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青い痛みの先に  作者: ひろゆき
7/23

壱 (6)

 夢に出てきた人物は何を訴えているのか。それでも、夢は尾崎の“力”に関わりのあることなんだと分かります。そして、そこから、ルーズリーフを尾崎に出した人物にも少なからず、繋がっていきます。

               8



 金曜日の朝。今朝も目覚ましより早く起きたのは以前と同じく、酷い頭痛に襲われたからであった。

 今日は夢の内容わはっきりと覚えていた。

 フードをかぶった少女は誰だったのか、と疑問が残る目覚めに、気持ち悪さを拭えずにいた。

 しかも頭痛とともに、左目の痛みが酷かった。それこそ、青い涙を流したときのように。

 咄嗟に左手を頬に触れると、尾崎はホッと胸を撫で下ろす。涙は流していない。

 辛うじて大丈夫だったが、視界が霞むほどに痛んでいた。

 胸に竦む気持ち悪さに、少なからず苛立ってしまった。

 あの夢は“力”と相互関係があることに気づかされ、そこで以前に見た夢の、聞き覚えのない男の声も関係があるのかと、渋々受け入れなければいけなかった。

 滅入る気持ちで体を起こしてリビングに向かうと、目の痛みを和らげようと、目薬を注した。

 痛みから、また病院に行かなければいけないかも、とより心が重くなってしまう。

「痛みが酷いのなら、眼帯でもつけたらいいのに」

 執拗に瞬きをする姿に、それを見ていた母親がこぼした。

 眼帯、か ーー

 瞬きをしつつ、母親の話を流しながら、記憶がざわめいていた。

「眼帯なんて嫌だよ。あんなのダサい」

「ダサいって、病気になったらどうするの? いいじゃない。ものもらいだって嘘をついておけばいいでしょ」

「だから、いいって」

 何度か瞬きをしているのを心配しているみたいだが、面倒くさくなり否定していると、母親は「はい、はい、」とぞんざいに吐き捨て、台所に戻った。

 対して、尾崎はまだ瞬きをしていると、不意に止めた。

 何かが引っかかった。



 目薬のお陰で、霞んでいた視界も楽になっていた。多少、まだ充血していたが、学校に行くには支障がなかった。

「どうしたの、その眼帯。またものもらい?」

「ううん。今日はちょっと腫れちゃって」

 朝の教室。豊田とくだらない会話をしていたときだった。どこかからか、そんな声が尾崎に届いたのは。

「あれ? 矢島の奴、前にも眼帯つけていることなかったっけ?」

 今の会話に豊田が食いつき、視線を移した。

 そうだっけ、と返事をしつつ、尾崎も視線を動かした。ちょうど、尾崎の席からは横の列の、窓際の一番後ろの席が盛り上がっていた。

 矢島弥生。

 栗色に染められた肩までの髪を擦り、笑っていた。前髪を右に流していたが、元々目が細かったのだが、眼帯のせいで右目が大きく見えてしまう。

「確か、前も眼帯をつけていなかったっけ。あれって、二週間ほど前か」

「そうだっけ?」

 机に教科書を移している姿を眺めつつ、以前を思い返していたが、尾崎は曖昧な返事しかできなかった。

 何しろ、二週間も前となれば、ちょうど青い涙を流していた日に近かったから、話を聞くかたわら、ふと思い出してしまった。

 げんなりして首筋を掻きながらも、矢島を見ていると、手が滑ったのか、教科書を何冊か落として、慌てて拾い上げた。

「やっぱり、片目だと見難いのかな?」

「さぁ。眼帯って使ったことないからなぁ」

 落とした教科書を拾うと、机の上でドンッと、整理してから机に入れ直した。

 そういえば、あいつも…… ーー

 


