ツンデレハーフと四月九日 中編
「ここが僕たちの活動拠点なんだ」
わたしが連れてこられたのは、大学のキャンパスから電車で二駅の場所だった。
二階建ての一軒家の窓からは、すでに光が漏れている。
「そう、ですか……」
正直、大学の喧噪を離れて、この男と二人きりになったときにはすでに不安を覚えていた。人気のない道を歩いているときも逃げ出そうかと考えたが、正常性バイアスもあって彼から離れることができずに、結局はここまで付いて来てしまった。
「大丈夫だよ。君以外にも新入生はいるからね」
こちらの不安を見透かしたようなことを言いながら、男は一軒家の扉を開いた。
❤
男の言う通り、彼が活動拠点と呼んだその家には何人かのサークル員とその半数くらいの新入生と思しき男女がいた。新入生かどうかはすぐわかる。サークルメンバーは皆、わたしをここに案内した男と同じような笑みを顔に張り付けているからだ。
「僕は準備があるから、君はくつろいでいてよ」
ピクリとも変化しない笑顔でそう伝えると、男はわたしをリビングスペースにおいてどこか別の部屋へ行った。サークルメンバーから恭しく会釈されているところを見るに、サークル内ではそれなりの地位がある人間なのだろう。
「……」
これを機にこっそりと抜け出してしまおうか。
ちらりと出口の方を見ると、ちょうどサークルメンバーの一人が玄関をふさぐように立ったところだった。
まずい……
わたしは背中に冷や汗をかいているのが分かった。
(やっぱりさっき家に入る前に逃げ出すべきだった!)
こうなればもう、なにか理由をつけて穏便にこのサークルを抜け出すしかない。
体の内側から湧き上がってくる怖気を飲み込むようにしながら立ち尽くしていると、わたしの方に誰かが近づいてきた。
背の高い女子だった。
あどけない顔をしているから、おそらくは新入生だろう。長い黒髪をふわふわと揺らしながらこちらへ向かってくる。
「もしかして、元禄大学の学生?」
女子にしては声が低い。一人で立ち尽くすわたしを心配してくれているのだろうか。
いずれにしろ、この場で一人でいるのは不安だったから、半ば縋るような気持ちでわたしは彼女の質問に応えることにした。
「ええ、そうよ。あなたも?」
「うわ、日本語上手だね」
童顔を憧憬に染める彼女に、わたしはなぜかひどく安堵を覚えた。留学生と間違われるのは正直うんざりだったが、彼女の悪意のなさがわたしの震えを収めてくれる。
「ハーフなの。別に留学生というわけではないわ」
「あ……そうなんだ。ごめん、失礼だったね」
「いいのよ……来栖宮・E・テレシアって言うの。テレシアって呼んで」
「テレシアかあ、きれいな名前だね。俺は八咫野って言うんだ。こっちこそよろしく」
(……俺?)
彼女の一人称にひっかかる。『俺』って確か男性の使う一人称よね? わたしがスウェーデンに行っている間に女子の間でも『俺』というのが流行っていたのだろうか? 女子の流行は突拍子もないもの……おかしくはないわね。
特に目の前の八咫野さんは背も高いしどことなく男性的だから『俺』と言っていても違和感がない。これもファッションの一部なのかもしれない。
「サークルは結構見た?」
「いえ、あんまり……」
指摘するのも失礼な気がしたので、わたしはそのまま彼女と会話を続けることにした。
「いろいろあって迷っちゃうよねえ」
八咫野さんはうんうんと頷きながらそう言った。
「GCってサークル、ひどいんだよ? なんか服飾とメイクのサークルらしいんだけど、俺をみるやいなや部室に引きずり込んでこんな格好をさせて来たんだ」
彼女はぼやきながら腕を広げた。
「とてもよく似合っていると思うけど……」
「嬉しくない……」
「メイクも完璧じゃない」
「もっと嬉しくない……!」
「?」
どこからどう見ても美少女だ。童顔と身長のアンバランスさが逆にセクシーでもある。
彼女の魅力を引き出す『GC』というサークルの技量は確かなものに思えた。
「挙句の果てになんか呼び出しをくらったらしくて、俺の格好もこのままでどこかに消えちゃうし……はあ……」
「……大変ね?」
「本当だよ……変だと思われないか心配でキャンパスの隅っこにいたらここのサークルの人に話しかけられて、うかうかしてるうちに連れてこられちゃった」
どうやら八咫野さんもわたしのように連れてこられた口らしい。仲間がいてほっとする。
「八咫野さん。その……初対面のわたしが言うことじゃないかもしれないけど」
「うん?」
「あなた、もっと自信を持ってもいいわ。とても美人だもの」
「…………」
八咫野さんがこの世の終わりのごとき悲しい顔になった。
……わたし、なにか間違ったことを言ったかしら?
「はい。それではみなさん、時間になりましたので歓迎会を始めたいと思います」
そんな声がリビングに響いた。
例の男だ。
「僕の方からサークルの説明をするので、みなさんリビングの真ん中のほうに集まって座ってください」
彼の呼びかけに答えるように、リビングにいたサークルメンバーたちが、同じような動作でわたし達を囲い込む。
「……ちょっと、ここ怪しいよね」
彼らに聞こえないように、八咫野さんはわたしに耳打ちした。
「……ええ」
同じように小声でそう答えると、彼女は真剣な目でわたしに視線を送った。
「一緒に警戒しよう」
わたしは頷いて、そして彼女のそばに腰を下ろした。
わたしをここまで連れてきた男が、いよいよ口を開く――




