#1.play
「人は9回夢を見る」
この文を見て意味を理解出来る方はいるだろうか。
この文を詳しく説明すると、人は1度の就寝に9回夢を見るのである。
就寝時間は正常とされる7時間と仮定して、その7時間の間でレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返し行っている。レム睡眠は体を休ませ眼球運動が起こっている睡眠、逆にノンレム睡眠は脳を休ませ覚醒前の深い睡眠である。それぞれの睡眠が交互にある一定の周期で繰り返されそれぞれで夢を見るのだが、その周期が1度の就寝に約3~5回ある。それを考慮すると人は約9回程の夢を見ていることになるのである。
大抵の人は通常夢を見てもはっきり全ての夢を語れるほど覚えてはいない。特にノンレム睡眠の場合は平凡で説明できないような内容の夢が多い。
しかし、この私は稀なケースのようで鮮明に全ての夢を覚えている。勿論、毎日。
例えば今日見た夢はこんな感じ。
まず愛犬に舐められる夢、蝶を捕まえる夢、職場の人からちやほやされる夢、美味しいパン屋を見つける夢…といった具合だ。
もしかしたら一種の病気なのかもしれないが、生活に支障は出ていないので困ったりはしていない。
…いや、困っていた。
いや、違うのだ。夢を覚えているということ自体には何の問題もないのだ。問題は別にある。
私は正夢を見るのだ。
9つあるうちの1つ、それは確実に正夢になる。
つまりそれは予知夢、未来予言。
この能力を持っていて羨む輩は数えきれないほどいたが、残念、現実はそんなにいい事ばかりではないのだ。
何故なら例えいい出来事の正夢だとしても、こうなってしまうのかと分かってしまい楽しみがいが無い。まず吉兆の正夢はほぼ無いけれど。逆に悪い出来事の正夢は回避なんて中々出来ることは無いのだ。
その出来事が起こるから正夢を見る。起こることは起きないことには出来ない。つまり未来はほぼ変えるのは不可能ということだ。それに9つもあるうちの1つだけなのだから、どれが正夢になるのかが分からなければ回避しようとしても変えられるわけがない。
それに気づいてから今まで幾度となく試してみたが、後の祭りだった。「あ、やっぱりやっちゃったな」って思って終わりだ。
今日の場合はこれだった。
グシャッ。
白い卵の殻が割れ中からドロっとした黄色と透明な液体が滲み出る。
「あー…最悪」
やってしまった感とやっぱりこれだったのかという後悔の念が心を渦巻く。
ひょっとした事だったのに、手から滑り落ちた卵は重力とやらに吸い寄せられあっけなく床に叩き散ってしまった。
卵を割ってしまうと後片付けが厄介だ。何せドロドロした中身は拭い取りにくいし、臭いも残る。早急に対処せねば跡も残るし、臭いが部屋中に充満して暫く嫌な気分を味わいかねない。
そう思いながら手早く雑巾掛けをし、アルコールを卵を落とした辺りの床に吹き付けて始末した。
まあ、今日の最悪な正夢はもう終わったので後は何事も無く過ごせられる。
額を拭って一息ついていた時、スマートフォンが着信音が鳴った。
「この人……まただ。」
スマートフォンを取り画面に浮かび上がった通知を見てみると、脳裏に残る文字があった。
『碧の牆壁』
以前にも不審な通知があった。
全く知らない人から一方的に来た通知。
自分との接点はなくても今のマスコミュニケーションには友人から飛んで繋がることが出来る。間接的な関係から直接的な関係に繋がってしまう、或る意味恐ろしいものだ。
その間接的なルートで私に繋がったとしたら、他の友人を辿れば経緯がわかる。
そう思って考えられるべき友人に尋ね手当たり次第探った。
しかし皆「そんな人は知らない」との一点張り。
その発言は嘘かもしれない?いいやそんなことはない。それも考慮し私は別の方法でも調べて置いたから。
そう、証明可能な方法で。
それでもχ(カイ)という者との繋がり(ルート)は見つからなかった。