 豊田と喋っているときはそうでもなかったが、授業中、退屈になると、不意に今朝の夢の内容が脳裏に蘇ってくる。まるで、映画を観ているようにはっきりと流れていた。

 それと同時に、杉浦の意味深な言葉も導かれるように、耳元で木霊した。

 教室では数学の教師が数式を解いていたが、尾崎の耳に入らなかった。

 もう午後の授業になっていたが、杉浦は登校していなかった。今日も休みらしい。

 胸にすくむモヤモヤを晴らすことができず、尾崎は苛立ってシャープペンの先を、机に何度も突いてしまった。



 その後も胸の気持ち悪さは残り、時間だけがすぎて放課後になっていた。やはり杉浦は現れなかった。

 体を崩したのか、それとも病院に行っているのか。おそらく病院に行っていると、尾崎は悟った。

 杉浦なら、体調が悪くても無理して、野村のそばにいる気がした。

 疑念を晴らすならば、病院に行って、直接訊けばよかったのだが、気が重く、逃げるようにまた屋上に来ていた。

 そこでまた電話をしてみようと。

 誰かに聞かれたくない。と、変な緊張を抱いての行動であったが、屋上に出て予定は打ち砕かれた。

 屋上には先客がいた。

 グランドからは陸上部のかけ声が聞こえ、晴れ渡る空が見下ろす屋上。その淵の鉄柵に肘をかけ、グランドを眺めていた女子生徒が一人いた。

「ーー矢島?」

 尾崎の呼び声に、女子生徒は鉄柵から肘を放し、こちらに振り返った。髪がなびき、正面をこちらに向けたとき、手で髪を整えた。

 尾崎を見つけて目を細めたのは矢島弥生。まだ左目には眼帯をつけていた。

「まだ帰っていなかったんだ」

「うん。ちょっと、考えごとがあって」

 矢島に歩み寄りながら訊くと、「うん」と頷き、「尾崎くんは?」と問い返した。

 校舎と矢島との中間付近で尾崎は足を止めてしまう。

「うん。僕もちょっとね」

 ズボンのポケットに手を入れていたが、咄嗟に抜き出した。ポケットにはスマホが入っていた。

 話すべきではない。と心が警告して鼓動が速くなり、電話をすることを濁らせた。

 矢島は目を大きく開き、尾崎を屈託なく見てきた。好奇心に満ちた仔猫みたいに。

 以前、授業で提出しなければいけない物があった。矢島はクラスでも成績がよかったので、助けを請う者が矢島に集まっていた。

 その中には、普段はあまり仲がよくなかった者も。

 そのとき、ノートを見せてはいたが、その表情は冷たく、蔑んでいるみたいに取られ、矢島に対してあまりよくない印象がまとっていた。

 仲のいい子は、真面目なんだと弁解するが、妬む者の意見が強く広がり、矢島は冷たい人物なんだと思われるようになっていた。

 尾崎にもそのイメージが植えつけられ、目の前の幼い様子には面喰らってしまった。

「いや、まぁいいんだ。うん」

 普段と違う様子に戸惑いながら、尾崎は屋上を去ろうと、矢島に背中を向けた。やはり通話の内容は聞かれたくなかったので。

 無論、矢島が屋上にいた理由も知りたかったのだが。

「また、誰かを消すつもり?」

 一歩、踏み出そうとしたときだった。

 まさに、心臓を握り潰されそうな衝撃が襲う。

 耳を疑ってしまう。

 尾崎は混沌とした闇に突き落とされてしまう。触れられてはいけない部分に、触れられそうな恐怖に。

 急激に息苦しくなり、いたたまれなくなった。

 恐る恐る尾崎は振り返った。矢島の言葉を疑いながら。

 目線を泳がせながらも、捉えた矢島は、先ほどの幼さはどこかに捨てたみたいに冷たく、胸の辺りで腕を組むと、細く鋭い右目で、異質な威圧感を放って尾崎を捉えていた。

「なんだよ、それ?」

 動揺してしまった。しかし、それを悟られてはいけないと、正面に向き合い、白を切った。緊張で頬が強張り、ぎこちなさを存分に放ちながら。

 当然、尾崎の動揺は見透かされたようで、矢島は一度鼻で笑い、小さくかぶりを振った。

「……私も“力”を持っているから」

「ーーお前っ」

 矢島は短く言い、指で左目の眼帯を指すと、尾崎の心に重く響いてしまう。

 確か二週間前に矢島は眼帯を。そのとき、青い涙を? ーー

 焦りが記憶を鮮明にさせていくと、いくつかの場面が巡っていく。

 今朝、机に教科書を移している姿。あのとき、教科書と一緒に掴んでいたルーズリーフ。

 矢島はルーズリーフを使っていた。それなら…… ーー

 尾崎の左手に力がこもる。あのメッセージを残したのは……。

「お前だったのか? あのルーズリーフは……」

 力なく訊いてしまった。聞こえるかどうか微妙なほど、弱々しい声で。

 矢島は肯定とも否定とも、どちらとも取れないように唇を噛んだ。

 唖然とする中、矢島は鉄柵から背を放すと、ゆっくりとこちらに歩み寄る。腕を組んで威圧感を放ちながら。

 何もできずに立ちすくむ尾崎の横をすれ違ったそのとき、

「また、誰かを消すつもりなら、気をつけることね」

 矢島は小さく囁いた。

 それは尾崎に対しての警告か、忠告なのか、本質を聞くことはできなかった。

 驚きで尾崎は顔を上げたが、振り返ることはできず、鉄柵の先のビルや住宅で歪んだ街を眺めた。

 屋上に風が吹き、遠離る矢島の足音に気づき、なんとか尾崎は振り返る。

「待ってくれ」

 ようやく声をかけ、入り口付近に進んでいた矢島に声を投げた。矢島は足を止める。

「なんで…… なんでそんなことを言うんだ」

「まだ“力”に溺れてはいないようね」

「……溺れる?」

 矢島は最後の質問には答えず、軽く首を傾げると、校舎へと消えていった。



 なんで矢島は“力”のことを知っているんだ? ーー

 いや、矢島は自分に“力”があるのだと言っていた。それならば、杉浦はどうなのか?

 杉浦は自分に“力”があると言っていなかった。しかし、“力”のことを知っているのを匂わせていた。

 尾崎自身、“力”について把握していることは少ない。誰かを消したのかさえ、覚えていないのだから。

 忘れている。

 “力”を使った感覚だけが残るだけで、すべてが曖昧になっていた。

 以前、似た状況に陥ったことが、記憶に刻まれているという曖昧な形で。

 しかも、それがいつだったのかが明確ではなく、今回ほど深く気がかりになるのも初めてだった。

 都合がいいな、と嘲笑せずにはいられない。だからこそ、今回は気味悪さに襲われる。

 杉浦と矢島に対しても。

 それでも二人を問い質すことはできないまま、尾崎は病院を恐れていたが、行くしかなかった。

 新たに現れた矢島。尾崎に対して、堂々と“力”の存在を示す彼女。それが脅しであるのか、助言になるのか、また、嘘なのか真実なのか、彼女の真意を想像していただければ嬉しいです。

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