逃亡2
あれから三十分ほど時間が流れた。まだ王都の巨大な城門は見える。そしてこちらに接近してくる気配も。数にして十。速度からして騎馬。音からして騎士の集団。私は立ち止まり、振り返る。
砂煙を挙げながら疾走する騎士たちがついに来た。騎士隊長と思われる男が騎馬から降り、こちらに近づいてくる。間合いはおよそ近すぎず、遠すぎず。詳しく言うなら、剣の間合いからは遠い、話すには十分な距離だ。
騎士隊長は私の腰に下げられた剣を一瞥し、注意深く話しかけてくる。
「勇者殿。これはいったいどういうおつもりで?」
「いや、なにも。ただ出て行くだけだが」
「使命を全うせずに?」
不穏な気配を感じた騎士たちは騎馬から降り、剣の柄に手を添える。
「どうかお戻りになってはくれませんか? 今ならばまだ、目を瞑れます」
「放っていてはくれないのか?」
「仕方ありませんな。十六夜殿、手荒な真似になりますがご容赦を」
騎士隊長が剣を抜く。騎士たちもそれに続く。がしゃがしゃと鎧を鳴らしながら私を囲むように展開する。じりじりと間合いを詰めてくる。
このなまくらな剣と、弱体化した勇者はどこまで戦えるのか試すにはいい機会だ。
なんてことを考えているが、負けるとはかけらも考えてはいない。
統制のとれた動きで間合いを詰めてくる騎士たちに、飛び込んでくるような馬鹿はいない。このままなぶり殺しにするのだろう。ならこちらから崩しにかかるしかない。
私は踏み込みとともに剣を振り下ろした。一閃とともに騎士を斬る。反応できなかった騎士は斬られるが鎧に阻まれ、肉には届かず。さらに私の剣は折れてしまった。
砕けた鉄の欠片が輝き舞う。まだ反応が遅れる騎士の腕をつかみ、引き寄せながら腹に膝蹴りを打ち込む。鉄のひしゃげる音とともに騎士は崩れ落ちた。
「笑えるだろう。剣よりも己の肉体で戦ったほうがマシなんてな」
なまくらな剣よりも己の肉体のほうが頑丈だなんて、まるで私は人間でないみたいだ。
安物のなまくらよりは幾分ましな騎士が持っていた剣を拾い、切っ先を騎士たちに向ける。
「さて君たち、今ならばまだ見過ごすがどうする?」
騎士隊長はごくりと生唾を飲む。転がる死体から流れ出す血液の臭いが否応なしに、強烈な死を意識させられる。張り詰める緊張感により剣を握る力がいつもより強くなる。手汗が止まらない。それでも騎士隊長はいつも通り、平静に努める。そして騎士たちを鼓舞するために声を張り上げる。
「全員、殺す気でかかれッ! 勇者ではなく敵として書かれッ!」
弾かれたように襲い掛かる騎士たちの剣戟を躱しながら一人、二人と斬っていく。流れるように。
鎧の隙間に剣先が吸い込まれる。硬く握った拳が騎士の顎を砕く。振りぬいた蹴りが騎士の足を鎧ごとへし折る。まるで相手にならない。
「くそっ……どうして……勇者といえど今はまだ弱いはずなのに」
「お前が知る必要はない」
力なく横たわる騎士隊長ののど元に奪った剣の切っ先を突きつける。さすがは騎士隊長の剣だ。下っ端とは違うようだ。切れ味はいい。すっとのどを貫いたことから証明されている。
とどめも刺した。追手もこれでしばらくない。移動手段である馬も手に入れた。たいした計画も立ててはいないが予定通りだ。
さて、移動しよう。そう思った瞬間……
稲妻が落ちるような衝撃が私に襲い掛かった。それは文字通りの意味ではなく、かつて勇者として無数の修羅場を乗り越えた結果、身に付いた第六感や超直感とでもいう未来予測、予知だ。
全身の毛穴という毛穴が開いてしまうほどの悪寒。その感覚に従い、私は回避行動をとる。
そして私が数瞬前にいた過去位置に巨大な氷の柱が聳え立っていた。
「完全に不意を突いたと思いましたのに。残念です」
「まさかお前も刺客だったか。騙されたな。メイドだというのも嘘なのか?」
「いえ、私はお嬢様のメイドですよ。そもそも私がただのメイドだと一言でも言いましたか?」
氷のような冷たい微笑を浮かべるメイドがいつの間にかいた。戦闘に集中していたせいで気配を読み取れなかったのだろうか。
美しい銀色の髪。透き渡る青色の瞳。まるで人の手で作り出された作り物のような美貌。そして本来なら戦場に不釣り合いなメイド服姿。なんでも完璧に仕事をこなす有能さがうかがえる。
その手には二振りの剣がある。双剣というやつだ。魔法的処置が施されているのだろう。本来なら剣には不要な装飾がなされている。ご丁寧に青く透き通る鉱石も使われている。
