壱 (2)
人を消したかもしれない不安に苛まれながらも、杉浦の話に引かれてしまう尾崎ですが、それはそれだけ杉浦の態度が引っかかるからです。それが大切な出来事に繋がっていきます。今後、どう繋がるのか、ちょっとでも気になってもらえれば幸いです。
2
時間が流れた木曜日。今日は一日中天気が優れず、昼すぎから雨が降ると、家を出る前にテレビの情報番組において、気象予報士が白いカッパを着て伝えていたな、と尾崎は自分の席から遠くの窓の外を眺め、唇を強く噛んだ。
テレビの予報通り、家を出たときから、ずっと重苦しい雲が空を覆っており、今にも雨が降ってもおかしくない雰囲気を漂わせていた。
気温もさほど上がらず、今日はブレザーがあったことが心強く思えた。
だからなのか、気分は晴れることはない。重いため息をもらし、体がしぼむように机に突っ伏した。
朝のホームルームまで十分ほどあり、目を閉じた。
「今日はまた一段と機嫌が悪そうだな」
目をつぶる尾崎に、前の席から誰かが話しかけてきた。豊田だ。
豊田は前の席の椅子に横向きに座り、こちらに身を乗り出していた。
「別に。まだちょっと眠たいだけだよ」
尾崎は体を起こし、小さく伸びをすると、再び訪れようとしていた睡魔を振り払った。
辛うじて、あくびは耐えられた。あくびをすれば何を茶化されるか分からないのだから。
それからはくだらない話をしてしまった。
今日の英語が面倒だ、とか、欲しいスニーカーがあるが高い。とか、スマホのアプリを使いすぎた、などとくだらない話を続けていた。
そしてーー。
「今からサボらねぇ?」
豊田は最終的にとんでもない提案を持ち出してきた。その表情は、何かくだらないことを企み、楽しもうとしている不敵な笑みを献上されてしまった。
「もう遅いって。だったら、もっと早くに言えっての」
悪い話じゃない、と思えたが、教室の時計を見上げると、もうチャイムが鳴ろうとしていた。
尾崎は「残念」と笑い返して教室を見渡すた。尾崎が教室に入ったときより、生徒の数は増えていた。
ふと杉浦の席を眺めてしまった。今日はまだ杉浦は登校していないらしい。時間からして休みかもしれない。
「そういえばーー」
昨日の病院の出来事が蘇ってきて、尾崎の動きが止まった。
ややあって、豊田の方へ向き直した。そのとき、真剣な眼差しを向けたせいか、豊田は少し面喰らった様子で眉間にしわを寄せた。
「お前ってさ、野村って奴…… 知ってる?」
「ノムラ…… それがどうかしたか?」
「いや、ちょっと」
杉浦の思い詰めたように見えた表情が頭から離れなかったせいか、本質的なことは口ごもってしまった。
豊田は唐突な問いを怪訝にもせず、少し考え込んだ後、
「そういえばいたな。そんな奴」
あっけらかんと豊田は答えた。
「ーーいるの?」
思わず尾崎は声を荒げてしまった。予想とは外れていたので。
気にはなっていた。それでも、心のどこかで変な考えを持ってしまっていた。
自分の左手で消してしまったのは、その“野村”という人物ではないのだろうか、と。そのせいで、杉浦から言われてから少し悩んでしまっていた。
そんなことはないか ーー
杉浦が知っている時点で、そんなことはないと分かりつつも、考えずにはいられなかった。
だからこそ、豊田が肯定してくれたのは嬉しかった。
「中学んときの同級生だよ。でも、「そういえば、いたな」って感じだけど。それがどうかしたか?」
「いや、ちょっと、野村って奴、知らないかって訊かれたことがあってさ」
誰に、とは口ごもってしまう。どうしても杉浦のことを話すべきではない、と心のどこかで警告を発する何かが胸に居座っていた。
そんなとき、
「なぁ、お前、野村って奴覚えているか? ほら、中学のときの」
唐突に、豊田は尾崎らのそばを通りすぎようとしていた男子生徒に声をかけた。どうやら、彼も豊田と同じ中学だったらしい。
「野村って…… あぁ、児玉とよく一緒にいた奴? でも、あんまり覚えていないな。印象が薄いっていうか」
「ーーだよな」
「それがどうかしたか?」
「いや、ちょっとな。ありがと」
突然声をかけられ、戸惑いつつも答えてくれたが、用事があったらしく、男子生徒は掌を見せて、教室を後にした。
「ほらな。横田も俺と同じ中学だったけど、大して覚えて覚えていないだろ」
「まぁなぁ」
どこか納得ができず、尾崎は渋ってしまう。
「それよかさ、やっぱ、どっか行かねぇ」
「だから無理だって。諦めな」
心配をよそにごねる豊田に、気持ちが散乱してしまい、尾崎は負けてしまう。けらけらと笑い、豊田の企みを軽くあしらった。
豊田は体を逸らして唇を尖らせる。尾崎自身は内心、深く追求されるのを回避でき、胸を撫で下ろした。
授業をサボれない悔しさに、渋い表情の豊田を横目に、尾崎はもう一度教室を見渡した。
やはり、杉浦はまだ来ていないようだ。
あいつ、なんであんなことを訊いたんだろう? ーー
空席になったままの席を眺めていると、胸に疑念が強まっていた。
「野村って誰なんだ?」
杉浦に訊いたのは、五時限目の授業が終わった休憩時間になっていた。
結局、杉浦は午前中には学校に現れなかった。
それは昼休みの途中、尾崎が弁当の卵焼きを口に頬張ったときだった。
ざわめきが広がる教室に、不意に扉を開いて現れ、近くにいた男子生徒にあいさつをすると、自分の席に足早に杉浦は向かっていた。
普段と変わらない何気ない姿。遅れたことは多少は気になったが、尾崎はすぐには席を立たず、弁当に意識を集中させていた。
それからも何度も話しかけようとしたが、“野村”と名前を聞いた瞬間、眉がピクッと動き、目尻をつり上げて睨まれてしまう。
また地雷を踏んでしまったのかと、息を呑んだ瞬間、見間違ってしまったのかと思うほど、普段の穏やかな表情に戻っていた。
それでも、一瞬の鬼の形相に気負いして黙っていると、杉浦は目線を尾崎から離し、教室の時計を静かに見上げた。
つられて尾崎も時計を見上げたが、何もなかった。
それでもしばらくの間、二人して黙ったまま眺めていた。
「……五時半かな」
ややあって杉浦は呟いた。
周りの声に紛れ込みそうな声に、「ーーえっ?」と問い返すと、杉浦は尾崎に真剣な眼差しを注いでいた。
「今日もう一度、病院に来たのなら教えてあげるよ」
「病院って、昨日の? なんだよ、それ。あの病院に、その野村って奴が入院しているのか?」
思わず机に手を突き、身を乗り出して声を荒げてしまった。それでも杉浦は臆することなく、顔を背けてしまう。
気にはなるのだが、この先、どう攻めればいいのか分からず、無言のまま訴えるが、杉浦は頬杖を突いて顔を合わそうとしなかった。
これ以上は話すことはない。と突き放すような様子で。
何気ない日常をすごすなかで、野村の存在が頭から離れない尾崎。青い涙がどう繋がるのか、となりますが、どうしてもこの二人の存在を出したかったのでここで出しました。今後の展開もよろしくお願いします。




