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流れる   作者: 白石 瞳
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第10話 真理子の鍵

 ピーターはイタリアでの写真を見ながら無邪気に喜んでるかと思うと、私の隣に座って手を取りキスをした。いつものように私の髪を優しくなで、おでこや目の横に軽くキスをすると、気持ちがたかまってきたようだった。


 私を抱きしめてくれたのはいいけれど、まるで男の子っていうか子供になったように顔をくっつけてくる。ジャレてくる可愛い子犬のように。

 私も同じように彼のおでこにキスを返して髪をなでた。


 好きな者同士が求めあう。私のため息も女としてなのか、それとも母親みたいなものなのか曖昧だったけれど。そう、それは、なんとなく「愛してる」というよりも「いとおしんでいる」みたいなもの。

 でも彼は私に触れたがり、肌を重ねることになった。私も「母親」の気分から「女」に変わり、彼を受け入れたのね。


 ジャズをリピートにしておいて良かったわ。私は彼を欲しがってる。

 心は、心はどうなのかしらね。

 いいのよ、心はどうかなんて。理性ではわからないこともあるのよね。きっと考えても仕方がないことって、あるわよね。ねぇ、ピーター?


 ***


 男と女。

 惹かれあえば1つになるってことは小学校でも習うこと。sexは人の自然な欲望だわ。

 子供を残していくためのもの。それから男と女2人の愛情表現の1つ、コミュニケーションとも言うのかしら。


 だけど、一方がそんな気持ちじゃないことがある。それは、相手のことが嫌いになったわけじゃないけれど、肌を合わせたくない日とか気分の時とか。

 女性はホルモンのリズムでもそんな時があるし、天気が雨の時って憂鬱ゆううつでしょ、何かするのも億劫おっくうで動きたくないっていうような。そんな時は肌を重ねたくない時があるわよ。

 男性だと、仕事の残業で遅くなった時やプロジェクトで自分の案が通らなくて落ち込んでる時とか。


 勿論、相手のことが嫌いで拒否してしまうこともね。

 どちらにしても、2人の気持ちが一致して「1つになりたい」って思えないような無理なことを「してしまう」と、もっと心が離れてしまうことがあるのよね。肌を重ねること以外でも。

 ダンスのステップみたいに。気分がのらないのに踊るとミスをしてうっかり足を踏んでしまったり転んでしまって、そのワンシーンだけのせいで後々、嫌になってしまうの。



 私とピーターが1つになって感じたのは、彼とのsexにだったのかしら。それともジャズの声とトランペットの切ない音が絡み合い、私の気持ちまでが揺さぶられてしまったのかしらね。まるで私が「曲」になって踊り出してしまったように。

 変だわ、こんなこと思うなんて、私ったら。ピーターのことが好きだから、だからよ。


 シャワーを浴びながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。

 彼は寝てしまってるから鼻をつまんで起こす。


「ねぇ、劇団に遅れてしまうわよ。」

「ん。そうだ。」


 彼は急いでアールグレーを飲むと、荷物を持って出て行こうとする。


「そうだ。ここの部屋の合鍵が欲しんだけれど。

 そうすれば、真理子さんの方が早く来なくてもいいでしょ。」

「・・・合鍵は持っていないわ。

 ここのコピーを作るのに管理会社を通すことになってるし。」

「それって難しいの?」

「許可申請を書いたり、コピー代金も高いのよ。

 鍵を失くした時にも面倒だし。」

「残念。」

「ごめんなさいね。あっ、ほら。時間よ。」



 私は、自分の心の中に無意味に踏み込まれることは嫌いだわ。私の領域に入られるのはね。


 合鍵が欲しい? それが、どういう意味なのかピーターはわかってるのかしら?


