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破壊の風、剣を担いで世界を征く  作者: ぱんだ茶漬
第一章 壁の街での出会い
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4. 部屋への正しい入り方

 ライエンは、街の東側地区にある鍛冶屋の工房を訪ねた。

 ところが工房には鍵が掛かっており、主のグラント――鍛冶屋の親方も、その弟子も不在だった。


 ――人から預かった大事な品を放置してあのおっさんが家を空けるとは意外だな。


 そう思ったが、ライエンもグラントの全てを知っているわけではないから、これはライエンの勝手な信頼の押しつけに過ぎない。まあそういうこともあるだろう、と思い直して、裏の資材置き場に借りた物を返しておくことにする。

 

 ライエンは、運んできた荷物をじっと見た。

 傷つき汚れて少し……割とゆがんだ鉄板。鉄のくせに歪むとはだらしない。

 鉄板に落下した弾みで背中が凹んでいる銀色の鎧。鎧って案外柔いので困る。

 角がひしゃげて、革帯がぶち切れて、床にたたきつけたところが凹んでる銀色の兜。名誉の負傷って感じで何だか格好良い。


「うん、許容範囲だな。問題なし問題なし問題なし」


 無意識のうちに漏らした呟きにライエンはひとりで頷いて、鍛冶屋の工房を後にする。

 近所の大工の家に立ち寄り、何を言っているんだこいつはという顔をする大工に、とにかく頼むと手付けを払って、ライエンは東側地区を離れた。


 宿への帰り道、重量から解放された体はまるで体に羽が生えたように軽く、ライエンは足取りが必要以上に軽くなるのを堪える。


 ――やっぱり、高負荷の鍛錬は終わった後のこの軽さが醍醐味なんだよなぁ。


 今なら、風よりも早く走れるのではないだろうか。

 ふと思う。

 普段から重装備な鎧を着ておいて、いざというときには仕掛け一つで外れるようにしておけば、突然素早く動けて格好良いのではないか。そんな思いつきを弄んでいると、


 ――ばーか。年がら年中鍛えたって根性しか身につかないんだよ。この鍛錬中毒。


 頭の中に、老女の嗄れた声が響く。

 鋼のような厳しい眼差しを、今でもありありと思い出せる。数年来会っていない、懐かしの剛力無双の筋肉ババア、それがライエンの師匠だ。

 ライエンは、鍛錬については師匠に何度も何度も諭された。あんまり何度も言われたせいで、今でも夢の中で老女に説教されるぐらいだ。


 ――苦しみ自体に意味を見いだしちゃいけない。苦しみそれ自体には、なんの意味の無いんだから。

 ――苦しさは、最低限でいい。苦しさは手段であって目的でないどころか、手段の副産物でしかないんだから。

   最低限の時間で効果的に体を痛めつけて、その後しっかり休むことが大事なんだ。

   お前は鍛錬中毒だから、意識してしっかり休むんだよ、わかったかい。


 耳に優しい言説とは裏腹に、何度死にそうな目に会わされたことか。

 『必要最低限の』『効果的な』限界を追求した体の痛めつけ方を思い出すだけで、今でも夜中に飛び起きられる。

 そんな訳で、こと鍛錬については師匠の教えに逆らうと目覚めが悪い。

 

「はいはい、判ってますって師匠」


 体を動かしたあとは肉を食えというありがたいお言葉を思い出し、ライエンは手近な屋台で鳥の丸焼きを買う。

 木串に刺した丸焼きからは、鼻腔をくすぐる香ばしい匂いが立ち上る。皮はパリパリで肉にはしっかりとした重さがあり、暖かな肉汁がため込まれているのを思わせる。

 宿でのんびり食べようと、ライエンはご機嫌で帰路を辿る。


 異常に気づいたのは、宿が目に入った瞬間だった。

 視線だ。

 ねっとりと絡みつくように、お世辞にも好意とは呼べない感情を乗せた、何者かの視線を感じる。不快な感覚に、首の後ろの毛が逆立つような気がする。

 ライエンは、何気ないふりを装って、歩みを止めて道ばたの店を覗き込む。

 安っぽい陶器を並べた店の主が訝しげに声を掛けてくるのを適当にあしらいつつ、ライエンは不愉快な視線の出所を探る。


 周囲を見渡すが、この辺りの街にしては飛び抜けて治安の良いラストルのこと、物乞いどころかガラの悪い連中すらいない。

 道路――午後の早い時間で、通行人は比較的多い。用事を抱えた者も、そうでない者も、それぞれに道を歩いている。舗装されていない地面を空の荷車が走り抜けて、ガタガタ騒々しい音を立てる。

