壱 (1)
今回から本格的に物語が始まります。前回の最後の「殺してあげようか?」からの展開になります。これがどうしても重要なのかなと考えていたので、前回の話となりました。あの言葉は誰の声だったのか、どうなるのかという話になっていきます。よろしくお願いします。
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十月もすぎ、暦では夏から秋に移り変わろうとする木曜日。衣替えも済み、制服が一回り大きくなっていた。
昼間はまだ制服のブレザーが邪魔になってしまう時間もあったが、やはり朝方は確実に、秋の風が近づいていた。
普段、朝の目覚ましは六時半にスマホをセットしていた。しかし、遠くで待つ冬が秋を急かすのか、体を震わす寒さに、目覚ましよりも早く起きなければいけない日が、否応にも尾崎飛鳥に三日襲っていた。
しかし、今朝は普段とは違う目覚めに、違和感を拭えずにいた。
ベッドの上で重たい目蓋を開くと、部屋の白い天井を捉えた。
部屋の窓にはカーテンが閉められ、朝の支度が遅くなった太陽がまだ昇ってはおらず、薄暗い空がカーテンの隙間から覗いているだけで、部屋の中はまだ暗かった。
枕のそばに置いていたスマホを手に取り、時間を確認すると、まだ午前五時をすぎたところであった。
大きくため息をもらしながら、眉間に左手を当て憤慨してしまう。
睡眠を妨げられた現実に。
スマホを枕元に放り投げ、目元を腕で覆い、再び夢に入り込もうとした。
ただ、一度目が覚めてしまうと、なかなか寝つくことができず、何度も寝返りを繰り返すだけで、ぐだぐだと時間だけがすぎていた。
何よりも、なぜ中途半端な時間に目が覚めたのか、考え込んでしまい、睡眠の妨げになっていたのかもしれない。
結局、十分ほど呆然とした時間が流れ、仕方なく上体を起こした。
「なんだよ。まだこんな時間なーー」
苛立ちにかぶりを振っていたときだった。
不意に眉間にしわを寄せ、頬を歪めてしまった。急に襲いだした頭痛に抵抗するために。
痛みはしばらく続き、奥歯を噛むが、それでも痛みが紛れてはくれない。
「痛っ。なんだよ、急にーー」
弱々しくぼやいていたとき、ふと動きが止まってしまった。
しばらく時間が止まったみたいに、体が固まってしまった。すると、頬に一筋の涙がすっとこぼれた。
普段、尾崎は泣くことが少なくなっていた。子供のころは友達とケンカしたり、親に叱られて泣くこともあったが、最近は泣かなくなっていた。
最後に泣いたのは一年前。祖父の葬式のとき。あのときは不思議と涙がこぼれていた。
しかし、それ以降は泣いた記憶がなかった。それなのに今、不意に涙を流していた。しかも、普段の涙とはどこか違っていた。異常に涙が冷たく、それに比例するように頭痛も酷くなっていた。
急激な不安に駆られ、ベッドから起きると、ベッドのそばにあるローテーブルに置かれた小さな鏡を手に取り、顔を確認した。
刹那、鏡を持った手に力がこもる。
頬を流れていた涙は、鮮明な青色になっていた。
一瞬、驚愕して動きを止めたが、ややあってから鏡を静かにローテーブルに戻すと、ベッドの上でうなだれた。
無言のまま唇を噛み締めると、左手を頬に添えた。
指先に触れる涙は氷のように冷たい。
「……誰かを消したんだ」
誰を消したんだ?
そんな問いかけを学校に着くまでの間、何度自分に投げかけたか分からなかった。勿論、誰も尾崎に答えを教える者はいない。
尾崎自身、誰を消したのが分からない。分かっているのは、誰かが消えたこと。
正確にいえば、忘れている。ただ、確実に誰かを忘れているのだが、その事実を咎めているのか、頭痛は一向に治まってくれない。
頭痛を堪えながら、休憩時間に何度も教室を見渡した。このクラスで誰かが消えたのか、と考えながら。
左手を眺めながら、不意に教室の後ろにあるロッカーを眺めていた。
窓皮から三番目のロッカーにふと、目が止まってしまった。
「ロッカーがどうかしたのか?」
「いや、なんとなく見ていただけだよ」
尾崎の席は廊下側の後ろから二番目の席。反対側のロッカーに体を反らして眺めていた尾崎に、友人の豊田要が問いかけ、それを軽く受け流した。
豊田には、朝からの不安を聞くことはなかった。
ねぇ、今日、どこに行く?
