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空き巣とトラウマ

「似合うかしら」

「いや……というか」



 裸Yシャツじゃねえか!!!!



「え、パーカーとか沢山出しましたよね? なんでよりにもよってその恰好を選択したんですか??」


 目をそらしながらそう問うと、お姉さんは俺の視界に入ろうと体を回り込ませてくる。その恰好で動くな! 色々見えちゃうから!


「鏡太君を誘惑しようと思って」

「そんなので誘惑なんてされませんよ」


 嘘です。


「ほんとかな~? 男の子ってこういうのが好きなんでしょ~??」

「バカにしないでくださいよ。そういうのが好きなのは中学生までです」


 嘘です。大好きです。だからやめて。


「じゃあなんで目をそらすのかしら~?」


 ぐっ……この女……なんか急にキャラ変わってないか? 


「それは……見たら失礼かなって……」

「いいのよ?」


 急に体を寄せると、お姉さんは僕の耳元に口を近づけた。

 うわやめて! お風呂上りのいい匂いが! 薄着ゆえの体温が!!


「鏡太君にならなんでも見せてあげちゃう❤」

「な――なんでも……!」


 今なんでもって……なんでもって言ったよね!?


「な・ん・で・も❤」

「ごくり……」


 立ち上るお姉さんの色気で俺の理性はもう限界突破寸前だった。


「じゃ、じゃあ……」

「やっぱり寒いわね……」

「台無し!!!!」


 お姉さんはスッと俺から離れるとバスルームへそそくさと引っ込んでいった。

 まあもう12月ですもんね……

 窓も割れてるし……段ボールで補強するのも限界だし修理の人呼ぼうかな……



「というわけで鏡太君のセーターを着たわよ」


 謎の宣言である。

 お姉さんは俺よりもほんの少しだけ背が高いので、セーターも少しだけ小さく感じるようだった。縦セタがお姉さんの体のラインを強調して……なんというかその……すごく色っぽいです……


「それにしても暇ね……鏡太君どこかに遊びに行かない?」

「いや俺引きこもりですけど……」


 引きこもりだから外に遊びに行かないというのも変だけど……

 正確に言うなら『外に出られないから引きこもり』だろうか。


「でも世間一般の引きこもりと比べると随分と元気じゃない?」

「あんたのせいだよ!」


 一応ツッコんでから、


(でもまあ……今なら外に出られるかもしれないな)


 とか考えたりもする。

 ちらりと玄関の方を見て外の世界に思いをはせてみる。


「……っ!」


 自然と動悸が早くなるのが分かった。外には人がいる、沢山だ。それが今の俺には耐えられない。


「……うたくん? 鏡太君?」

「! あ、なんです?」


 お姉さんの言葉で意識が引き戻された。


「すごい怖い顔してたわよ? 大丈夫?」

「……大丈夫です」


 言いながら、俺は果てしない安心感を覚えていた。こういう時にすぐそばに人がいることが、これほど心の支えになるとは……

 精神的にはお姉さんに寄りかかりたいくらいだったが、しかしさすがにそこはこらえる。この人に俺の心の弱さを見せるわけにはいかない。


(そうか……俺はただ寂しかっただけなのかもしれないな……)


「でもいつまでも鏡太君の服を着ているわけにもいかないし……」

「なんでもうこの家に住むことは確定してるんですか……」

「?」

「その反応はおかしいですよね?」


 本当に意外なことを言われたみたいな顔だった。別に住んでいいなんて一言も言ってないよ?


「とりあえず服を買いに行きたいわ。特に下着類ね」


 え、じゃあ今って……


 そこまで考えて俺は思考を緊急停止した。だめだめ。


「まあ俺もスマホは買い換えないといけないですし……」


 誰かさんのせいで壊れからな……


「近いうちに外には出ないといけませんね……」


 ここ半年は人通りのない夜中にこっそりと家を出てコンビニなどに行っていたが、携帯ショップともなるとそうはいかない。ネットで買うという手もあるが……


「ねえ」


 思案する俺に、お姉さんはやさしい声音で呼びかけた。


「お姉さんと一緒なら、外出られそう?」

「……」


 俺は考えた。



 半年ぶりにちゃんと町に繰り出した俺は、ノーパンのお姉さんと一緒だった。


 なんだこの状況。


「……」

「どう? 大丈夫そうかしら?」


 昼とはいえ、冬はやはり冷え込んだ。俺もお姉さんもかなり着込んでいる。

 平日の昼だから、人通りはそこまで多くはない。


「…………なんとか」


 やはり動悸は激しかったが、さっさと用事を済ませればなんとかなりそうではあった。

 今は一人じゃない。正体はよくわからないが、空き巣のお姉さんが隣にいる……いや安心しちゃだめだよね?