 失くされるのが心配ってことなんかじゃないのよね。なんていうのかしら、この部屋の鍵を持つことを勘違いされてたら困るのよ。「2人の愛の巣」とでも思われていたら滑稽こっけいだわ。


 ここは、私だけの空間なのよ。父がくれた私の居場所。


 彼には私の父と母とのことをしっかりと話してないから、私の気持ちがわからなくても仕方がないんだけれど。ううん、両親のことなんて関係がなくて、とにかく私の領域に土足で入ってこられるような気がするの。

 それに、言ったはずなのよね、夫にもこの場所のことを教えてないってこと。


 ***


 彼の折り畳みの傘が忘れられていた。雨は降りそうにないし、今度来た時でもいいのかしら。

 メールしても反応がないし、追いかけても遅いとは思ったんだけど近くにいたらラッキー。

 私は傘を持って下に行くと横断歩道の向こう側の信号機の近く、電柱に彼が寄りかかていた。


 聞こえるように口に手をあてて叫ぼうとしてストップした。若い女性が彼に近づいたから。彼女も大きめのバッグを肩からかけているから劇団の仲間かしらね。傘は今度にすればいいわ。


 マンションに入って行こうとした時にふと振り返ると、その若い女性とピーターは腕を組みながらはしゃいだりして。

 そして、彼は彼女のおでこにキスをしてる。挨拶のキスかしら・・・違うわ。2人は唇も重ねて笑いながら手を繋いで歩いていった。

 まるで子供がスキップするみたいに楽しそうに歩く2人。きっと今日に始まったことじゃないような気がする。誰が見ても恋人同士だわ。

 嫌だわ、私を抱いた手で違う女性の手をとるなんて。


 幻を見てるのかしら。彼がさっきウトウトしていたように私まで眠ってしまっていて、その夢かしら? いいえ、現実だわ。

 私は・・・何を見たの?


 ***


 私はオートロック画面に鍵をあてようとして、うっかりそれを落してしまった。

 吐き気のような感じ、胃がむかむかする。鍵を拾おうとしてしゃがむと立ち上がることが出来なくて尻もちをついてしまって。

 なんだかお腹までが痛くなってきたわ、生理が近いのかしら。



 合鍵のことも父が逝ったなんて嘘をついておいて良かった。本当のことを言わなくて。

 信用していたのに、いいえ、どこか疑っていたのかもしれないわ。彼の甘さに気がついていたから、それが疑いになったのよね。


 信頼関係って、築くのにはとても時間がかかる時がある。

 会社にしても顧客を増やしていく時には、どう上手く説明しても受け入れられるとは限らない。それは商品が要らないから拒否されるということもあるかもしれないけれど、人としての誠意の問題も関わることが多い。

 大きく積みあがられたプラスティックの玩具。ピラミッドでもビルでもいいわ。

 それが「積み上げられた信頼」だとして、つい「ここのブロックの色を変えてみよう」って全体を考えもしないで1つ抜いてしまう。そして、ピラミッドが崩れてしまう。


 嫌だわ、ピーター。

 貴方は間違ってるわよ。私に触れた後で別の女性に会うなんて、別の女性に会う前に私の部屋に来るなんて。

 どうしたら、そんな無神経なことが出来るのかしら。それに貴方をとりまく女性って、一体何人いるのかしらね。

 でも、残念ながら貴方は複数の女性と関係した光源氏のようにはなれないわ。責任感がないんだもの。


 夫の渡も、いつも安っぽいボディソープかコロンの匂いをつけて帰るおかしさがあるけれど、男達って、どうしてこんな風になるのよ。


 ねえ、ピーター。私ね、光源氏に育てられた紫の上のように忍耐強くて我慢する女っていうのも嫌いなのよね。例え、1番好かれていてもね。

 自分好みに育てられること自体が嫌だしね。逆にね、私が男性を育てるっていうのも嫌なのよ。

 お互いに支配したり拘束するのは。


 だけど、ほら、男としてっていうのかしら。人としてのっていうのかしら。ああ、男ね。

 プライドのかけらもない貴方をちょっと刺激したくなってきたわ。育て上げるってことじゃなくて。


 源氏は、朧月夜の君と会っていて、彼女が別の男性と結婚してからも関係は続いていたのよね。結婚相手は、帝。1番位が高い男性で源氏は反逆罪と言われたのかしら。

 その罰として、明石という寂しい場所に流されて。


 ピーター、貴方って・・・源氏のようにどっしりとはしていないから心苦しいんだけど。


 だから、さあ、どうやって貴方に罰を与えましょうか。

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