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ツンデレハーフと失われたスコア ⑤

長くなっちゃいましたけどこれでこのエピソードは終了です。お付き合いいただきありがとうございました。

「あ、それ、多分黒色硝煙の作り方ね」


 食事中にけろっとそう言ったお姉さんに対して、俺のほうは箸を取り落とした。

 カラン……と取り落とした箸が茶碗にぶつかる。


「というかきょーくん……食事中におしっこの話とかしないでほしいんだけど……」


 横に座る夏南は抗議の眼差しで俺を見ている。


「ごめん、気になっちゃって……」

「そしたら鏡太君、その下には灰だけじゃなくてきっとウン――」


 お姉さんが最後の一文字を発する前に夏南の鉄拳が飛んでいき、お姉さんはあえなく轟沈した。

 見慣れた光景なので特に気にせずに、俺は箸を掴み直してその先をじっと見つめた。


 『黒色硝煙』


 言うまでもなく火薬の一種だ。


 まさか……まさかね……


 そう考えながらも俺は思い出していた。そういえば社会科の課外授業で白川郷に行ったとき、蚕の糞で火薬を作って大名に届けることによって副収入としていたっぽい感じの説明を受けた気がする……

 でもキャンパス内で爆弾作るか? ありえないだろそんなの……


 探検部の面々の顔を思い出していると、同時に『熊』『樹海』『イカダ』などの大学生活からかけ離れたワードが浮かび上がっていく。


「や、やりかねない……」

 

 これは一応舞鯛くん辺りに相談しよう……


 余りにも不穏な予感に、その日の夕食は味がしなかった。



 わたし二日間考えた。


 失くしたスコア、平然とする当事者、慌てる妹、不自然な病院への招き入れ。


 すべてに説明のつく答えはあるにはあるが、それを追求するには、わたしはあまりにも部外者すぎた。

 この一連の事件の真相がわたしの想像通りだとすれば、依頼のためにもらった報酬なんて、塵芥にすぎない。


 でも――


「今日来なかったらもうおしまい。今日来なかったら終わりよ、絶対」


 依頼者の女子生徒の顔が脳裏にちらついて離れなかったわたしは、病院前のベンチに座って斉山が現れるのを待っていた。来たら、聞きたいことを聞こう。


 斉山に来てほしいという気持ちとこのまま現れずに真相を闇に葬りたいという気持ちの間で葛藤していると、果たしてチャラチャラした影が病院の前に現れた。


「今日も花蓮に会いに来てくれたんだ」

「いえ、今日は斉山先輩に用があって待ってました」

「へえ、ついにキミもオレのファンになってくれたんだ」

「……」


 わたしが沈黙していると、彼はへらへらとした表情を一瞬、引き締めた。


「いいよ、話そうか」



「スコア、失くしてなんかないですよね?」


 お世辞やら世間話はしたくなかった。だから単刀直入に聞く。


「持ってるんじゃないんですか? 失くしたって周りに言いふらして」

「そうだよ」


 あまりにあっさりと認める斉山に、わたしは逆に言葉を失った。

 え、認めるの?


「よくわかったね」

「い、いや、ちょっとまって……」


 頭の整理が追い付かない。


「じゃ、じゃあ――」


 本当に真相はわたしの想像通りなのか?

 すべてを見透かしたような斉山の表情に、わたしは困惑した。


「今までの先輩の曲はすべて――」

「花蓮が書いたものだよ」

 

 早鐘を打ったかのように心拍数が上昇する。


「花蓮は天才なんだ」


 斉山は穢れのない目でそう言った。


 なら、それなら、


斉山(あんた)は……?



「花蓮は文句なしの天才だ。メロディにしろ詩にしろ、歴史に残る……いや、歴史を作るレベルのものを書き上げる」


 わたしの隣に腰かけた斉山、滔々と語り出した。


「でも、神は二物を与えないってのは本当で、花蓮は歌うことも、ましてや長時間立っていることすらできない。ライブってのは体力勝負だからな」

「それで斉山先輩が代わりに?」

「違うよ。決定的に違う」


 斉山は苦しそうだった。


「『自分の代わりに』オレが演奏してほしいなんて、そんなことを花蓮は一ミリだって考えてない」


 俯いたまま、偽才の男は複雑な感情をにじませる。


「アイツ、完全に『オレのため』に曲を書いているんだ」


 長い髪が顔を隠すせいで、わたしは斉山の表情を伺うことができなかった。


「昔から歌手になるのが夢だった。中坊の頃だって高校に入ってからだって、必死こいてギターの練習してたよ」


 でも、だめだったんだ。


 斉山ははっきりとそう言った。

『だめだった』


「練習すればするほど、分かるのは自分に才能がないってことだけだ。上には上がいすぎるし、下と比べるのはプライドが許さなかった」

「……」

「その時だよ、花蓮が曲を書いてくれたのは」


 花蓮さんは当時から家よりも病院で過ごすことのほうが多かったそうだ。幸い斉山家は裕福だったのでお金に困ることはなかったらしいが、その治療費が負担になっていることは花蓮さん自身も自覚していただろう。


