逃亡3
そこは異様な世界であった。周囲一帯は一面銀世界。真夏の日差しを浴びているのに溶け出す気配すらない。そして至る所に切り裂かれたような傷跡が深く残っている。何をどうすればこんな世界が生まれるのだろう。
ただ一人、この場所にいるセレナは所々千切れ、血まみれのメイド服を見て溜息を吐いた。
「これではまだまだ完璧とはいえませんわ」
そういいながら落ちている自身の腕を広い、切断面を合わせる。そしていつものように魔力を巡らせる。淡く輝く光が傷口や、メイド服を覆っていく。するとまるで時間が遡るようにして再生していく。
「はあ……十六夜様も取り逃がしてしまいますし、大失敗ですわ」
先ほどの戦闘を思い出しながらセレナは城門へ向かって歩き出す。
いったい何者なのでしょうか、十六夜様は。いくら勇者といえどこの世界に呼ばれてすぐなのにこれほどの強さを有しているなんて。ほかの勇者様方も同じくらい強いのでしょうか。
そう考えてみたところ、ありえないという結論にすぐに至る。
他の勇者様を見たところ、戦闘経験のある人物はいない。それは一見して明白だ。彼らの立ち振る舞いは戦場に身を置く人間というよりかは、戦場より縁遠い場所、村人や町の人間といったところだ。だからこそ十六夜紅月、お逃げになられた勇者様の異様さが際立つ。
勇者様方の世界には魔法は存在しないという話。それなのに私の魔法を躱す。しかも視覚外からの不意打ちを。そんなことができるのは魔法の気配に精通した人物のみ。さらに私が放つ魔法をことごとく回避、斬り落とす所業を考えると不可解でしかない。
まるで魔法や剣の使い方を知っているようであった。戦闘力は平均水準を大きく逸脱している。考えれば考えるほど何者なのかわからなくなる。
何故逃げたのか、何故戦えるのか、途中で呼び出したあの剣は何なのか。
あの剣のことを思い出すとぞっとする。剥き出しの刃は底知れないチカラを感じさせる。柄も鍔もないそのさまは勇者様の生き方を現しているのだろうか。
十六夜紅月。黒髪で黒目。長身の男性。歳は私と変わらない成人だろう。一見すると人をあまり寄せ付けない人間だ。どこか睨んだような目つきのせいか、不満げに閉じられた口のせいかそう印象つけられる。
だが実際、剣を合わせてみればその印象は崩れた。極めて好戦的、人殺しの躊躇はない。まるで凶戦士か殺人鬼だ。本当に殺し合いが好きで好きで堪らないのだろう。あの笑顔をみればそう思ってしまう。
あの剣を出してから十六夜紅月はずっと笑っていた。まるで楽しい夢を見る子供のような無邪気な笑顔で私を殺そうとしていた。
目を瞑ればあの戦闘の光景が鮮明に浮かぶ。
「逃げられたのか、セレナ」
「申し訳ありません。お嬢様」
いつの間にか、セレナの隣に立っている。どこか楽しげに口角を歪めながら。まだ十代半ばのこの少女がセレナの主である。その名はディオネ・ケイオス・アルテミス。美しい艶やかな銀色の髪、黄金色に輝く意志の強い瞳。圧倒的な美貌は女神かそれとも悪魔の造作物のようだ。金色の刺繍が刻まれた純白の軍服を着こなす彼女はセレナに問う。
「お前が逃がすとはな。あいつ、強いのか」
「はい。勝率は五分五分かと」
「フムン。そこまでか」
ディオネは楽しげに笑う。従者であるセレナにここまで言わせる十六夜紅月という名の勇者に深い興味を覚える。
「何者だろうな」
「わかりかねます」
「ああ。そういえばセレナ。勇者ども、やはり発症したよ」
その言葉を聞き、セレナは不可解な気持ちになる。
「王国から奪った記録書通りにですか?」
「ああ。それで十六夜紅月にその兆候はあったか?」
「いえ。健康そのものでしたが」
その言葉を聞き、ディオネは考え込む。異世界人の内、三人が発症した。なのに十六夜紅月は発症しない。考えられることは、まだ発症していないだけ。それとも発症しないのか。だがこれはありえない。異世界、つまりはこの世界に対する免疫を一切持たない人間だ。この世界に充満している魔力というエネルギーに対抗力を持たない。その結果、異世界人は拒絶反応を起こす。これは前回の勇者にも適用されたことだ。
つまり十六夜紅月は魔力に対する免疫、抵抗力があったということになる。
この世界に来た異世界人は前回の召喚も含め、計五人。偶然この世界に紛れ込んでしまう可能せいもあるが、今回はきちんとした手順で異世界から召喚した。普通に考えれば、異世界を渡り歩く人間がいるとは思えない。つまり異世界人が魔力に対する抵抗力を持つことはありえないのだ。
「一度この世界に来て、また元の世界に戻る場合、起こりうることだ。つまり十六夜紅月。あの男は前回召喚された勇者ということになる。それなら今回のことに辻褄が合う」
「前回の勇者様なら私が捕まえ切れなかったことにも納得はできます」
「ああ。セレナを派遣して正解だった」
「光栄の極み」
「これからどんどん面白くなるぞ」
「そうですね、お嬢様」
再びやってきた勇者。封印されていたはずの魔王の再来。我が王国の勇者たち。それらは必ずぶつかり合い、混乱を齎す。世界は混沌の只中に叩き落される。そうなるはずだ。そうでなければ困る。我が野望のために、せいぜい掌で踊ってくれ、化け物どもよ。
数日後、勇者の一人、黒月真宵が死亡した。他の二人は何とか生き延びた。
「ふむ、一人減ってしまったか」
「そうでございます。だが二人もまだ残っております」
王の執務室で語らうのは二人の男。この国の王と宰相である。
「全て手筈通りか」
「勿論、すべて順調です。治癒魔法と並行して意識改革の魔法をかけ続けました。もう我らが王の命に従順に盲目的に従いましょう」
つまりは洗脳。これもすべては帝国からもたらされた情報のおかげだ。
「あとは定期的に魔法をかけ続ければ解ける心配もございません」
「では勇者の旅の仲間として同行する人材の手配も問題ないか?」
「はい。我が手のうちの者を選別しております」
「重畳、重畳。気がかりは逃走した十六夜紅月という男か」
その名を王が言うと宰相は苦虫を噛み潰したような表情でいう。
「なんでもその男、前回の勇者であったかもしれません。あのセレナ・フェイナスとアルテミス公爵の報告ですので間違いはないでしょう」
「逃げられたものは仕方あるまい」
「手配書を作成しますか?」
「いや、いい。双氷の手から逃げおおせるチカラがある人間を追うのは手間だ」
「では何もしないのですか」
「今はいい。邪魔になるようなら手は打つ。それまでは放っておけ。藪をつついて蛇がでればかなわん」
王は書類作業を中断して、宰相に言う。
「全てはイガルクの加護あれ」




