第一話 召喚されし者達
此処は一体何処だ。
白く染まる空間を前に、俺はふと思いついた言葉をそのまま口に出した。
つもりだったのだが。
その言葉は音を伴わず、パクパクとした口の動きだけに留まってしまった。
俺は不可思議なこの現象に何かを見出す事を出来ず、呆然としたまま空中を彷徨う。
その時だった。
「……貴方が、南城燈夜、ですか」
ぼんやりとフィルターの掛かった声が、聞こえてくる。
ふと、意識して目を凝らしてみると、女性らしきシルエットの何かが遠くで佇んでいた。
「運命に背き、存在価値を放棄し、宿命に抗う。現状を受け入れ、その実最も現状に満足しない。矛盾という言葉では表しきれない程の歪な価値観を持つ者……」
まるで何かの呪文のように、言葉が紡がれる。
耳朶を打つその一言一言が、何故か心の蔵に突き刺さるような感覚を及ぼした。
「しかし、人間とは神の傀儡。神の定めし天上の理に反する事はどう足掻いても不可能なのです。だからこそ、酷ではありますが、貴方にとって最も辛い選択肢をお与えしましょう」
こちらに右手を伸ばしたシルエットは、何処か哀愁を感じさせた。
表情も、感情も、全てぼやけたこの空間で、唯一鋭敏に感じ取れたのは、その雰囲気だけだった。
「……貴方は異論も反論も出来ない。だから私は詳らかに全ての真相をお話します」
ふわふわとした気分が俺を包み込み、それが死なのかと錯覚させた。
死んだ、という事実を俺は理解しているが、だがそれでも俺に精神的な死が訪れない。
それは逆説的に俺の肉体が死滅していない、という証拠になるのではないだろうか。
淡い希望を抱きつつも、何故自分がそこまで生きる事に執着するのか、と疑問が立ち上る。
生きてても死んでても変わらない人間。
それが俺のはずじゃなかっただろうか。
「貴方が向かう世界は、神の理から外れた、謂わば治外法権の世界。その世界では独立的なルールが作用しています。隙あらば人を殺し、人権を侵害し、物品を強奪する。そうやって弱肉強食の実権的支配によって成立する世界。それが、《アルグランデ》なのです」
何を言っているんだ、この女は。
いや、今更こんな事を思うあたり、俺もどうにかなっているに違いない。
それに、弱肉強食の実権的支配、なんてのは地球という惑星でも行われていたではないか。それが行為に及んでいないだけで、金を持つ者と持たざる者、その二分化が進んでいる。言い換えれば、資本家と労働者、上下関係が出来上がってしまう資本主義の概念上、所得の差が甚大なレベルにまで発展してしまうのは致し方ない事だと言える。
その逆である社会主義を掲げる国々は、その多くが失敗し、挫折している。
引っ張る者と引っ張られる者、受動的な人間と能動的な人間の二分化。
世界とはそういう事だ。持つ者だけが優遇され、支配から逸脱される。
それは、生まれ持った才能や、家柄、そういった挽回不可能な事象にまで及ぶ。
生まれた瞬間から世界に羽撃く事が定めづけられた人間。
生まれた瞬間からそこらの会社で平社員になる事を決めつけられた人間。
この実態を見て、尚その言葉を口にできるのだ。
そいつは人間じゃない。神か悪魔か、もしくは………諦観した人間のそれだ。
「貴方の疑問は最もです。人間という生き物は階級を生成し、優越感を得るが為に努力し、弱点を違う得意点で補い、才能を持つ者を羨望する。ですが、それはあくまで平等に生殺与奪の権利が自分自身に与えられている場合のみに起こりうる現象です。私が言いたいのは、生きるも死ぬも自分次第ではなく、他人次第になりつつある、否、もう染まりきっている世界である、という事です」
女は尚も言葉を続ける。