「『いつもお世話になってるお兄ちゃんのために曲を書いてみた』とか言って、手書きのスコアを渡してきたんだ。家族だからそんなの当たり前だってのにな。……最初は正直軽く見てたよ。だって俺は何年も練習して研究してきたのに、花蓮はただの素人だ。いい曲なんて書けるわけがない」

「でも、違ったんですね」

「ああ、とんでもない曲だったよ。大学一年の新歓ライブで演奏した時のあのステージの反応はやばかった」


 膝に体重を乗せるような姿勢になって、斉山は遠くの方を見ている。


「毒だったよ。自分が一気に夢に近づいたような気がした」


 そこからの展開は斉山が言わずとも想像がついた。

 演奏の反応を妹にせがまれて、彼は正直に答えただろう。そして妹は兄の役に立てたと喜び、また次のスコアを手渡す。兄はそれを演奏し、そしてまた歓声を得る。その繰り返しの果てにあるのは――


「あっと言う間に、オレはカリスマさ。『何者』かになりたかったが、自分とは違う『何者』かがもてはやされてるのは、キツイ。でもそれを脱ぎ捨てるチャンスも、もうない」


 卒業したら終わると思っていたが、違う。斉山にはレコード会社からのオファーが掛かっている。


「オレにオファーが来た時、花蓮は死ぬんじゃないかってくらい喜んでたよ」


 その姿を思い出したのだろう、斉山は微笑んでいた。

 少なくとも、斉山の妹への愛情は本物だ。だからこそ、事態はこんなにも泥沼化した。


「ビビったね。この嘘を一生、一生背負っていかなきゃいけないと思うと」

「それで、スコアを失くしたと嘘をついたんですか」


 斉山はしばらく答えなかった。


「ロックじゃないよなあ」

「わたしにわざとバレるような真似をしたのはなぜですか?」


 妹の病室にわたしを招き入れたのも明らかに不自然だ。最初からわたしがスコアについて探っていると知った上で妹にリークすることを期待した行動だろう。


「疲れたから、かな。まあキミが妹の病気のことまで探り当てたことは意外だったけど」


 そこまで言ってから、斉山は立ち上がった。


「キミ、これから時間ある?」

「はい?」


 座ったままのわたしを見下ろして、斉山は微笑んだ。


「終わりにするから、見届けてほしいんだ」



【テレシア:今から大学で一番モテる男と二人きりで人気のない場所にいくわ】


 という謎のLINEメッセージが届いたのは、夕方の六時に近付いた時だった。


 俺はいよいよ明日に迫った大会のために準備をしていたところだった。


【鏡太:どういうこと?】

【テレシア:そのままの意味よ。斉山と大講堂で二人きりで過ごすの】


「斉山って、『REVOLVER』の……?」


 依頼の件だろうか。進捗があるようで何よりだが、なぜこんなメッセージを俺に……?

 というか、大講堂?


 二日ほど前にお姉さんに指摘された黒色硝煙の話がチラつく。一応舞鯛くんには相談したけど、対応は大会の後にすることにしている。


【鏡太:なんでそれを俺に……?】

【テレシア:バーーーーーーーーカ!!】

【鏡太:???????】


 めちゃくちゃキレられた……なんで?


【テレシア:火遊びしまくちゃんだから。後悔しても遅いわよ】


 火遊び!?


