近衛師団の昼下がり
しかし奴は一度嫌がったら最後まで動かない。いくら説得しようと、難癖をつけては踏みとどまる。今が好例だ。
「俺の子供だってことは承知の上だよ。俺のためにアマーリエが頑張るのも。だからじゃないか。頑張ったご褒美ってことで、良いように名前をつけてねって言ったのに」
偉ぶった口の利き方が鼻につく。エルザールは嘆息した。
「いーや。お前の話を聞いてりゃ、そうは聞こえねーぞ。普通」
そもそも、夫婦喧嘩は犬も食わぬという。
そんなものにどうして部外者が巻き込まれなければならないのだ。よそでやってくれ。
エルザールの切望もむなしく、リシルドは食い下がる。
「だって考えてみなよ、エル。もし俺がセンスのない名前をつけたらどうするの。一生それが子供について回るんだよ。嫌でしょ。ほら、だったらアマーリエがつける方が間違いないじゃない」
「…………要は面倒臭いってことだよな」
休憩終了の鐘が響く。リシルドはエルザールの非難を無視し立ち上がった。背中を反らし、大きく伸びをする。
「んっ……さてと。辛気臭い話は終わりにして。働きますか」
「ほんっとお前、都合の良い性格だよな」
軽口を叩き合い、兵舎の鍛錬場へ歩き出す2人。そこへ一筋の影が忍び寄る。
察知した瞬間には遅すぎた。背後から伸びた腕が、彼らを絡め取ったのだ。うなじで結われたリシルドの白金の髪が揺れる。
突然動きを制され、2人は情けない声を上げた。
「わあ!?」
「おおっ!?」
騎士らしからぬ反応に、両腕の主がくすくすと噴き出す。
彼らの肩を抱く腕に力を込め、その者はリシルドらの頭の間に顔をうずめた。
「ずるいじゃないか。2人で内緒話なんて」
「ルーカス」
目立つ赤毛と紺碧の瞳。長い髪を後ろで三つ編みにした青年は、鼻先をずいと2人に突きつける。
「私も混ぜろ」
「やだよ」
「どうして」
「もう終わった」
「いーや。終わってない」
「酷いよエル……」
親友を売らないでよ、と口を尖らせる青年の額をパシリとはたくエルザール。リシルドは額を押さえ、突如現れた第三者の束縛を振りほどいた。
「だってルーカスも怒るんでしょ。エルに怒られたから俺、お腹いっぱい」
「なんだ。お前、また経費で私物を買ったのか」
「うん…………じゃない、違う違う! 今月はまだしてないもん」
「おい」
経費で落とす宣言をしたも同然のリシルドにルーカスが眉をひそめる。
「奥方に告げ口するぞ」
「なんでアマーリエが出るのさ。みんな、アマーリエばっかり」
「?」
あからさまにヘソを曲げた部下に、ルーカスは目尻の柔らかな瞳を丸くする。何かあったのか? とエルザールを見ると、肩をすくめられた。
「こいつが甲斐性なしなんだよ」
なかなか白状しない彼に代わり、エルザールが事情を明かす。
案の定、生真面目なルーカスは顔色を苦くした。
「それはお前が悪いな」
そしてエルザールに同調する。
「ほれ見ろ。近衛師団長様も同意見だ。大人しく謝るこった」
エルザールが得意げに胸を張る。
背の高い痩身に若い見なりのルーカスは、これでも100近い近衛騎士を一手に担う近衛師団長なのだ。リシルドたちとは、アマーリエを介して親しくなった。
「アマーリエにはお世話になったし、こういう時こそ味方にならないと」
アマーリエは侍女として宮廷に上がった男爵令嬢だ。誠実な人となりと細かい仕事ぶりがルーカスのお眼鏡に適い、近衛師団長の秘書に迎えられた。
男だらけの空間を華やがせる一輪は、近衛騎士の癒しだ。兵舎を出入りする彼女を追い駆けた連中は数知れず。兵舎の書斎で書類仕事に追われており、普段は見かけないものの、たまに鍛錬場の裏の庭園でまどろんでいた。そんな無防備な姿を目にするにつけ、男たちは見惚れたものだ。――――リシルドも例に漏れず。
リシルドは早いうちからアマーリエに一目惚れした。いつもの軽薄な態度とは打って変わった真摯さで、彼女を口説いては必ず振られた。言外に込められた彼の想いを、彼女がなかなか気づかなかったせいだ。おかげでルーカスとエルザールは楽しませてもらったが。