カラオケ?
彼氏はどうなの?
どうしたの、それ? ものもらい?
あれ、今日、あの子って休みなの?
何気ない会話が教室を舞っていた。やはり、誰かが消えたのかは見当がつかず、何気ない日常が流れていた。
このクラスの誰かが消えた。
不思議とそんな感覚が体を駆け巡っていた。放課後、尾崎は数人が喋っている教室に残り、自分の席に座りながら、左手をじっと眺めた。
この手で誰かを消した。
簡単な作業でしかない。
左手のどこかに傷をつける。大がかりな傷じゃない。少し刃物で切り傷をつければいい。自らの血で左手を汚し、そして、消したいと思う人物の肌に左手をそっと添えるだけ。
簡単だ。ちょっとぶつかる素振りをする。肩を叩く。握手をする。なんでもいい。相手に触れれば、儀式は終える。
後は待つだけ。
そして、青い涙がこぼれる。それが合図であった。尾崎が青い涙を流すのは、誰かが消えて、存在すら忘れることになっていた。
それまでに誰かを消したことがあるのか?
問われれば、尾崎は素直に答えることができなかった。尾崎自身、覚えていないから。
自分の左手に備わった、特殊な“力”を使用したこと、すべてがないことになっている。
それは、以前に青い涙を流したのかさえ、曖昧になっている。
都合がいい。と自分でも揶揄したくなるが、実際、尾崎にも上手く説明することができないでいた。
ただ、左手に“力”があり、その能力を駆使すれば、青い涙こぼれる。という感覚だけを理解している、気味悪さだけを抱いて。
……まったく、これじゃ、呪いじゃないか ーー
「これから病院?」
「うん。朝から“ものもらい”ができて」
「あぁ、それでその眼帯なんだ」
遠くで女子生徒の声が聞こえた。
奇妙な“力”に困惑していた尾崎だが、クラスメイトの会話に気が逸れ、視線を移した。
……矢島か ーー
声から人物を特定して、何気に教室を眺めると、まだ数人はいたが、今の会話をしていた二人はもういなかった。そのまま教室を出て行ったらしい。
このまま考えても無駄か ーー
残っている生徒を観察しても、誰が消えたのか分かるわけでもなく、半ば諦めて尾崎も席を立った。
そのときだった。急激な目眩が襲ったのは。
不思議と頭にではなく、左目に痛みが集中していた。
開くのを躊躇してしまう。目蓋がとてつもなく重くなっていた。
「……ちょっと、ヤバいかな」
そこに誰が消えているのか分からない状況に置かれていた。それでも、尾崎の思考を邪魔している痛みがずっとつきまとっていた。
痛みがより強くなり、人が消える、というあり得ない状況に不安に駆られ、胸の奥が切り裂かれそうに辛かった。
痛みから逃れたい思いで、家に帰ってから、病院に向かっていた。
「きっと、眼球疲労でしょう。スマホとか、パソコンの使いすぎじゃないですか?」
診察を受けた医師からは、冗談めいた口調で注意されてしまった。
確かに一理あることは認めなければいけなかったが、本質的な部分を話せず、渋々ではあるが、医師の言うことを聞き入れ、診察を終えた。
鼻孔を突く消毒液が尾崎はどうしても慣れなかった。どこか、臭いが身体中を刺す針になって攻撃されているようで、早く病院を抜け出したいが、最後の会計の精算で意外と時間を費やしてしまった。
早く通りたい正面玄関の先は、すでに日が落ち、漆黒の闇が広がっている。時間は夜の八時を回っていた。
足早に去っていく人影を、羨ましげに目で追いながら、尾崎は会計カウンターの前の長椅子に腰を下ろすしかなかった。
学校から帰り、しばらくは痛みに堪えていたが、限界で病院に来たのだが、これならば学校から直接くればよかったと、後悔してしまった。
