小説が完結しないわけ
キーボードを叩く耳に心地よい音。画面上に次々と並べられていく文字。繋がっていく文章がある程度まとまり、一区切りついたところで、俺は『新規保存』と書かれたボタンをクリックした。
夜に『作家になろうぜ』というサイトで小説を書く、というのは俺の日課だった。最初は評価や乾燥など全く来なかったのだが、最近ではかなり上達して、小説ランキングなる物に自分の書いた小説が並ぶほどだ。
「結構いい感じだな……」
出来上がった文章を読んでみると、我ながら中々の出来だった。
人称は主人公による一人称。ストーリーは美少女と夢がいっぱいの異世界トリップ。冴えない中高生が魔法にあふれたファンタジー世界にトリップして、超絶的な力で周囲を圧倒するというものだ。
この小説は日間ランキングにここ数日載りっ放しの人気作で、我ながら面白い小説だと思う。特に序盤の幼女神とのやり取りなど、古今東西例のない斬新な展開だ。おかげさまでポイントもうなぎ昇り、アクセス数も天井知らずの上がりっぷり。いつ出版社から声がかかってきてもおかしくない。
「印税……。やべえ、俺が将来お札になったりして!」
「ないな、それは絶対ない」
「ッ、誰だ!?」
すっ転びそうになりながら後ろを振り向くと、女の子が立っていた。艶のある黒髪をポニーテールに纏めた、かなりの美少女だ。切れ長の若干きつめの印象を与える眼と、スッと高く通った鼻梁、口元は小さく色っぽい。背も高く身体はほっそりと引き締まっていて、胸元はスイカと比べっこができそうなほどに立派だ。全体として俺のストライクゾーンど真ん中である。
そんな少女ははあと大きくため息をつくと、俺に近寄ってきた。俺は思わずPCの方へと後ずさる。
「お前は私のことを覚えてないのか?」
「知らん、あったことないぞ」
「この浮気者め、たった半年もたたないうちに忘れるとは。私だよ、私」
おれおれ詐欺の新しいバージョンかよ。俺は眉を寄せた。
「私って誰だよ。名前を言ってみろ」
「名前か。私の名前は……」
「言えないのか?」
「いや、もちろん言えるがな……」
少女の頬が桜色に染まった。彼女は何が恥ずかしいのか背中をまげて身体を小さくする。胸がむにゅっと潰れて眼に毒だ。
「ハー……レム」
「ハーレム?」
「異世界ハーレム記! それが私の名前だ!」
「はあ!!」
そんな馬鹿な! それは俺が書いた小説の名前だ。確か半年ほど前に書いた処女作で、途中で飽きて放置……俗に言うエタった状態になっているはずだ。ポイントもほとんどつかず、当然ながらアクセスもほとんどない。そんなマイナー小説の名前を何故この少女が……?
「まさか……俺のファン?」
「んなわけあるか! 私はお前が書いた異世界ハーレム記そのものだ! あまりに長い間放置されてるから、心配になって来てみれば……」
自称『異世界ハーレム記』は俺に近づいてくると、そのまま後ろにあるPCに手をやった。そして画面に表示されている『俺のチートな異世界生活』という文字を敵意むき出しの眼で見つめる。
「私を完結させないうちに新しい小説に手を出しておるとはな! まったく浮気者め! 遅筆で同時連載なんぞ無理なんだから、私を完結させてから書けばよかろうに!」
「だって書いてても感想来なかったし……ポイントも全然伸びなかったし……」
何故だかはわからないが、俺は少女が自作小説であることをいつの間にか認めていた。もしかしたら、少女の能力なのかもしれない。が、とにかく俺はこの少女の言ってることがホントのようなつもりで話をした。
「ポイントや感想など後から付いてくるものだろう? それが目的になるとは本末転倒じゃないか」
「でも……ないとモチべが上がらないんだよ」
「それは仕方ない。じゃあ私がついててやるから、一緒に完結させよう。どうだ、モチべ上がったか?」
「マジで!?」
「ああ。完結するまでずっと一緒に居てやろうじゃないか」
来た、俺の人生始まった! 彼女いない歴20年、長い冬だったけどようやく春が来た!!
俺は回転いすを反転させると、さっそく画面に映っている新規小説作成のボタンを押した。そして執筆フォームを起動させると、キーボードを叩き始める。
しかしここで、俺ははたと気がついた。キーボードを叩く手をやめると、いつの間にか座布団に座っていた少女に声をかける。
「なあ、ところでお前ってさ……。『異世界ハーレム記』が完結したらいなくなるの?」
「そうだな。完結したら居なくなる」
「一緒に居られないのか?」
「うーん、厳しいな……」
腕を組んで唸り始める少女。それを見た俺は、そっとノートパソコンを閉じた。
俺の小説が完結するのはもうしばらく後の出来事になりそうである――。