 薄汚れた服を着た子どもたちが、笑いさざめきながら駆けていく。

 周囲の店――客がいる店もあれば、いない店もある。呆けた顔で鼻毛を抜いている二軒先の店番の女。目の前の陶器屋の店主。

 気配はこれらのどこからでもない。その出所は――。


 ――まあ、どう考えてもそうだよな。


 宿屋の二階――ライエンの泊まっている部屋、不快な気配はそこから漂ってくる。



 出来るだけ普段と変わらないように歩いていたが、気がつけばもう宿屋の前にたどり着いていた。

 ライエンは覚悟を決めて、扉が開け放たれた戸口をくぐる。


 あまり清潔とは言えない、場末の宿屋だ。木造二階築年不明、一応、屋根は灰色の薄石で葺いているとはいえ、火事になったら良く燃えそう。この街の一般的な安普請。


 この手の宿屋のご多分に漏れず一階は小さな酒場になっている。夜長亭の女将の料理とは比べるべくもない、まるで料理のような形をした食える何かと、まるで酒みたいな味がする飲める何かしか出てこない粗末な酒場だ。

 もっとも客の方も、適当に飲めて適当に腹が膨れれば満足という連中なので、客層に見合った妥当な水準とは言える。


 いつも通り、二階へ上がる階段の下には、やる気の無さそうな貧相な顔の主人が座って、気怠げに煙草をふかしている。主人はライエンに気が付いて、面倒臭そうに、


「あんたに客が来てるぞ」

「客? 女? 男?」

「聞いて驚け――女だ」

「嘘っ!?」

「嘘だよ。どうせ、女の心当たりなんてありゃしないんだろ?」

「まあね……男の心当たりもないけどさ」

 

 ライエンは、二階へと続く狭く薄暗い階段を見上げた。主人はライエンが手に持った鳥の丸焼きに目を留めて、


「おい、それ美味そうだな。一口くれ、一口」

「いい年して客にたかるなよ……いや、いいか」


 主人に出させた皿に鳥の丸焼きをのせて、串を引き抜いた。

 足を一本ちぎって囓り、残りを主人に突き出す。


「ほい。食っていいよ」

「――え? いいのか?」

「勿体ないからさ、食ってよ」


 主人は気味が悪い、という顔でライエンを見て皿を受け取ったが、目の前の鶏肉から立ち上る匂いを嗅いで、頬を緩ませた。


「何だか知らんが、悪いな」

「いいさ。代わりって訳じゃないが、あれをくれ」


 銅貨を放り投げて、ライエンは主人の背後に並んでいる陶器の酒瓶の一本を指さす。


「客と飲むんなら、鳥はいいのか?」

「ああ。そんな上等な客じゃないからね」


 不思議そうな顔をする主人から酒瓶を受け取り、ずっしりとした重さを掌で感じながらライエンは笑う。


「男の歓迎には、こいつで十分だろ。酒に勝る友は無しってな」

「はは、違いない」


 愛想笑いをする店主に背を向け、ライエンは階段に向かう。

 二階へと続く、細く、狭い階段を前に意識を研ぎ澄ます。些細な変化を見落とすまいと、五感を総動員して周囲の全てを感得する。

 意識は鋭く。呼吸は静かに。動作はいつも通りに。

 集中した意識の下で、周囲の時間がゆっくり流れる錯覚に陥る。空気すら、ねっとりと粘り着くように流れる。まるで、水よりも重い液体の中を歩いているようだ。


 ライエンは階段を上っていく。

 あまり掃除されていなさそうな踏み板には、料理と酒とあまり知りたくも無い何かが染みこんで、あちこちに黒い染みが出来ている。踏みつけると、靴底の鋲が木に食い込む感触に続いて、ぎしりと軋む。

 一階から五段目の角には小さな蜘蛛の巣が張っていて、侵入者の気配を感じた麦粒ほどの蜘蛛がわたわたと動くのが見えた。

 壁に触れると、薄い羽目板のざらとした感触。羽目板にところどころ空いた節穴の先には、どろりとした闇。


 進行方向、二階は不気味なほどに静まりかえっている。

 背後から通りの喧噪が、開け放たれた戸口を越えて、おっ案外うめーなこれと鶏肉を頬張る主人の脇を抜けて、階段を上るライエンを追いかけて来る。


 物売りの声。

 何が楽しいのか笑う子どもたちの声が弾んで、ぱたぱたと走る小さな足音が、一、二、三。

 荷車が車軸をギシギシと軋ませながら走り抜けて、轍にひっかかってドン。尻を打った御者の悪態を残して走り去る。

 行きがけの駄賃にロバが糞をぼとり。

 悪ガキどもが喜ぶ。

 うんこー。うんこー。


 猥雑な喧噪が、ライエンを追い抜いて二階へと昇っていき、天井に届いて霧散する。

 音を追いかけて、ライエンは薄暗い階段から二階の廊下へと向かう。

 廊下の左手方向からは光がさしている。

 気配はまだ遠い。

 階段を上りきる。

 左手方向、逆光。

 廊下の先には、四角い窓枠に切り取られた午後の空と、隣家の板葺きの屋根。そこに至るまでには、廊下の両側に三組の扉。

 気配は一番奥の左側、ライエンの泊まってる部屋から。

 その数、一。

 

 躊躇わず、いつも通りの歩調で扉へ。

 扉の前で立ち止まり、ライエンは軽く息を継ぐ。ドンドンドン、とガラにもなくノックなどしてみる。

 応えはない、が――。


「入るぜー、誰だか知らないけど――」


 ライエンは、一声掛けて。

 扉の横の壁を、全力でぶち蹴り抜いた。

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