四月の入学
話を一旦春ぐらいに戻そう。
「そこのアナタ、部活はもう決めたのかな?」
中学校の入学式から程ない時期、夕暮れが差し込む教室にわたしは留まっていた。家に帰ってまで勉強したくなかったので宿題をやっていただけだ。さすがに小学校とは比べ物にならないぐらい難しくて頭を何度も捻ってしまった。
この時期になると部活動の体験期間になる。小学校では四年生になってようやくクラブ活動があるぐらいで、本格的な部活は中学校に入ってからになる。まああくまで公立の話で私立は知らないけれど。
そんなも体験入部期間の始まりが明日に迫った日の放課後、見知らぬ女の子がわたしに話しかけてきたのだ。全校朝礼では間違いなく先頭に並びそうなほど小さな女子はあどけなさを感じさせる笑いを浮かべて、もう帰宅して空になっていたわたしの前の座席に座ってきた。
「いんや、まだ全然。むしろ帰宅部でもいいかなーってぐらい」
丁度勉強に励む集中力も途切れてきたタイミングだったので、彼女の問いかけには素直に答えた。
中学生になったばかりのわたしは別にどの部活動に入るか全く考えていなかった。結局小学校のクラブ活動は三年とも別のクラブを渡り歩いたわたしにとって、部活動に精を出す自分を想像出来なかった。
彼女は消極的なわたしの回答が信じられないようで、わずかに首を傾げた。
「んー、でもここの部活って結構全国大会にも出場出来るぐらいの実力あったりするじゃないの。折角そんな学校に進学してきたのに勿体なくない?」
「別に狙ってここに入学したんじゃあないんだ。たまたまさ」
「えー? じゃあ体験入部しながらどこかって決めていくの?」
「放課後とか朝早くに練習してまで熱中したい部が無い。別に部活は強制じゃあないし、放課後は塾とか習い事に費やしたいね」
これは完全な嘘だった。習い事は親が見栄を張る為に通っている二つを除いたら増やすつもりもないし。勉強のコツさえ分かるなら塾だって三年生になってからでもいいだろう。別に偏差値の高い高校に進むつもりもないし。
目の前の女子はスカーフの色が一年生のものだから同学年なんだろう。ただ顔に見覚えが無いからクラスメイトではない……と思う。入学したてでまだクラスメイト全員の顔と名前が一致していないので自信はないけれど。
「その前に、わたしは貴女の名前すら知らないんだけれど?」
「おっとっと、ごめんなさい。あたしは一年A組の熱田神薙。よろしくね」
「豊橋穂香。よろしく」
熱田さんはわたしに歯を見せながら右手を出してきたので握手を交わす。驚いたのは彼女の手はタコが出来ているのか所々が固かった。バットとか竹刀を握っているとこんな感じになるんだろうか? それに体躯は確かに小さいけれど、筋トレでもしているのか思ったより肩幅も広く肉付きもいいせいで小柄には感じなかった。
「それで、熱田さんはもしかしてわたしを何かしらの部活に誘いに来たのか?」
「うんうん、良く分かってるじゃん。でね、でね、明日から一緒に体験入部しない?」
彼女は身を乗り出してわたしの瞳を見つめてきた。思わず気圧されて椅子ごと後ろに下がってしまう。
「質問。どうしてクラスメイトじゃないわたしを誘うのさ?」
「いやあ、クラスのみんなはもうみんな誘ったんだけれどあまり良い反応もらえなくてさ。今他のクラスの子に声をかけてる最中だったりする、みたいな?」
「それで熱田さんが誘いたいって部活って何なの?」
「うん、それがね、魔砲部に行かない?」
魔砲部、そこでわたしが思い浮かべたのは夏の風物詩、高校の全国大会だった。後はスポーツ番組でプロリーグや大学リーグとかの結果をお茶の間に見るぐらいか。男子が野球やサッカーなら女子は魔砲ってぐらいには有名だとは思う。
ただわたし自身は今まで魔砲少女とは全く無縁の生活を送ってきた。近所のサークルで週二回ぐらい集まるようなポスターを見かけた事もあったけれど、今思い返しても接点はそれだけだったと思う。中学受験もせずにそのまま義務教育として入学した中学校がたまたま魔砲で全国大会にも進出可能なほど盛んなのも、入学してからすぐに開かれた部活紹介で知ったぐらいだ。
で、ここの魔砲部はその部活紹介を信じるなら全国大会に出たり出なかったりの中堅らしい。優勝を狙えるような強豪じゃあないけれど、裏を返せば地区予選を突破出来るぐらいには強いとも言える。
当然それぐらいの名声があれば県からこぞって生徒が集まるだろうし、全くの素人がいきなり始めようとしたって控えが関の山、下手すると三年間雑用にされたっておかしくない。何事も経験とは言われるけれど貴重な時間を無駄な労働に費やしたくはない。
かと言って逆に目の前で期待する眼差しを熱く送ってくる彼女を無碍にするほどの理由でもなかった。物は試しとも言うし、実際に自分で確かめないと何とも言えないだろう。
「……いいけどさ、熱田さんが入部してもそのままわたしも付き合う、なーんて思わないでね」
「わぁい、ありがとう豊橋さん!」
熱田さんはわたしの鉛筆を握ってない方の手を握って勢いよく振ってきた。なんだか熱田さんのペースに振り回されっぱなしで驚きよりも困惑の方を強く感じてしまった。
更に彼女は両手をわたしの机に付いて身を乗り出してくる。茜色に染まる教室の中、宿題をする為に広げていた教科書とノートに影が差した。
「それでね、それでね。明日の授業が終わったら廊下で集合しない? 一緒に行こうよ」
「それも問題ないけど、体操服とかに着替える必要とかってあったっけ?」
「この前の部活説明では別にいらないって副隊長さんが言ってたっけねー。道具も特に必要ないみたいだね」
「ふーん、なら別に気楽に行けばいっか」
この間新入生の前で行われた部活紹介を思い出してみる。魔砲部からは二人が壇上に上がってプレゼンテーションをしていたっけ。二人とも学生服でも体操服でもないユニフォーム姿だった。だとしたら体験入部に来る一年生にはユニフォームと道具が貸し出されるんだろう。
率直な感想を漏らしたけれど熱田さんは気分を害する様子は無かった。どうやら熱意の有る無しに関わらずに誘っているようだ。別にこれをきっかけに魔砲にはまるつもりは無いけれど、こんな始まりも悪くはないかな、とも思う。
熱田さんは満面の笑顔のままで元気よく立ち上がった。拍子で後ろの机が倒れそうになるのを何とか手で押さえて食い止めていた。
「それじゃあよろしくね! ところで豊橋さんは帰らないの?」
「五時の強制下校時間になったら帰る。それまでは宿題する。どうせ家に帰ったって勉強なんてしないしね。テレビとか漫画とか、誘惑が多すぎる」
「分かるよぉ、あたしもついつい雑誌とかに目が行っちゃうし。あっ、これ授業中分かんなかったんだぁ。お願いちょっと写させて」
「別にいいけれど丸写しなんてしてたら身に付かないよ」
「そんな固い事言わないの。あっりがとう豊橋さん!」
そんな感じでわたしはこの奇妙な同級生と共に下校時刻だと先生が見回りにやって来るまで宿題をやり合った。
これがわたしと熱田さんの出会いだった。この時はまだ一蓮托生の仲にまで発展するなんて思いもしなかった。縁と言うのは本当に奇妙なものだ。
お読みくださりありがとうございました。