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破壊の風、剣を担いで世界を征く  作者: ぱんだ茶漬
第一章 壁の街での出会い
9/31

9. 夕暮れの風

「おじさん、これも持ってくんでしょ?」

「あー、すまんねぇ」

「この樽、ここに積んどくからな?」


 ライエンとエレナは、宿の前に止めた農夫の荷車への荷物の積み込みを手伝っていた。

 前回訪れた際に置いていった空の樽や、市場で仕入れた魚の塩漬けなどを積み込み終えて、


「じゃ、おっちゃん元気でな」

「お元気でー」

「おう、ありがとうよ」


 ひらひらと手を振ってエレナとライエンが中に引っ込むのを、農夫は相好を崩して見送る。ちょうどそこに、出かけていた女将が戻ってきて農夫と話し始める。

 その様子を離れた物陰からそっと監視する男たちがいた。


 空の樽は、人を一人運ぶのに十分な大きさがある。

 荷車の下に張り付けば、気づかれずに逃げられるのではないか。

 走り出した荷車に飛び乗れば、素早く逃げられるのではないか。


 男たちは、朝から夜長亭の前に止まりっぱなしの荷車を、ずっと警戒していた。

 あれほどわかりやすい逃亡手段もない。

 ようやく出発するようだが、最後まで気を抜けない。ピリピリした空気を漂わせる男たちの視線の先で、農夫が御者台に登った。

 荷車を引くろばに鞭を当てる。

 沈黙。


「おいこらー、さっさと帰るぞ」


 農夫がぺしぺしとロバを叩くも、叩かれたロバは涼しい顔。いくら鞭を振るってもロバは動き出さず、押したり引いたり宥めすかしたりすることしばし。

 びゅう、と風が吹いて、辺りに砂埃が舞った。男たちも一瞬視界を奪われる。

 風に驚いたのか、ロバが一声いなないて動きだした。ようやく動きだした荷車は、夜長亭から遠ざかっていく。

 通りを曲がって消える荷車を見送った男たちは、再び出入り口の監視を継続する。



 しばらくして、ライエンとエレナは荷車の上の樽の中にいた。

 手品の種は簡単。

 出入り口が見張られている間に、他の場所から脱出して、監視のいない場所まで移動してから合流しただけの話だ。

 夜長亭の側面には窓はなく、出入り口は二つ。客が出入りする正面の入り口と、主にごみを捨てる裏口だ。男たちはこの二つの出入り口を複数の角度から監視し、出入りする全てを猫の子一匹漏らさず監視していた。

 監視体制としては完璧だった――昨日までならば。

 夜長亭には、今日の午前中にもう一つの出入り口が作られていた。

 


 時は少しだけ戻る。


 農夫と女将が監視の目を引いていたその裏で、ライエンはエレナの手を引いて階段を駆け登った。

 屋根裏部屋に登り、応急処置として貼った板を引きはがし、夜の色へと変わりつつある空への出口を開く。

 ライエンはそっと頭を突き出して、夕暮れの街角に隠れた監視役たちが、屋根に注目していないことを確認する。

 素早く屋根に上がり、二人分の荷物を受け取って背中に担いで、エレナを引き上げてやる。

 少し顔を強ばらせて縮こまっているエレナに、大丈夫だからと声を掛けて、ライエンは彼女を横抱きに抱える。


 夕暮れの空に近い屋根の上の風は少し冷たくて、そのせいで腕の中のエレナの体温がより暖かく感じられて、少しライエンの胸の内側も温かくなる。ライエンの腕の中で、エレナが力を抜いた。ライエンは小さな声で、言い聞かせるように、


「ちょっと跳ぶけれど、大丈夫だから」

「――はい。信じてます」

「俺が魔力を引き出したら、瘴気の始末だけお願いね」

「はいっ」


 いい子だ。

 そう心の中で呟いて、ライエンは意識を体の内側に沈める。


 己の胸の中央の霊的器官、心核と呼ばれるそこは、ライエンの感覚では拳大の灰色の球状をしている。外形は球だが完全ではなく、ところどころ穴が空いていて、灰褐色の骨組みのようなものが観える。その骨組みも球を完全には覆っておらず、ところどころ欠落していて、欠けている部分の周囲は赤黒く変色している。


