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空き巣と幼馴染

 どうしていたのかはわからないが、俺はあのまま泥のように眠って朝を迎えたらしい。目が覚めてみればソファの上だった。


 鼻腔をくすぐる焦げ臭い匂いに気が付いた俺は、ゆっくりと体を起こすとキッチンの方に顔を向けた。


「あら、起きたの? ちょうどいいわ、今朝ごはんができたところよ」

「…………お、お母さんだ……」

「なにか言ったかしら」

「いえなんにも」


 お姉さんがエプロン姿で朝食の準備をしていた。トーストとコーヒーと、あとその真っ黒い物体は……目玉焼き?


「ほら、起きたら顔を洗って来なさいな」


 本格的に母親みたいだったが、しかし従わない理由もないので、俺はゆっくり体を起こすと洗面台に向かった。


 ここ半年、起きるたびに感じていた倦怠感や絶望感、そして喪失感が、嘘のように消えていた。千年の眠りから目覚めたマンモスのような気持ちだった。

 顔を冷水で洗って鏡を見ると、屍のような顔の男はもうそこにはいなかった。少なくとも半分死体くらいには顔色がよくなっている。


「ふぅ……」


 安堵からくる溜息は、未だ昨日の出来事により続いていた緊張をほぐした。


 今日もちゃんと生きよう。



(……まずい!!!)


 甚だ失礼ではあるが、お姉さんが作った朝食は最悪だった。トーストを焼いただけだというのになぜこんなにもまずいのか。インスタントコーヒーがなぜ辛いのか。もしやまたなにか仕込んだのか。


 さすがに言葉には出さないが、俺は心中悶絶しながら朝食を頬張っていた。


「まずいわねこれ!!」

「自分で言っちゃった!」


 言っちゃったよこの人。


「コーヒーの隠し味に醤油を入れたのは間違いだったかしら?」

「とりあえずコーヒー農家の人に謝って?」


 全然隠れてないよ? 醤油君丸見えだよ??


「どっちも元は豆だから合うかなって思ったのに……」

「強引すぎる……」


 まあでも空腹感で人の家の窓を割って侵入するような人だもんな……


「明日からは朝もコンビニね……」

「いや俺がつくりま――」


 ピンポーーーン…………


 間延びしたそんな音が聞こえて、俺は言葉を止めた。


「あら、誰かしら?」

「どうせ保険の販売員とかですよ。ちょっと断ってきます」


 仕事熱心で結構だが俺には必要ない。無視するのも手だが何度も来られるとまた昨日のようにパニックになりかねない。ここはパパッと断ってお引き取り願おう。

 食卓を離れ、玄関扉の覗き穴に目を近づけた俺は、しかし予想と全く違う訪問者の姿に飛び上がるほど驚いた。カートゥーンだったら目玉が覗き穴から飛び出るイメージ。


 短く健康的な髪型に、勝気な眼差し。少し日に焼けた肌が特徴的な美少女がそこにはいた。


 夏南だ! 四季山夏南(しきやまかな)がなぜか家の前にいる!!


(なぜ……!? なぜ夏南がここに……!?)


 半年間毎日LINEでメッセージをくれるだけだった夏南が、なぜ今になった俺の家の前に!?


「あ」


 思わず声が出た。


 LINE。そういえば昨日の昼頃に既読つける前に壊して、それからいろいろあったからまだ反応できていないんだった。

 でもそれだけで俺の家まで来るのか? 安否を確認するために? そうは考えにくい。家族ぐるみの付き合いはあったが、そこまでしてくれる義理はない。別に四季山家と八咫野家は親戚関係ではないのだから。


 ピンポーーン……


 夏南がもう一度ベルを押すのを確認して、俺は我に返った。

 冷静を装ってインターホンに応じる。


「八咫野ですけど……」


 努めて暗い声を出す。いや別に必要はないんだけど、なんか半年間ほとんど無視していたから今更愛想がいいのもなんか虫がいいかなって……我ながら最低だけど……

 許してくれ夏南……いずれまた俺が完全に立ち直ったら、お前に顔向けできるようになったらちゃんと話すから。


「!! よかった……! きょーくん! 無事だったんだね……!」


 小声でそんなことを言う夏南。心から安心した表情だ。

 心が痛む……


「無事だけど? 家になにか用?」


 あえて突き放すような言葉遣いで、俺はそう応えた。


「ううん……LINEにも既読つかないし、きょーくん家の電話は切ってるでしょ? なにかあったのかって不安で……」

「別に、大丈夫だから」

「うん、よかった……」


 画面越しの夏南は眉尻を下げて微笑んだ。


「ね、ねえ……」

「なに」

「よかったらなんだけど……その、お家に入っても、いいかな……」

「……」

「久しぶりにきょーくんとお話したいなって……だめ?」


 か、かわいい……! え? 夏南ってこんなに可愛かったっけ!?!? こんな俺のことをこれほどに心配してくれるし、今すぐ今までの態度を土下座して謝罪したい! そして抱きしめたい! 


