体験入部初日①・副隊長
「やっほー、こっちこっちー」
放課後、教室から出ようとしたわたしは熱田さんに呼び止められた。どうやら他のクラスの方が先に終わったらしく、廊下には一年生が多く行き交いしていた。熱田さんは上に大きく手を振ってきていたけれど、いくら彼女の背が小さいからってまだ十分普通に確認できるほど手先は上がっていた。
「熱田さん、そんなに手を大きく振らなくても見えるって」
「あ、そっか。豊橋さんったら背高いもんねー。ちょっとぐらいあたしに分けてお願い」
「いやいやいや、それわたしにお願いされても困る」
彼女は自分の身の丈より少し短い革製の道具袋を斜め掛けに背負っていた。所々道具袋には痛みが見られるので結構長い間使っているようだ。あー、そう言えば自宅の近所の剣道場とかでよくこんな感じの道具袋を背負った子供達が元気良く通り過ぎてたなあ。
「じゃあ行こうよ」
「いや待って」
「うぇ?」
わたしは彼女の手を取って混んでいるこの場から立ち去ろうとしたが、彼女が踏ん張ったのでわたしは逆に止められてしまった。熱田さんが指差す方向はわたしのB組とも熱田さんのA組とも違う、まだ扉が閉まりっぱなしのD組の教室だった。
「実はもう一人あたしから誘えた人がいて、その子とも待ち合わせしてるの」
「それじゃあわたしとも熱田さんとも別のクラスの子?」
「うん、そうだよ。もう驚いちゃった。その子ってあたしのお母さんよりも大きいの!」
熱田さんは懸命に背伸びをしつつ手を上に伸ばすけれど、しまいには必死にジャンプまでして背の高さを表してきた。同級生なのに可愛くて微笑ましい限りだ、なんて失礼な考えが頭に浮かんでしまった。生暖かい視線に気づいたのか熱田さんが頬を膨らませてきたのでわたしは慌てて頭を下げる。
「あ、ほら。彼女彼女」
「えっ?」
熱田さんがわたしの後ろを指さした後、大きく手を振って合図を送る。わたしも振り向いてみると、他の女子どころか男子よりも大きな女子生徒が教室から出てくる。さすがに男性教師には及ばないけれど、確かにわたしのお母さんよりも背が大きいと思う。
天使の輪が出来ている長く艶やかな髪をたなびかせて、彼女はわたし達の傍まで足を運んできた。本当にこれで中学生だろうか、と思ってしまうぐらいに高くて驚きを隠せなかった。
「豊橋さん、彼女が一年D組の知立豊依さんよ」
「一年B組の豊橋穂香です。よろしく」
「……知立豊依です。よろしく」
わたし達はお互いに会釈をして挨拶を交わす。これだけの背があったら全体朝礼とかで目立つ筈だけれどあいにくわたしの記憶には彼女の姿はない。どれだけ興味の無い他人に気を配らないんだって自分の無頓着さを証明してしまったなあ。
そんな彼女は鞄を持っているだけで熱田さんのように道具を持参しているわけではないようだ。知立さんは熱田さんを見下ろしながら……いや、どうも熱田さんが背負っている道具袋に目が行っているようだ。
「自分の道具を持参とは随分とやる気があるんですね」
「んー、折角小学校の時からやってるから自分の持ってきちゃった。使っちゃ駄目だったら駄目で持って帰ればいいだけでしょう」
「そうでしたか。あいにく私は魔砲をやった事がないので道具についても全く分からないものでして」
「部活紹介の時に初心者歓迎って言ってたから知立さんも豊橋さんも大丈夫だと思うよ」
確かに初心者にも手取り足取り教えます、なんて言っていた記憶はあるけれど、そんなの建前だってパターンは結構あると思う。入ってみたら地獄を見た挙句に苛烈なしごきを受けてしまってはどうしようもない。それに真っ当な部活だっとしてもまるっきり無い経験値を補うのはやる気と練習への取り組み方次第だろう。
三人そろった所でわたし達は階段を下りて校舎から出る。一年生の教室はまさかの最上階の五階、学年を重ねていくごとに教室の階が下になっていくらしい。朝から五階まで階段を昇るのは正直面倒くさい。窓からの眺めはいいので我慢は出来るけれど。
「確か魔砲の練習場ってこっちだっけ?」
「案内図ではそうなってた筈だけれど? さすがに中学校で専用の練習場は無いみたいだから、市営の敷地を借りているんだって」
「他の学校や地方クラブとも兼用ですから、曜日と時刻が限定されているようですけれど」
わたし達は学校から歩いてすぐの場所にある練習場へと足を運んでいく。向かう間も横を元気いっぱいに一年生が駆け抜けていく。どうやら魔砲部の見物客の方は多いようで、多くの同級生が誰それがカッコいいとか素敵とかで賑わっていた。ただ中には強い意気込みに溢れた子も見かけるので、その子達は体験入部組だろう。
練習場が見えてくるとそこは多くの人であふれていた。その様子は休日の大都市とか朝の満員電車を思い起こさせる。誰もが金網越しに広がる練習場に集まってくる先輩達を眺めていた。誰それと特定の先輩の名前を呼ぶ子もいた。
「へええ、体験入部期間初日なのに凄いね」
「先輩方は私達と同じ時限に授業終了していましたら、練習はこれからのようですね」
やがて先輩方の中からファンタジー作品での魔法使いを思わせるローブのようなユニフォーム姿の魔砲少女が一人こちらに歩み寄って来る。彼女は心逸らせる一年生を前に優雅に一礼した。騒いでいた集団が私語を止めて彼女の声を聞こうと耳を立てる。
この人は見覚えがあった。部活紹介の時にも檀上にあがった人だったか。
「ようこそ那古屋南中へ。そして入学おめでとう。これから三年間は色々と楽しかったり辛かったりするだろうけれど、一生懸命頑張っていきましょう」
彼女の透き通った声は屋外でも十分に聞こえるほどハキハキしていた。何と言うか彼女の言葉には安心感がある。この人に付いていけば大丈夫、みたいな。こうした頼もしさをカリスマ性とか言うんだろうか?