 球体の外見は小さいが、その内側は無限に広く感じられる何もない空虚な空間だ。その中央にライエンは緑色に輝く物体を意識で描き出した。四つの三角形の面からなる、一般には正四面体とよばれるそれを、ライエンは意識で殴って軽くぶん回す。

 正四面体が高速で縦横に回転して、その頂点の軌道に沿って緑色の光と闇が生まれる。光と闇は瞬く間に球状の空間を満たし、外へと溢れ出す。


 己の内側に向けた意識の外側で、ライエンはエレナが喉を鳴らすのをわずかに感じた。闇が消え、ライエンは緑色の光に意識を向ける。


 ――ちょっと魔力が多すぎたかな?


 自らが抽出した魔力を、ライエンは魔法に振り分ける。この段階では、魔力はまだライエンの体内にあり、外部からは視認できない。

 外部に魔力――正確には魔法光と呼ばれる光――が見えるのは、魔法の発動時と使い切れずに残った魔力が消失する時だ。今は、その光が見えるのは都合が悪いが、隠す方法はある。


 ライエンは、普段よりもゆっくりと時間を掛けて魔力を体外に引き出し、空中に風に舞う多くの木の葉のような文様――魔法式を綴る。魔法の構築に時間を掛けるのは、師匠直伝の魔法を隠蔽する技術の一つだ。これで遠くからの知覚が困難になるが、魔力の消費は激しくなる。

 じっくりと魔法の準備をしたが、それでもまだ魔力が余った。

 屋根を渡るのに風を起こし、跳躍を補助するためだけに使うには、残りの魔力が多すぎる。全てを風の強化に使ったら、きっと通りの端まで跳んだ挙げ句、落っこちるだろう。

 かといって余剰の魔力を放出すると、それは魔法光を生じて、さすがに監視の男達の目に付く。


 ライエンは少しだけ考えて、他の方向の風を編むことにする。跳躍を助ける風の他に、監視役がいる路地の上空から真下に向けた風を準備した。


「行くよ」

 

 エレナを抱えたまま、ライエンは屋根の縁を蹴って宙に飛び出した。同時に、風を一斉に吹かせる。


 ふたりは夕暮れの空をまるで道でもあるかのように渡り、隣家の屋根に音も無く着地した。

 そのままの勢いで、一歩、二歩、三歩でその家の屋根を駆け抜けて、さらに隣の家へ。

 屋根に着地してうずくまったふたりを、魔法から解放された風が追い抜いて、エレナの金髪を優しく揺らして夕暮れの空に駆け抜けていった。


「大丈夫――?」


 ライエンは、腕に抱えたエレナの顔を覗き込む。

 エレナは目を輝かせて、興奮した表情で空を見ていた。


「エレナ――?」

「すごい……。わたしたち、ほんとに空飛んでましたね」

「うん。魔法だからね」


 素っ気なく応えて、ライエンは屋根の上にある麻縄の輪をたぐり寄せた。輪から伸びた縄の先は、屋根の下に続いている。

 屋根の下を覗き込むと、窓から見上げる女性と目が合った。女性は驚いた声で、


「あら、ホントに来たよ」

「すんません。お世話になります」


 ライエンは女性に礼を言って、エレナに向き直った。


「じゃ、行こうか、ほら、掴まって?」

「え、ちょっと、その」

「ほらほら、ちゃんと脚組んで」

「……はい」


 エレナを背負って――正確には背中にしがみ付かせて、ライエンは左腕に縄を巻き付ける。右手を屋根の縁において、ひとつ深呼吸。


「じゃ、行くね」

「は――ひゃぃっ」


 エレナの返事が終わるのを待たず、ライエンは屋根の縁から体を踊らせる。

 屋根の縁を掴んだ右手一本で、屋根の縁からぶら下がった。

 今朝の壁登りより楽だな、とぼんやり思う。

 