「十六夜様、まさかもう騎士たちを片付けてしまうとは。いささか、見誤っていました」
メイドの身体から魔力があふれ出す。本来、ただ魔力を放出するだけでは現実世界には毛ほどの影響も与えない。
世界を変革させる魔力か。厄介で、そして強い。
まだ日差しは暖かい季節だが、息が白くなる。寒気を催す風が吹く。
「ああ、そういえば。私、まだ名前を申していませんでしたね」
「別に興味はないぞ」
「いえいえ、そう遠慮なさらずに。一従者として、お嬢様に使える身として名乗らずに十六夜様に暴力を働くわけにはいけませんもの」
「こいつらにも言ったが。できれば放っておいてくれないか」
「それは無理な相談です。あなた様は勇者であられます。そして召喚された身でもあります。ご勝手なされると困りますわ」
飼い犬に逃げられては困る。そういうことか。
口には出さずに、私は行動で拒絶の意味を示す。剣をメイドに向ける。
「そうですか。では手足の一つや二つとはいかずにすべてぶった切って持ち帰るとしますね」
「そこは無傷でとか言うんじゃないのか」
「まさか。十六夜様はお強いではないですか。手加減などできません。何、安心してください。我が国の治癒魔法はなかなかですので」
ぺこりとメイドはお辞儀をした。凍えるような冷たい微笑みを張り付けながら。
「セレナ・フェイナス。しっかりとその空っぽな頭に刻み込んでくださいね」
メイドことセレナがゆらりと揺れる。姿がぶれる。迸る魔力の残光が尾を作る。まるで彗星だ。襲い掛かる二つの刃の嵐。私は一本の剣で対抗するが、刃と刃が触れ合うたびに火花散り、私の剣が削られていく。
あっという間に命を刈り取られてしまいそうだ。このままメイドのリズムに合わせて戦うつもりはない。時折蹴りや突きを織り交ぜるがすべて躱されてしまう。
速い。こんなに速いのは久しぶりだな。獣人や魔族とやりあっている気分だ。
「何をそんなににやけているのですか?」
「にやけているか?」
「ええ。それはとても楽しそうに」
どうやら私は笑っているようだ。仕方ない。今までずっと退屈だったんだ。久しぶりに化け物のような人間と殺しあっている。楽しくないはずはない。このスリルがたまらない。死ぬかもしれない、殺されるかもしれない。そんなギリギリの綱渡りが楽しくて仕方ない。
つくづく私という人格は歪んでしまっている。いつからだったのか。殺し合いがとても楽しいと感じるようになったのは。勇者として呼ばれて、殺し殺される戦場に身を置いてから。
「ああ、とても楽しいんだ」
「喜んで頂き、光栄です」
今度はこちらから攻める。踏み込みとともに横なぎの一閃。それをメイドは飛んで躱す。そして異様に速い速度で着地し、さらに飛び退く。距離を取った。魔法での攻撃。メイドの魔力が高まる。冷気が駆け巡る。メイドを中心に地面が氷結していく。およそ、私たちが戦闘で使うであろう範囲が凍り付いた。
地の利は向こうのあり、魔法も剣もすべて向こうは十全に使える状況。対して私は魔法は使用不可、かつての愛剣は弱体化、拾い物の剣は刃こぼれに罅。圧倒的に不利。勝っている部分は身体能力のみ。だがメイドの不可解な強化魔法で追いつかれる可能性もある。
さあどうする私よ。異世界に来て最初の危機。死ぬかもしれない。目的も果たせないままに、終わるかもしれない。それでいいのか。いや、いいはずがない。私はまだ何も為していない。何も為せずに終わるわけにはいかない。
「この際、もうどうでもいいか」
「何がですか?」
「さあな。秘密だ」
「言ってること、無茶苦茶ですよ」
「ああ、そうだな。お前には関係がないがな」
「酷いことを言いますね。私とあなたの仲じゃないですか」
「それほどでもないだろ【来い、待宵月】」
右手に奇跡が集う。
右手に奇跡が集う。
かつての愛剣、幾万もの命を奪ってきた相棒。
遍く神の力を束め、遍く神をも打ち滅ぼす。
刃という概念の象徴。
それには柄はない。それには鍔はない。それには納めるべき鞘もない。
あるのは剥き出しの刃。斬るという概念のみ。
十六夜紅月のチカラの全て。十六夜紅月の魂の結晶。
それはまるで三日月のように反った刃。月光のような白銀の刃。
弱弱しく、白銀色に明滅する未完の剣。かつて魔王を封印した相棒を手に十六夜は笑う。
「さあ殺しあって殺しあって殺しあおう。退屈な日常を忘れさせてくれ」