 俺は慌てた。万が一火薬に引火するようなことがあったら……


【鏡太:だめだめ! 絶対ダメ! 今すぐやめて!!】


 慌ててメッセージを送るも、テレシアからの連絡はそこで途絶えた。

 火薬の件をメッセージで説明しても、既読すらつかない。電話を掛けても出ない。


「う、うそだろ……」


 俺はLINEのトークルームを素早く切り換えた。



【鏡太:だめだめ! 絶対ダメ! 今すぐやめて!!】


 そのメッセージを見て、わたしは満足してスマホを鞄にしまった。


 ふん……鏡太なんて不安でどうにかなっちゃえばいいのよ。


(でも……妬いてくれるんだ)


 この状況にむしゃくしゃして思わずあいつにメッセージを送ったが、これですっきりした。……鈍いのはムカつくけど。


 スマホから着信音がなっているが、無視だ。徹底的に不安にさせてやる。


「そろそろキャンパスだな」


 斉山が電車の扉に寄りかかって窓の外の風景を眺めながらそう呟いた。今となってはそのカリスマ性が偽物だとわかったが、それでもキザな言動がよく似合う男だと思った。


「……本当にスコアを燃やすんですか」

「本気だよ、オレは」

「最低」

「なんとでも言ってくれ」


 オレが一番そう思うから。


 斉山は窓の外を覗くのをやめなかった。



 キャンパスに着いた頃にはもうすっかり辺りは暗くなっていた。

 大講堂に向かって、わたしと斉山はゆっくりと歩みを進めていた。

 

 驚くほど静かな時間だった。


「なんで大講堂なんですか」

「そこが卒業ライブの会場だからね。『カリスマ』の俺はそこで死ぬのさ」

「……」


 うっざ……


 この性格はもしかして嘘とか関係なく『素』なのかしら……


 そのまましばらく二人で歩いていると、いよいよわたし達は大講堂の裏にたどり着いた。雑木林のようになっているところだ。大講堂の設備が密集していてなんだか暖かい。


「よし、ここで燃やして、そして埋める」

「あの……やっぱり考え直しませんか」

「いやだよ」


 きっぱりとそう言って、斉山は地面を物色し始めた。


「うーん、この辺でいいかな。お、スコップが落ちてる、なんでだ? まあいいや、穴を掘っておこう」

「妹さん、傷つきますよ」

「重々承知の上だ」

「それでもいいって言うんですか」

「……キミが黙っていれば、花蓮は傷つかないよ」

「じゃあなんで呼んだんですか」

「……」

「一人じゃ背負いきれないからですよね」


 なぜかその辺に落ちていたスコップで地面を掘っていた斉山は、わたしの問いに答えなかった。


「下らないですね。腑抜け、ヘタレ。惨めすぎて見てられません。わたし、帰りますね」


 こんなことに付き合っていられない。花蓮さんには悪いけど、ここは当事者同士で解決してもらおう。

 わたしは踵を返した。


「安心してください。こんなこと、誰にも言いふらしたりしませ――きゃっ!?」


 振り返って歩き出そうとしたところで、わたしは目の前に突然現れた人影に飛び上がるほどに驚いた。


 暗闇でも目立つ髪のメッシュ。そして会うたびに違う色のカラーコンタクト。


「う、宇津木さん……」

「今の話、どういうことですか」


 いつの間にかその場にいた宇津木さんは、明らかに怒りの感情を滲ませていた。


「今までの斉山先輩の曲、全部妹が書いてたってことですか」

「う、宇津木さん、これには事情が――」

「全部嘘だったってことですかッ!!」


 夜の講堂裏に悲痛な叫び声が響く。


 激情に体を震わせる少女に、わたしの声はもう響かない。

 

 この場にはもう、偽物のカリスマとそれに魅せられた少女しかいない。


「これまでの感動も……自分に言ってくれた『才能がある』って言葉も……全部、全部嘘だったってことですか……?」


 宇津木さんは怒りを通り越して、もうすでに泣き声だった。

 声の先にいる男は無言でスコップを放ると。完成した墓穴の淵でこちらを振り返った。


「嘘もあるし、嘘じゃないこともあるさ。宇津木、お前には才能がある。歌だって、ベースだってな」

「そ、そんなのッ! 信じられないッ!」

「宇津木さん……落ち着いて……」


 今にも斉山に掴み掛りそうな勢いの宇津木を、慌てて押しとどめる。


「オレが嘘をついていたのは、オレに対してだけだ。それも今日で終わりだけどね」


 そう言って、斉山はジーンズの尻ポケットから折りたたんだ紙切れを取り出した。

 あれは……スコアか。


 斉山はそれを穴の上に掲げると、胸ポケットからライターを取り出した。

 それを見た宇津木さんがわたしの腕の中で暴れ出す。


「や、やめ――」


「「やめろーーーーッ!!!」」


 しかし、やめろと叫んだのは宇津木さんじゃなかった。

 駅の方向、わたし達がやって来た方から、二つの声が重なって聞こえてくる。


「今すぐそこから離れろーーー!!」


 この声……鏡太!?