ここは大人しく待つしかない。と、言い聞かせたのが数分前のこと。覚悟を決めていたのに、それでも今すぐに帰りたかった。
多少の時間があるならば、文庫本を読めば時間潰しにはなるのだが、気分が乗ってくれず、長椅子の背もたれに背中を預けた。
先ほどからの消毒液の臭いに気分も晴れず、鼻を擦りながら辺りを見渡していた。
会計カウンターの上には、精算準備のできた患者の番号が表示された電子掲示板があり、三桁の数字がいくつか表示されている。まだ尾崎の順番は回ってはきそうにないのだが。
それでも、カウンター前の待合い広場では、診察を終えた患者が増えていた。まだ時間がかかりそうな状況に、尾崎はげんなりしてしまう。
目の影響もあって、文庫本は読む気にはなれず、売店に行って時間を潰そうと席を立った。
何気に見渡したとき、尾崎はふと、一人の姿に目を奪われてしまう。
その人物は制服を着ていた。紺色のブレザーに赤いネクタイ。そしてグレーのズボン。見覚えのある制服は、尾崎の学校の制服である。
……杉浦? ーー
尾崎の場所からは数メートル離れており、声をかけることはできなかった。きっと声を上げても、周りのざわめきに声は掻き消されてしまうだろう。
尾崎が躊躇している間に、院内の案内板が掲げられた前の通路を横切り、こちらにまったく気づく素振りもなかった。
尾崎の学校の男子生徒は、制服を崩して着るのが普通になっていた。白のカッターシャツは裾をズボンから出し、ネクタイを緩めているのが生徒にも常識となっていた。
無論、教師はそれを正そうと注意していたが、ほとんどの者が正そうとはしなかった。尾崎もその一人である。
制服を正しく着ているのは、一部の真面目な生徒に留まり、杉浦純もその一部に含まれていた。
だが、真面目すぎて取っつきにくい人物ではなかった。明るく、気さくに冗談を交わせる奴だった。
以前、面倒な授業のとき、ふと、斜め前の杉浦の席を眺めると、彼は教師の話を無視して、机に隠れて文庫本を読んでいるのが見えた。
真面目な奴、と印象を抱いていた尾崎は、少し驚いたことがあった。あいつもさぼるんだ、と。
その授業が終わり、尾崎も小説が好きなので、何を読んでいたのかが気になり、休憩時間に訊いてみると、サボっているのがバレて、恥ずかしそうに頭を掻き、照れ臭そうに頬を赤めながら笑ったのが、強く印象に残っていた。
その後、気さくにお勧めの作家を教えてもらったりした。それまでの印象は、やはり考えすぎなんだと教えられた。
ただ、自分が嫌いだと思う作家に対しては、容赦なくけなすギャップに驚かされることもあった。
そんなことを思い出しながら、杉浦を目で追っていた。杉浦は白のスニーカーに、黒のレザーのトートバッグを肩にかけていた。
トートバッグは学校に持ってきている物だと分かった。何度も尾崎も見ていたから。
しかし、今日の放課後、杉浦が教室に残っていたか、と考えてしまう。いや、目が痛んだとき、杉浦の姿はなかった。
そもそも、杉浦が放課後に教室に残っているのを、尾崎は見覚えがなかった。杉浦は授業が終わると、すぐに帰る印象があった。
陰で悪口を言う奴もいたが、尾崎はバイトか何かかと考えていた。
だからこそ、突然杉浦の姿を見つけて、尾崎は驚いてしまった。どうやら、手にはビニール袋を持っている。
追いかけようか躊躇していると、杉浦は通路の陰に消えていった。
その先に内科や外科はないはず。何が目的なのか分からないまま、尾崎は黙って見送ってしまった。
そのとき、会計の精算を終えたことを知らせるブザーが鳴った。
音につられて視線を上げると、ようやく自分の番号が表示され、体の向きをカウンターに移した。
