風の吹く部室
初投稿です。
「きりーつ、きょうつけー、れーい」
若干間延びした委員長の掛け声で今日一日の授業がやっと終わりを迎える。
勉学が学生の本分ならば放課後は我々にとって余分とでも表現できるだろう。
本分と余分、ふとした思いつきの割には韻を踏んでいてなんだかそれっぽい表現ではなかろうか。
ただ、それを国語の先生あたりに伝えたなら、『余分だったらいらないだろう』などと言って放課後を取り上げられてしまうかもしれない。
もしそうなったら確固たる決意で果敢なるサボタージュを実行し、自主的な放課後を作りだす学生であふれかえってしまうことだろうから、この思いつきは自分の心の中だけに留めておこう。
などと頭の中では実にしょうもない思考をめぐらせていると、体の方はまるでパブロフの犬がベルの音を聞いて涎を垂らすが如く、旧館へと自然と足を向けていた。
旧館というのは特別教室を持たない部活や同好会の部室がまとめられている棟のことを指している。なので部室棟と呼んだ方が正しいのだろうが、見た目が尋常じゃなくボロいから生徒達の間では旧館の名称の方が通りが良い。
小耳にはさんだ話によると、十数年前に全校舎を改装したとき、予算の都合上部室棟だけが改装されなかったそうだ。故に彼は壁いっぱいに謎の草を這わせた小汚い旧館と言うあだ名の謗りに甘んじているのである。
なんだかこいつが可哀想に思えてきた。
初めて見たときボロいし汚い校舎だなんて言ってごめんな……。
「まぁ改めて見ても、やっぱりボロいし汚いなこの校舎は。さっさと建て替えてくれ」
あまりのボロさにミリ秒単位で同情心失っていると、あっというまに旧館に到着していた。
俺は階段を二つ登り、手前から数えて七番目の部室を目指す。
この旧館は三階建てで一つの階に部室が七つある。
つまり俺が目指す部室は旧館の一番上で、一番奥にあるってことだ。
立体駐車場で言えば一時間100円のお得スポットだが、ここが部室棟であることを考えればお得なことなんて何もない。
ただ無駄に疲れるだけだし、他の部室と比べ若干狭いのだ。
何故会長はこんな奥を部室に選んだのかまったく理解できない。
部室の立地条件に物申しつつドアノブを握る。どうやら鍵は掛かっていないようだ。
「ちわーす」
シャツを汗でべた付かせながら部室に入るが先客の気配がない。
「なんだ、まだ誰も来てないのか」
部室の中は無人だった。
どうやら他の部員はまだ来ていないようだ。
鍵が開いていたのは誰か閉め忘れて帰ったのだろう。
「鍵を閉め忘れるなんて、会長に知られたら雷が落ちるな」
自分が落雷率を上げている常習犯であるのを棚に上げつつ一人ごちる。
ふと、部室の中を見回す。
中央に長机が二つ、その奥に会長専用の机と椅子、周りには本棚、ホワイトボード、電子レンジ、冷蔵庫、給湯ポット、ガスコンロ、寝袋にその他会長の持ってきた訳の分らないアイテムの数々。
一週間ぐらいなら普通に生活が出来そうなほど生活品に溢れている。
この部室の様子を写真にとって部外者に見せても一体なんの部活なのか分らないだろう。
そもそも当事者の俺もわからないので答えを知ってるやつがいたらぜひ教えてくれ。
そんな世界を大いに盛り上げられそうな諸々はさっさと頭の隅に追い払って、俺は窓を開ける。
初夏とはいえ丸一日締め切った部室は殺人的な蒸し風呂状態になっていて、とてもじゃないが1秒も耐えられそうにない。
慣れた手つきで、ややたてつきの悪い窓を開けると、涼やかな風が吹きこみ前髪をゆらす。
汗で濡れていた体が冷やされて気持ちが良い。
見上げた空は雲一つない快晴で、太陽だけが眩しく輝いている。
ふと、頭をよぎる光景があった。それは俺が初めて部室に来たときの光景。
そういえば、その日も雲ひとつないひどく暑い、晴れた日だった。
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今年の春、俺はちょっとした家庭の事情ってやつでこの学校に二年生として転校してきた。
そして、それは俺がこっちの学校に転入して数日経ったある日のことだ。
その日の朝、いつもけたたましく鳴り響いては俺の安らぎの時を終わらせる目覚まし時計が鳴らなかった。
どうやら俺が寝ている間に小人さんがせっせと働いて、時計に細工をしていったらしい。
おかげで1時間以上の大遅刻をかましてしまった。
急いで準備をして学校に着いたはいいが、授業が始まっている教室に遅れて入るのはなんだか具合がわるい。それが転校したての学校ならなおさらだ。
授業中に入るのが嫌ならば、授業が終わってから入ればいいではないか。
コペルニクス的転換で名案を思いついた俺は先生に見つからないようにこそこそと本校舎を後にする。
その日は花粉症になった神様が怒り狂ってこの世から春と言う季節を消してしまったじゃないかと妄想してしまうほど、ひどく暑い日だった。