「覇権を握りたいが為に、平気な顔をして人を騙し、味方内で殺し合わせる。手足となって動く兵士達を盤上のコマ程度にしか考えず、命の尊さも重みも、まるで感じない。そんな世界に、貴方は向かうのです。そして、貴方はそこで知ることになる。選ばない、選択しない、という言葉が、どれだけの甘えであるかを。もしくは、どれだけ優遇された人間の権利であるかを」
最後に、と女は付け加えた。
「そんな冷酷で残虐な世界に向かう貴方へ、私からのせめてもの手向けとして、力を授けます。《技術窃奪》、五感で感じ取った全ての技を模倣することが可能な異能、そして、いつか貴方が世界の覇権を奪い取るであろう事を鑑みて、私が選んだ異能です」
視界の霞が酷くなっていく。
シルエットに見えていた女の輪郭がぼやけ、今では空間と同化してしまっていた。
「選ばない、その選択肢が魅せる世界の変遷を、私は待ち侘びています」
告げられた一言が、俺の耳を打った。
だが、その言葉が意味する真の狙いが何なのか、それは汲み取れなかった。
暗転した直後、白く染まった空間はまたも暗闇へと変貌した。
俺は深い深い闇へ、突き落とされるように沈んでいく━━━
◆ ◆ ◆
「………や、……燈夜、燈夜ッ!」
耳元で名前が呼ばれた事と、久しく自分の名前が他人から呼ばれた事、加えて長い間滅多に耳にする事の無かった凛とした声で呼ばれたのが混ざって、俺は一瞬で跳ね起きた。
ダブルミーニングならぬトリプルミーニングである。
意味の重ね合いではないので、あくまで現象に至るまでの偶然の重なり合いを示すだけだが。
「……結夏か」
そして、やはり目の前に居たのは南城結夏だった。
普段邪魔になるから、と纏めている髪を下ろした姿は、どこか大人びた雰囲気を漂わせる。
世界の闇を知らない、純真無垢であるが故の美しい輝きを誇る瞳がこちらを睨めつける。
俺はその鋭い視線を避けるように目線を逸らす。
だがしかし。
俺はふと思いついた。
何故、死後の世界であるはずの此処に、コイツが居るのだろう。
考えられるケースは二つ。一つは奇跡的に俺が助かった可能性。もう一つは何らかの事故で結夏が同じくして死んでしまった可能性。確率的に有り得るのは後者だが、その際南城の家柄の事だ、泡銭を叩いて娘の生還に尽くすに決まっている。
となると、俺が助けられたのだろうか?
否、それは事実不可能だ。
俺が生存する可能性はゼロである。何せ屋上は基本昼休み以外開放されていないし、そもそも俺は学校での認知度が低い。加えてこの学校には授業をサボるような怠惰な生徒は居ない、意識が高い人間が集まるが故に行動パターンは統一化、もしくは統一性を持つようになる。
つまり、無駄な行動を省こうとするわけだ。
そんな省エネ人間の集まりが、何を思いリスクを犯してまで屋上にやってくるのだろうか。
感情論はこの際どうでも良い。結果だけ見れば俺は助かった事になるのだろう。
何処の誰が俺を救ってくれたのか分からないが、まぁ感謝しておくことにする。
━━━と、普段使わない頭をフル回転させて推論を立て並べたのだが。
俺の思考を遮るように、複数の男女の声が聞こえてきた。
「うぉ!? 此処何処だよ!」
「……夢、の中?」
「キャアアア!! 何コレ、此処どこ、今何時ィ!?」
「…何が起こっているのだ……」
そして、それは少なくとも一度は見たことのある顔立ちの者達だった。
と言うより、常磐第一高の二学年の面々である。
「(な……ちょ、ちょっと待て、どういう状況だ?)」
俺は困惑した脳内で、強引にこの現象に至る要素を並べていく。
俺達が今居る場所は、大理石か何かで作られた巨大な部屋。俺がここに至ったのは、屋上で謎の症状に襲われ、意識を失っての事だ。この空間が何処であるか、も分からず、それと同時にどうやって此処まで来たのかも分からない。八方塞がりというヤツだ。
と、考えが根詰まりしかけたその時。
思考を弾くように、あのシルエットだけの女が浮かび上がる。