「改めて自己紹介させてもらうと私は魔砲部の副隊長と部長を務める鳴海乙子よ。今日から一週間の体験入部期間、貴女達の面倒を見させてもらうわ」
「「よろしくお願いしますっ」」
「あー、まだそう言うのはいいっていいって。正式に入部してるわけじゃあないんだし、もっと気楽にいきましょうよ」
鳴海先輩の自己紹介と共に何名かが威勢のいい声をあげて頭を下げる。完全に体育会系のノリを鳴海先輩はわずかに煩わしそうに困りながらも手を振って止めさせた。ちなみにわたしや知立さんはおろか、熱田さんも面食らった様子で眺めていただけだったりする。
「んー、そろそろ時間だし始めちゃおっか。悪いんだけれど見学したいだけって人は少し下がってもらえる? 体験入部したい人で経験者は私にとっての右方向、初心者って人は私にとっての左方向に来てもらっていい?」
見学に来ていた中の何人かが少し下がった。右側に進んでいく新入生の半分ぐらいが熱田さんと同じように自分の道具を持参していた。何人かが明らかに初心者なわたし達をあざ笑うかのような視線を送ってきたのはわたしの気のせいにしておこう。
わたしと知立さんは顔を合わせると鳴海先輩の左側へと進んだけれど、何故かわたしの隣では熱田さんも付いてくる。
「あれ、熱田さんは向こうじゃないの?」
「折角あたしから誘ったのに豊橋さんと知立さんを置いて向こうに行けるわけないじゃん。復習も兼ねてこっちの方に参加させてもらおっかなって」
「わざわざ初心者に合わせるなんて酔狂ですね。他の経験ある彼女達と差が付いてしまうのでは?」
「そんな一週間で差が広がるわけないって。とにかく、この一週間は楽しもうよ」
熱田さんは満面の笑顔でわたしの背中と知立さんの腰を叩いてきた。多分熱田さんは知立さんの背中も叩きたかったんだろうなあ、とは言わないでおこう。
鳴海先輩は左右に分かれたわたし達を指さしながら数を数えていく。
「三十人弱で、そのうち経験者が二十人弱かー。桜ー! ちょっとこっち来てもらえるー?」
「はーい、今行きまーす」
奥の方で整列していた先輩方の中から呼ばれた女子がこちらへと駆け寄ってくる。リボンを付けた少しおっとりしている先輩はわたし達の前で一礼する。わたし達も頭を下げた。
「悪いんだけれど昨日も言った通り経験者の子達の面倒見てもらえる? 折角だから今日一日はみんなと一緒にやってもらいましょう」
「えっ、でも隊長が何て言うか……」
「岡崎さんには邪魔しない限りは好きにしろって言質は取ってあるから大丈夫よ。ただまだ身体が全然出来上がっていないからそこの見極めは頼むわね」
「分かりました。えっと……それじゃあ経験者の皆さんはわたしに付いてきてもらえます?」
桜と呼ばれた先輩は鳴海先輩に一礼すると経験者組を連れて先輩方の方へと戻っていった。ただそれを見送る鳴海先輩の顔は何処となく浮かないように見えた。
「……あの子達、押しつぶされないといいんだけれど」
「えっ?」
「いえ、ごめん。こっちの話だから気にしないで」
何だか聞き捨てならない言葉を聞いたけれど、鳴海先輩は苦笑いを浮かべつつ手を横に振った。知立さんは能面のように表情を変えなかったけれど、熱田さんはやや憮然とした面持ちで鳴海先輩の後方、他の先輩方を見つめて……いや、睨んでいた。
何か雲行きが怪しくなってきたものだ。
お読みくださりありがとうございました。