセンシアはそんなオシタニの気持ちを知ってか知らずかあくまでもマイペースを貫く。
「気にしなくていい。いつも通りだ」
場所は違うが二人とも同じ言葉を紡いだ。
イリエもフジイも考えていることは一緒だった。
ダービーだからといってもあり気負うことはない。レースのひとつでしかない。いつものようにやればいい。余計なことは考えるなと。
そのおかげかルシエールもクマダも変にプレッシャーを感じることはなかった。それぞれがそれぞれの方法でつかの間の平穏をすごしていた。ただそうでないものもいた。
「ほれほれ、それで限界か? もっとやれるだろう、もっとだ、頑張れよ」
あのしょぼくれていた調教師は人が変わったかのように人馬を鼓舞する。
人は変われる。その見本のように……