「………アル、グランデ…」
そうだ、確かにそう言っていた。
何やら珍妙な言い回しで理解しづらいものだったが、思い返してあの言葉を一言一言要約していくと、答えは案外簡単に出てきた。
「異世界。死後の世界、ではないっぽいな。となれば、本当に異なる世界、別次元の惑星、いや、次元軸は同じかも知れない。広大な宇宙で独自の発展を遂げた世界、か? それとも過去の……」
「何をぶつくさ言っているのか、良く分からないけれど」
俺の思考をぶった切るように、冷静で冷ややかな声が頭上から降り注ぐ。
結夏はこの状況に動揺している気配はない。いや、強がり、もしくは見栄かも知れないが。
「非常にマズイ、って事だけは分かるわ」
「理解の幅が狭すぎるだろ……。マズイってレベルじゃないぞ、これは」
「…それより、貴方は見たの、燈夜。謎のシルエットを」
「それが俺の思い描くモノをピンポイントで撃ち抜く一言であれば、だがな」
「きっと、彼女の仕業ね」
「しかないだろうな。どうやって百名もの生徒を誰にも気づかれずに拉致したのかは不明だけど」
俺と結夏は比較的冷静を努めて、無意味な遣り取りを繰り返した。
上滑りする意味のない会話は、まるで動揺を抑える為に必死に言葉を紡いでいるようである。
数分が経過した頃だ。
周囲のザワめきも収まり、なんとなく空間の荘厳さに皆が染まり始めた頃合。
ギィ、と正面に聳え立つ巨大な二枚扉が観音開きの要領で開く。
現れたのは一人の老人と、二人の屈強な男だった。
屈強な男達は西洋の鎧を身に纏い、自分の背丈より大きな槍を携えていた。
いきなりのご登場でハプニングが再開し、加えて凶器を持った男がサプライズ出演である。
混乱はクライマックスに達し、騒ぐ、喚く、吼える、泣き叫ぶ、と酷い有様だ。
しかし。
「お静かにッッ!!!!」
ピン、と背筋が自然と伸びるようなハリのある声が巨大な空間に震撼した。
まさかそれが、目の前の老人から発せられたとは、誰も気づかなかった。
「……申し訳ありません。私如きの身分で、勇者様方へ恫喝した深い罪、今後この身を持って贖っていく事をこの場にて誓わせて頂きます」
と思えば、いきなり謝る始末。
ただ、その落差によるフェードダウンは効果があったのだろう。
周囲は水を打ったように静まった。
「…遅くなりましたが、私の名前はケイロス。勇者様方を王室へとお運びする為に馳せ参じた者に御座います」
恭しく礼をしたケイロス。
視線はケイロスに一直線で注がれ、だがしかしケイロスは眉一つ動かさない。
「簡略ではありますが、これより勇者様方へ、現状の説明と、此処へ至る経緯、加えてこの世界と勇者様方がいらっしゃった世界との明確な区別を付ける為の、謂わば予備知識をお教え致します」
その時、一瞬邪悪な笑みを浮かべたような気がした。
気のせいだろうか、と、ふと視線を戻せば笑顔を貼り付けたケイロスが居る。
未だ固まったままの面々。
当然と言えば当然だ。
それも誤差の範囲、もしくは想定の範囲なのか、ケイロスは笑顔を絶やさない。
「いきなりの事ですから、お疲れでしょう。楽な体勢を取って頂いて構いませんよ、あぁ、こちらの二人が気になるのでしたら、槍は立てかけておくことにしましょうか」
屈強な男二人が近くの壁に槍を立てかける。
たったそれだけの行為だが、命の危険が薄まったという意味合いを示し、安堵した空気が漂う。
それを合図にしてか、ケイロスは老人とは思えない闊達な口調で話し始める。
「では、まず、この世界についてお話します━━━」
異世界。
その言葉は何となく口にしてみれば、何の違和感もなく溢れ出る。
しかし、それが実態を持ったものとなれば話は別だ。
現状は、打開されない。
「(………最悪だ)」
俺は隣接する結夏にバレないよう、そっと溜息を吐き出した。