 目を凝らすと、闇の向こうから全力で駆けてくる二人分の影が見える。小柄な方は間違いなく鏡太だ。そしてもう片方は……確か『探検部』の依頼で来ていた男子だ。


「火を着けるなっす!」


 しかし、追い詰められた斉山がその声に従うことはない。彼は計画通り、手に持ったスコアにライターで着火した。それをそのまま穴の底へ放る。


「ぐ……だめか!! テレシアッ!! 伏せろッ!!!」


 こちらまで駆けつけた鏡太が、勢いよくわたしを地面に押し倒して、そのまま覆いかぶさるようにしてきた。


「ちょ……ちょっと! いくらなんでもここまですることないじゃない……!」


 確かに故意に鏡太を煽るようなメッセージを送ったけど、こんなに嫉妬するなんて……コイツがこんなに積極的な男だったなんて……


「でも初めてがこんな講堂の裏の雑木林の地面なんて嫌よ……もっと雰囲気とかあるじゃな――」

「テレシア!」

「ひゃいっ!」

「耳抑えてて!!」

「へ……耳?」


 目をつむるんじゃなくて!? どんなプレイ!?


 混乱するわたしの視界には、深刻な表情の鏡太と、探検部員の男子に覆いかぶさられた宇津木さん、そして穴に落ちていく燃えたスコアが映っていた。



 一瞬だった。

 百発の雷が一度に落ちたかのような轟音が地面から響き、遅れて熱風と土砂が吹きすさぶ。


 わたしは多分叫んでいたが、その自分の声が分からないほどに辺りは爆音に包まれていた。


 さておき、この時のことはよく覚えていない。

 後々まで覚えているのは、辺りに静けさが戻った後、土まみれになりながら嗚咽を漏らす宇津木さんと、呆然とするわたしに声をかけ続ける鏡太の真剣な表情だけだった。



 斉山は一命を取り留めた。

 そして彼はそのまま、大学付属の病院、すなわち彼の妹と同じ病院に入院することになった。


 複数の骨折に加えて火傷、打ち身、捻挫に打撲と怪我の数は数えきれないが、彼にとって最も打撃が大きいのは鼓膜の損傷だろう。


 しばらく治療に専念すれば鼓膜は直るが、それは卒業後になりそうとのことだった。


 彼はもちろん卒業ライブには出られないし、その卒業ライブ自体が、爆発に伴う大講堂の設備破損のせいで中止になる見通しだ。

 皮肉にも、斉山が最も欲しがっていた『猶予』が、彼には与えられたというわけだ。


 病院では妹と話す機会も沢山あるだろうから、まあいろいろと向き合ってほしい。お互いあれだけ愛し合っていればそう難しい問題でもないだろう。


 問題は宇津木さんだった。


 憧れを失った彼女は、これからどうしていくのだろうか。


「……本当に、どうしてこんなことになったのかしら」


 心配なので、これからもたまに彼女の様子は見てあげよう。

 わたしは溜息をついた。


 それより今は――


「おつかれ」


 ずぶ濡れで陸に上がって来た鏡太を迎える。


「ぜぇ……ぜぇ……ありが、とう……ぜぇ……」


 息も絶え絶えだ。

 イカダ川下りの大会とやらで、探検部チームはぶっちぎりでゴールしていた。


 へとへとになった鏡太とは対照的に、熊みたいな男子と例の依頼者の男子は余裕そうだった。鍛え方が違うらしい。


「そうねえ、昨日のこともあったし、わたしもお礼にあんたのこと応援してあげてもいいかなって思ってここに来たわけだけど――」


 わたしは辺りを見回した。参加チームの様々なイカダが並んでいる。猫バスを象ったもの。大胆にも炬燵を積んだもの。見るも華々しいそれらの中で、探検部のイカダはただの発泡スチロールの塊だ。


「あんたたち、ちゃんと参加規約呼んだ?」


 土手に仰向けになった鏡太にそう声をかける。


「俺は……読んで……ない……」

「そう、ならわたしが読んであげる」


 わたしは手に持った参加規約の紙を指し示しながら、声を出したその部分を読み始めた。



「『優勝は、レース順位と見た目の芸術点を合算して算出される』」



 探検部チームは、22チーム中の16位だった。



「ほの暗い欺瞞とは、明るいお付き合い……」



 鏡太はそう呟くと、満足そうに眼を閉じた。


 その日はよく晴れていたと思う。

感想……感想がほしい……です……

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