杉浦を気にしながらも、カウンターに集まり出す人の中に尾崎も加わった。
一点を睨むように、真剣な眼差しを注いでいた杉浦が、尾崎の勇気を削ぐ原因になったのかもしれない。
訊こうと思えばいつでも訊ける。と気にしないようにした。
医師からは経過を見つつ、もう一度診察をしましょう、と言われ、五日後に病院に来るように言われた。
左目が痛んだのは木曜日だけで済んでいた。金曜日になれば、前日の痛みが嘘のように治まっていた。
勿論、誰が消えてしまったのかは把握していないままであった。
頭痛も自然と治まっており、病院に行くことすら、億劫になっていたが、医師の言うことを素直に聞き入れ、病院に訪れていた。
我ながら、真面目すぎるな、と内心では毒づかずにはいられなかった。
五日後の火曜日。素直に診断を受けた結果は問題なく、この先は診察に訪れる必要はないと告げられた。尾崎はひとまず安心した。
無論、心配がすべて解消したわけではなかった。尾崎は青い涙を流したことを黙っていたので。
青い涙と聞き、何を告げられるのか恐怖心が強まってしまい、口を噤んでしまった。やはり、言えなかった。
多少の不安は残っていたが、自分の弱さだと罵り、不安を心に閉じ込めておいた。
ともあれ診察は終え、後は会計のみとなっていたが、ロビーに集まる人の姿を見てしまうと、また時間がかかりそうだと、尾崎は気が滅入ってしまった。
仕方なく、重い腰を長椅子に下ろした。
今日は目の痛みもなく、気分も大丈夫だったので、読みかけの文庫本を読もうとしていた。また長くなることを考慮して、早めに来ていたのだが、それほどの効果はなかったらしい。
小説の内容が入り込むことで、消毒液の臭いは気になることはなかった。
そんな文庫本を読んでいるときである。
「……尾崎?」
尾崎が座っていたのは、五列並べられた長椅子の最前列の右端に座っていた。
その前は患者が通りすぎる通路になっていた。
文庫本を読み始めたときから人通りは多く、気にかけていなかったのだが、不意に名前を呼ばれて、尾崎は顔を上げた。
「やっぱ、尾崎じゃん」
尾崎は突然のことに面喰らい、目を点にしていると、目の前には杉浦が制服姿で立って笑っていた。
「あれ? 杉浦?」
以前と同じで、手には白いビニール袋を持っていた。
制服姿が目立っていたからか、呼びつけた杉浦は、屈託なく尾崎を見下ろしていた。
五日前、ここで杉浦を見かけたことを、その後学校で訊いたことはなかった。
別の話題で盛り上がったことはあったが、話を振るきっかけがなかったせいか、そのまま今日に至っていた。
目の前にいる杉浦に気負いしているわけではないのだが、一瞬、たじろいでしまいそうになった。
「どうした、風邪か?」
「いや、眼科。ちょっと目が痛くなってさ。そしたら、スマホの見すぎだって」
話しかけてきた杉浦に、尾崎も冗談っぽく頬を歪め、眼科のある方角を、顎の先で指した。
すると、眼科の方角を眺め、「そうか」と小さく頷いた。
「お前は?」
顔を背ける杉浦に、ごく自然に尾崎は訊いてみた。すると、杉浦に届いていないのか、遠くを眺めたままになっていた。
一瞬、先日の杉浦の真剣な横顔がよぎった。
触れてはいけない地雷を踏んでしまったのか、と後悔しつつも、「杉浦?」ともう一度声をかけてみると、「ん?」と、こちらに顔を戻した。
本当に聞こえていなかったのか、呆然として、黒い髪を擦りながら首を傾げていた。
平静を装っているように見えたが、尾崎は気づいていた。杉浦が嘘をついたとき、右手で髪を触る癖を。
実際、杉浦が今頭に触れているのは右手であった。
「あぁ、僕か……」