故に俺の足がどこか涼しいところ、あわよくば昼寝ができるところを求めて動き出したのは当然の帰結と言えるだろう。
そうこうして、俺は謎の草が生い茂る旧館へと辿り着いたのだった。
中に入ってここが部室棟であると気づいた俺は、しめしめとばかりに手当たりしだいドアを引き始めた。
その姿は学び舎に侵入したコソ泥そのものであったが、今日日『旧校舎に怪盗現る』などという噂を耳にしていないところを鑑みると誰かに目撃された心配はなさそうだ。
ただ通報されるリスクを冒したかいなく、どの部室も鍵が掛かっており中に入ることは出来ずにいると、ついに俺は階段を二つ登り、手前から数えて七番目の部屋まできていた。
流石にここが駄目だったら諦めて、潔く授業にでよう、そう思いながら若干力を込めてドアを引くと、そんな俺の覚悟もなんのその、あっけなくドアは開いた。
そして、開いたドアの向こうに彼女がいた。
吹き抜ける風の爽快感や部室に入ることができた達成感などは宇宙の彼方に吹っ飛ばして、俺はただひたすら彼女に目を奪われていた。
宝石のように綺麗な瞳、白い肌に桜色の唇、腰まで伸ばした髪を風になびかせ、雲一つない青空に浮かぶ太陽から差し込む光を浴びるその姿はまるで小説の挿絵の様で現実感すら乏しい。
俺はそんな彼女の姿に我を忘れ見蕩れてしまった。
突然の闖入者である俺に彼女は一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに表情を変え、微笑み浮かべる。
その瞬間俺はもうどうしようもない程、どうしようもない所までころがり落ちてしまったのだ。
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「何をたそがれてるの?」
突然かけられた声に俺は現実に呼び戻される。
振り返るがそこには誰の姿もない。
「こっちよ、こっち」
するとまた声がする。どうやら気のせいではないようだ。
「下よ、下」
言われるがままに下を見る。そこには――寝袋に入った会長がいた。
「会長の前世って芋虫か何かだったんですね」
「そののっけから人の前世を虫けら認定するスタイル嫌いじゃないけど、他に言うべきことがあるんじゃないかしら?」
「…会長は何をしているんですか?」
「ふふ、よく聞いてくれたわ。実はただ部室で待っているだけじゃ芸がないと思って、次に来る人を驚かせてギャフンとでも言わせるために寝袋に入って待機したものの、いつまでたっても誰も来ないし、予想以上に暑いしで、なんだか飽きたしもう出ようとしたら、ファスナーが壊れて出られなくなって、意識が朦朧としてきたところに、君がきて窓を開けてくれたおかげでなんとか話せるぐらいまでに体力を回復させたところよ」
呆れて言葉もでないとはこのことだが、しかし何かしら言葉にしなければ話は進まないもので、俺は無理やりにも言葉を紡ぐ。
「ギャフン」
「どうやら当初の目的は果たせたみたいだから、とりあえずファスナーを開けてほしいわ」
そういう会長の顔はちょっとドヤ顔だった。
俺は呆れつつ芋虫状態の会長を解放するため、ファスナーをこじ開けた。
「ふぅ……自由ってなんて幸せなのかしら」
会長はしみじみとそんなことを言いつつ、よろよろと窓際に歩いていく。
そう、初めて会った時には思いもよらなかったが会長は、好意的に表現するなら、愉快で型破りな人、端的に表現するなら――
「会長って本当に馬鹿ですね」
俺はこう、何とも言えない感情から実も蓋もないことを言う。すると会長は自信過剰な表情で嘯く。
「ええ、私は馬鹿よ」
こいつは手に負えない。
「そして、もし生まれ変わるとき馬鹿か馬鹿じゃないか選べるとしたら、私は迷い無く馬鹿に生まれるわ」
「どうしてそんなに拘るんですか?」
実のところ、このやりとりは数ヶ月の間に何回も繰り返している。
そして会長の返事は毎度同じだ。
それが分っているのに聞いてしまうのだから俺もだいぶ会長に毒されている自覚はある。
「それはもちろん決まっているわ、そっちの方が楽しいからよ」
会長は迷いのない真っ直ぐな目で俺を見ながら、これまた迷いのない真っ直ぐな言葉を投げかける。
もう本当に呆れて言葉がでない。ぐぅの音も出ないし、ヘソで茶が沸きそうだ。
なんて心の中で呆れ果てているのに俺の頬は勝手に緩んでしまう。
どうやら俺の頬は突如反抗期を迎えたようだ。
会長は言うべきことは言ったと満足した表情で外を眺めている。
俺も会長と同じ様に外を眺める。風がなんとも気持ちいい。
ふと先ほど思った疑問を会長に尋ねてみる。
「そういえば会長。この同好会を作った時、他にも空き部屋は有ったんですよね。どうしてこんな奥の狭い所を選んだんですか?」
会長は俺の言葉に振り返り、あの日と同じ微笑みを浮かべながら言った。
「ここが、一番いい風が吹くからよ」