戸惑いは消えていく
直前になって降りだした雨は出走時刻直前に何事もなかったかのように止んだ。パドック周回を終え騎手を乗せた各出走馬は本馬場へと入場していく。
不良馬場をもろともせず堂々と入場していく出走馬をみて観客は一層の盛り上がりをみせる。見た目は各自何事もないように振る舞ってはいたが内心は不安だらけであった。
「どうすればいいのだろう」
騎手たちは考える。こんな大レースを任されるほどには経験も技量もある者たちである。不安を抱えながらも最良の手段を考えていく。そんななかクマダだけはそんな不安を感じることはなかった。
「いつものようにしてくれればいい。こいつは馬場が荒れれば荒れるほど真価を発揮する。周りが戸惑っているあいだにできるだけ逃げることだ」
イリエは入場前にクマダにそう告げた。クマダにとって初めて跨がる馬、だがイリエにそう言われて余裕さえでてきた。それだけクマダはイリエを信頼しているのだった。
馬場に入場したエンドロールは明らかに普段と違うコース状態に戸惑っていた。不安そうな表情を隠すようなことをせずイソダに何かを訴えようとしてようとしていた。
「大丈夫、思ったほどではない。こんなの地元の馬場に比べてもたいしたことない。いつも通りだ。心配ない」
エンドロールに不良馬場の経験はない。だが、地方競馬のひどい馬場に慣れたエンドロールならこれでも問題ないと判断した。イソダは覚悟を決めた。誰よりも早くスタートを決める。なにがあっても先頭は譲らないと
オシタニは走ることを拒否するようなしぐさをみせるプレセンシアをなだめるのに必死だった。初めて経験する不良馬場にやる気を出さない相方に色々と声をかけてみるが反応は乏しい。ふと見渡してみるとこちらも初めての経験にやる気をなくしたように見えるマドロームとシュプリームの姿が目にはいる。だが彼らの鞍上は彼女と違って何かをしているようには見えなかった。彼ら二人はただ集合の合図を待っていた。今何かをするのは無駄な好意だと彼らは思っていた。ゲートに入ればすべてを吹っ切ってレースに集中するはずだと。彼らはすでに腹を括っていた。オシタニは彼らの様子を見て自分を恥じた。何も慌てる必要はなかったのだと。やがて集合の合図がかかり各馬はスタート地点に集合する。ついさっきまでやる気を見せなかったシュプリームとマドロームは誰よりも早く集合していた。そしてファンファーレが鳴り響き各馬がゲートに入っていく。しかしプレセンシアはなかなかゲートに入らない。観客がざわめくなかスタート予定時刻を二分ほど過ぎた頃ようやくゲートに入る。ほんの一時時間が止まったように感じられた後、ゲートが開く。
誰よりも早くスタートしたのはエンドロール、だが思ったほどのリードはとれない。ダークネスアローがぴったりと追走してきたのだった