「ん。やっぱり、今朝の装備一式よりエレナの方が軽く感じる」

「……感じるだけじゃなくて軽いんですっ」

「何をいいことみたいに言ってんの。エレナはもっと食べて大きくならないと」

 

 ライエンは足を使って振り子のように、ぶらーん、ぶらーんと軒下で揺れる。

 エレナが悲鳴に近い声を上げ、ぎゅっとしがみついた。


「あのっ、遊んでないで、早く中に」

「いや、それがさ」

 

 ライエンは、前方にある窓枠と、自分の足を見つめる。

 届かないのだ。

 窓枠に足が届かないのだ。

 予定では、屋根からぶら下がり、窓枠に飛び移って屋内に入る予定だったが、脚の長さが届かないのだ。


 もちろん自分の脚の長さではなく屋根の縁から窓枠が遠いのに問題がある、そうに違いないとライエンは結論づける。

 

「思ったよりも屋根から窓が遠くてさ」

「ど、どうするんですかっ」

「……」

「……まさか」

「飛び降りよっか」

「……嫌です」

「却下。口閉じてて――すいません、中に入るのは諦めて、このまま降ります」


 最後の言葉は、窓辺で待ってる女の人に向けたものだ。

 

 右手を離す。

 一瞬だけ真下に落下して、すぐ左手の縄に引かれて、建物の外壁に向けて弧を描く軌道になる。

 木造の壁面を蹴破って派手な音を立てないように、両足の膝から足首の脛全体と前腕部を使って広く壁に当たり、勢いを殺す。

 ライエンは、体の前に回されてたエレナの脚が壁にぶつからなかったことだけを確認して軽く息をつく。

 上を見上げて、三階の窓から見下ろしている女性に手を振ってから、ゆっくりと壁を降りた。

 地面の感触を靴底で確かめて安心し、ライエンはエレナに声を掛けた。


「もういいよ?」

「あ、はい」

「――エレナ?」

「あ、あの、あ、足うごかなくって」

「えっ、どっかぶつけた? ごめん、痛かった?」


 焦るライエンに、エレナはすまなそうに、


「そ、そうじゃなくって……力、はいんない、です」

「ああ、よかった。そっちか」


 ライエンはエレナを担いだまま、地面に腰を下ろした。絡みついたエレナの手脚をほどいてやると、エレナはスカートの裾を直してぺたんと座り込み、うつむいた。

 しばらくして、エレナは恨めしそうに、


「ライエンさんは意地わるです」

「いや、そういう訳じゃないんだけどね」

「意地わるです……魔法、使えばあんなに簡単に飛べるのに、何も飛び降りなくたって」

「ああ……」

 

 そう見えるのか。どうやら動けないみたいだし、ライエンは説明しておくことにする。

 

「怖い思いさせて、ごめん。意地悪するつもりじゃなかったんだ」

「ぐすっ……べ、べつに、怖くはなかったですけどっ」

「魔法って万能じゃないんだよね。いつも使えるわけじゃないし、使える量にも限界があるし。あんまり頼りっきりになるも良くないんだ」

「……そういうものなんですか?」

「だから、自分の体で出来ることは、なるべく体を動かしてやる――師匠の受け売りだけどね」

「……」


 エレナは、顔を上げてじっとライエンの目を見た。やがて、申し訳なさそうに縮こまって、


「ごめんなさい。わたし知らなくて、ライエンさんのこと意地わるとか言っちゃいました」

「あ、いいよ別に。事前に説明しなかった俺も悪かったし」

「そうです。説明不足のライエンさんが悪いです――でも、わたしは優しいから許してあげますね」

「ありがと」


 いたずらっぽい笑顔を浮かべるエレナにつられて、ライエンも笑顔になる。

 エレナが差し出した手を取って立たせてやり、三階から見下ろす女性に手を振ってから、ふたりは手を取り合って駆け出す。

 そして農夫に合流し、今に至る。


 

 魔法の使用について、ライエンがエレナに言ったことは嘘ではない。

 しかし、その場では告げなかった言葉がある。


 ――今夜どれだけ使うかわからないから、今は温存しておきたい。


 じきに夜がやってくる。

 長い一夜になりそうだと、ライエンは思った。

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