 ともかく、俺はほとんど一言も話さずに、下を向いたまま、極力誰とも目を合わさずに電車に乗り、近くのショッピングセンターへ向かった。


「用事を済ませてすぐに帰りましょう」


 携帯ショップまで来てから、お姉さんはそう言った。俺は携帯を、お姉さんは取り合えずランジェリーショップへ向かうということになった。さすがに俺が同行するわけにもいくまい……


「一人で大丈夫かしら?」

「……子供じゃないんですから」

「そう、それが言えるなら大丈夫そうね」


 微笑んでから、お姉さんは店を出た。

 めずらしく、というか初めて年長者らしい振る舞いを見せられて、俺はなんだかどきどきしていた。これも一つのつり橋効果というものだろうか。


 確かに心細かったが、しかしショップの中は静かだ。耐えられる。


 俺は気合いを入れて(視線は床に向けたまま)カウンターへ向かった。



 しばらく順番待ちをしてから、俺の番号が呼ばれた。


 最初は順調だった。スマホの状態を知らせて、データが無事であることも確認し、あとはお金を払って新しい機体を手に入れれば帰られる。そのはずだった。


 歯車が狂ったのはショップ店員の親切な一言からだった。


「そういえばお客様、今お使いのプランよりもお客様に合ったものがございますが」


 店員からすれば当然の行動だろう。向こうだって商売だ。しかももしかしたら本当に俺のために提案をしてくれているのかもしれない。


 だがだめだった。


 極度の人間不信に陥っていた俺は、商品の提案をしてくれた店員に、よりにもよって『あの連中』を重ねてしまった。


 父の財産目当てに俺に近寄って来たあの連中だ……


 甘い言葉で囁き、しかし微塵も弔意など感じていないハイエナのような濁った眼差し。拒否感を示すと見せる嫌悪の表情。


「こちらのプランですと――」


 やめてくれ……やめてくれ……! 


 心の奥深くから湧き出る怒りとも悔恨とも恐怖ともつかないどす黒く醜い感情が鼓動を早くする。


 違う、目の前のこの人は別に俺を食い物にしようというわけじゃないんだ……誰に対してもこうなんだ……

 必死に心を抑制しようとするが、それはもうかなわない。深く深く閉じ込めていたネガティブな感情は、抑制されていた分勢いを増して心を支配しようとする。


「変更のおすすめを――」

「やめ――!」

「いいえ結構です」


 大声が出そうになったその時、柔らかな氷のような声がすぐそばから聞こえた。


「「え?」」


 俺と店員さんが同じような声を上げて声の方に視線を向ける。


 お姉さんだ。


 買い物が終わったのか。


「そのプランだとこの子すごい無駄遣いしちゃうんです。ですから変更はしなくて構いません」

「は、はあ……」


 つらつらとそう言ったお姉さんに対して、店員さんは曖昧に返事した。分かるよその気持ち。こっちなんて窓から入って来たんだよこの人。


 でも、そんな言葉が出てこないほど、俺はお姉さんの登場に安心しきっていた。


「失礼ですが、あなたはこちらのお客様の……」

「姉です」

「えっ」

「今お客様が『えっ』とおっしゃったんですが……」

「姉です(断固)」

「はい」

「どうみてもお客様が不服なように見えますけど……」

「じゃあ恋人でいいです」

「えっ」

「『じゃあ』って言いましたよね今!?」

「なによ!? 母親にでも見えるってわけ!?!?!?!?」

「いえそうは申し上げておりませんが……」


 お姉さんの怒涛の攻めに店員さんもげんなりしたようだ。あっさりと俺を開放し、疲れた笑顔で店を出る俺とお姉さんを見送った。絶対いい人だあの店員さん……


 とにかく、俺とお姉さんは一言も話さずにまた電車に乗り、そして家に帰った。



 玄関を潜った瞬間、倒れ込むように俺は地面に膝をついた。

 心臓をかきむしるように手を胸にあて、俺は激しく空えずきする。


「ハァ…………ハァ…………」


 動悸と息切れが堰を切ったように俺を襲った。

 お姉さんは何も言わずに俺の体を支えると、そっと正座して俺を抱きしめるようにした。


「ごめんなさい。私が軽率でした」


 俺の頭を手で撫でながら、お姉さんはそう言った。

 お姉さんの胸に顔をうずめたまま、俺は少しずつ息を整えていった。

 お姉さんの心音に合わせて、俺の心臓も落ち着いてくる。


「ごめんね。もう大丈夫だから」

「…………はい」


 私がいるから。


 とお姉さんはそう言った。

 普段ならきっと軽口で言い返していただろう。

 でもこの時の俺は、ただ黙ってお姉さんの体温を感じていた。

 そうすることでたまらなく安心していた。



 そうしてしばらく、俺たちはそのままの体制だった。





 冬の一日が暮れていった。



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