やはり躊躇しているのか、口ごもっている様子に見えた。
「風邪か?」
唇を噛む姿に、当たり障りのないことを訊いてみた。先週にも目撃したことを黙ったままで。ふと、訊いてはいけない、と気持ちが押し止めていた。
「いや、違うかな」
返事を待っていると、杉浦は呟くように弱々しくこぼした。
「ちょっと、用事があったんだ」
そこで、杉浦は手にしていた白いビニール袋を、軽く揺らしてみせた。ちょっと覗いてみると、二本のカフェオレのペットボトルが見えた。
「誰かの見舞いか?」
診察でなく病院に訪れ、袋の二本のボトルから、杉浦の行動を予測して言ってみた。すると、「まぁね」と答えた。
「あぁ、それでか」
「ん、何?」
「あ、いや、実は先週にも僕、病院に来ていたんだ。それだ奥に行くのを見かけたからさ」
話の流れから、先週に目撃したことを伝えた。
「なんだよ、だったら、声をかけてくれればよかったのに」
見られていたのを照れて杉浦は笑った。
「悪い。僕もちょうど、会計と重なったから、タイミングを失ったんだ」
鬼気迫る雰囲気が漂っていたことは言えず、尾崎は右手で手刀を切りながら、苦笑してごまかしておいた。
「友達か誰か入院してるの?」
深く責められるのを恐れ、尾崎は話を進めると、杉浦も頷いた。どこか寂しげに、口を歪めたように見えたのは、気のせいだったのだろうか。
そんなとき、会計のブザーが鳴った。自然と二人とも電子掲示板に顔を向けた。
「あ、順番か」
そこに尾崎の番号が提示されていた。周りの人の数に比べ、意外にも早く呼ばれたみたいだ。
「じゃぁ、僕もそろそろ行くよ」
「そっか、じゃぁな」
おうっ、と互いに言い合い、杉浦は体の向きを変えた。どうやら、入院病棟は以前、杉浦を見失った方角にあるらしい。
歩き出す杉浦の横で、文庫本をカバンに戻すと、尾崎も席を立ち、カウンターに集まる人に加わろうと急いだ。
トートバッグから財布を取ろうとしていると、
「そうだ、尾崎」
と、離れたと思っていた杉浦が、こちらに戻ってきて尾崎を呼び止めた。
財布を見つけて、トートバッグの中で右手で掴んだまま顔を向けると、思いのほか真剣な表情でこちらを見ている杉浦に、尾崎は困惑して動きを止めた。
「どうした?」
「なぁ、お前って、野村って知ってる?」
「ノムラ?」
杉浦は右耳の耳たぶを擦っていた。どうやらふざけているときの仕草ではない。本当に訊いているのだと、尾崎は悟った。
ただ、“野村”と訊かれ、咄嗟に思い浮かぶ人物はいない。クラスメイト、同学年にも、そういった苗字の人物はいない。
それでも、鼻筋を擦りながら首を傾げたが、やはり浮かぶ者はいなかった。
「ゴメン。そういう子は知らないや」
降参して、申しわけなく謝ると、杉浦は掌を見せて制止して、小さくかぶりを振った。
「やっぱりな……。いや、いいんだ。変なことを訊いてゴメン」
最初は笑っていたが、途中からは口調も弱くなっていた。そして、何事もなかったように、もう一度謝ると、背を向けて足早に去ってしまった。
まるで逃げるように。
一瞬垣間見た顔は、さっき見た表情よりもより眉を下げ、暗さが増しており、寂しげに見えていた。
「……野村って、誰だ?」
遠ざかる背中に問いかけた声は、周りのざわめきに掻き消されてしまい、杉浦には届かず、宙で散ってしまう。
前回から考えると、最初からいきなり話が脱線している気にもなりましたが、ただちょっと遠回りしているのだと思って、お付き合いしていただければ幸いです。序章での提案がちゃんと繋がり、その言葉の真意によって、尾崎は苦しみ、物語が始まっていきます。今後ともよろしくお願いします。