『もちろん』


 と言おうとして俺は思いとどまった。


 あ、危ない危ない! 今だけはだめだった! そう、今俺の家には――


「鏡太君? 随分かかってるようだけど大丈夫かしらー?」


 呑気な声でお姉さんが登場した。

 まずい! この人だけは夏南に合わせられない!


 だって冷静になって考えてみてくださいよ。


『両親を突然亡くし、人間不信になって半年も引きこもっている幼馴染を、半年間欠かさずLINEで生存確認して、まともな返事なんてほとんどなくて、そして急にそれすらも途絶えたから心配してわざわざ家まで来たのに、当の本人は巨乳のお姉さんと同棲してた』


 どう? ぶち殺すでしょこれ。

 俺だったらミンチにしてハンバーグ作るもん。


「ちょっと……! 今は来ないでください……!」


 小声でお姉さんに訴えかけるも、よく聞こえていないようで「んー?」とニコニコしながら近づいてくる。かわいいけど今はダイニングで待ってて!


「……そう、だよね。いきなり来て迷惑だったよね……」

「あ、いや、違っ……」


 お姉さんに向けた言葉はインターホンに拾われていたらしく、夏南が傷ついた表情をした。違うんです! お前に言ったんじゃないんです!


「うざかったよね……別に家族でもないのに……あたし、きょーくんの気持ちも考えずにバカだったね……」

「違う違う違うんです誤解しないでごめんなさいごめんなさい」

「へ? きょーくん?」


 嫌悪感の演技なんてふっとんで平謝りする俺に、夏南は小首をかしげた。怪しまれている!


「鏡太君? 誰が来たの? お姉さんが対応してあげようか?」


 お姉さんはお姉さんで昨日の俺の失態を知っているから優しい。

 でもその優しさは今だけでもいいから取っておいて! お願いだから!


「今の声誰ッ!?」


 鋭い声がインターホン越しに聞こえる。


 やばい! お姉さんの声が届いている!


「誰か家にいるの……!?」


 訝しがるように夏南そう言った。


 なんとか誤魔化さなくては!


「いや、気のせいだよ。誰も家には――」

「さっさと追い返してご飯の続きにしましょう、鏡太君」

「……鏡太君? 女の人の声だよね、それ……」



 \(^o^)/オワタ



「いや、いやいやいや引きこもりの俺が女の人なんて家に入れるわけないだろ!?」

「でも今絶対――」

「あら、可愛い女の子じゃない。鏡太君の彼女?」

「秋洲さんは黙っててください!」

「空き巣!? 空き巣に入られてるのきょーくん!?」

「いやそんなことは――」

「誰が空き巣よ!」

「いやだからあんた空き巣だろ!!」


 あ、つい勢いでツッコんでしまった……


「…………………………」


 画面越しの夏南がごそごそと鞄を漁り始めた。無表情だがすさまじい圧を感じる。

 そしてそっと鍵を取り出すと、俺の家の鍵穴に挿して……


 というか、え、合鍵? なんで持ってるの??


 俺のそんな疑問はいざしらず、無慈悲にも我が家の門は開錠された。



 ガチャリ……



「やばい!」


 反射的にお姉さんを隠そうとして、俺はお姉さんを抱えて移動させようとした。だが慌てていてはそんなことができるわけもなく……


「ちょ、ちょっと鏡太く――」

「うわ――」


 俺とお姉さんはもつれあうように倒れ込み――



「…………」 



 俺がお姉さんを押し倒すような姿勢になっているのを、玄関口で仁王立ちになっている夏南が無表情に見下ろしていた。



「……久しぶり、夏南。でもこれには複雑な、そう、とても複雑なじじょ――」

「きょーくん」

「はい」

「正座」



 はい。

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