代わりにその人物の別の情報が入った。
『χ(カイ)という名前の謎の情報屋がいる』
謎の情報屋。何でも依頼主からの依頼があれば、どのようなことでも受け入れ応えるという。
しかし、誰が調べてもそのアカウントの人物の詳細、言わば個人情報の一つも手に入らないという。
都市伝説かと思ったがどうやら存在するらしい。
今私の手中にあるスマートフォンの通知がそれを物語っている。
スマートフォンの画面をタップし通知からサイトが開く。
χ)<「こんにちは。あなたと話したいことがあります。」
そう綴られた言葉には何かを揺るがすような気配が感じられた。
これは罠だ。
普通に考えて不審すぎる。誰がどう見ても全く身に覚えのない人間からのメールは怪しく、返事をしてはいけないものである。
だが私は次の一行で返事をしなければならない使命感を感じた。
χ)<「あなたのお姉さんである橘木李子さんの死の真相について自分は知っています。」
私は戦慄した。
目を見開いてその一行を刹那の間に何度も読み返し、何かの間違いじゃないかと焦燥した。心拍数が測らずとも上がっていくのを感じた。
何故この知らない人物が私の姉のことを、姉の死を知っているのか。
そして私の知らない姉の死の真相を知っている理由もそうだが、その事について私自身も探求心が芽生えてしまった。
だが、慎重にならなければならない。
どんなに焦っていても冷静にならなければならない。これはネット上での常識だ。
『知らない人物に自身の情報を毛の一本でも渡してはならない』
ある科学者がそう言っていたのをモットーにしている。
毛の一本でもその人物の遺伝子(DNA)情報が全て明らかになることから、そのような名言がある。
確かにこのχという人物は私の姉、橘木李子の死の真相を知っているのかもしれないが、どこまで知っていて私を揺さぶっているのかわからない。
取り敢えず返事はせずに相手のことを探ろうと思う。
先刻述べた証明出来る方法を使って。
まず相手のアカウントから発言や今までに利用した「FFC」内での部屋を探る。これは一般人でも簡単に出来ること。
次に相手が「FFC」へのログイン方法から端末を特定する。これについてはネットハッカーでなければ出来ない技術である。
5分程して相手の個人情報を探ってみたが、どうやら相手はあらゆるネットカフェのパソコンを使用し個人を特定出来ないようにしているようだ。
これは中々厄介かもしれない。
しかもどうやらこのχという人物、一つのアカウントではなく複数存在することが分かった。
別の部屋でそっくりなアカウントがあったが、ログインIDが別物だったことから発覚した。
「この人、一体何なの…。」
私は飛んでもない怪物に話しかけられたようだ。
それから30分間程、探りに探ってみた結果だが、相手のアカウント内の情報を探っても謎が深まるばかりで一貫した人物特定は出来なかった。
それも相手は演技が巧妙なようで、アカウントによってキャラが違う。
例えば、一人目のアカウントは青年で、二人目のアカウントは主婦、三人目はサラリーマン、と言った感じだ。
まるで多重人格者に化かされた気分だ。
スマートフォン画面に向かって項垂れていると、新たなχからの通知が来た。
χ)<「もう折れたらどうですか?自分を特定するなんて死ぬまでかかりますよ」
「…こいつ」
挑発とも取れる発言。それに探っていることがバレている時点で私の負けだ。ここまでずっと高みの見物をされていたのだ。
「どう足掻いてもあなたに従わなきゃならないようね…」
今までこんな屈辱を味わったことは無かった。
私以上のハッカーが居るとは…。
「…ふぅーっ」
大きく深呼吸をして私は覚悟を決めた。
素早く画面に言葉を打ち込む。
庵)<「あなたの話を聞きましょう。」
会話と交渉が初めて成立した。
ものの5秒で返事が返ってきた。
χ)<「その答えを聞けて嬉しいです。よろしく、画面越しの相棒。」