第9話 明暗
「功ちゃん。あと半年で卒業だろ?進路は決まったのかい?」
高校最後の夏休みが終わろうとしていたその日の夜。いつものように賄飯を食べていると、裏口からタバコをくゆらせながら入って来た恵一が訊いてきた。
「就職する予定です。うち、兄ちゃんと姉ちゃん、二人とも東京の大学に通っているので学費やら生活費やらで家計は火の車なんですよ」
恵一にはそう言ったが、これは半分正解で半分不正解だ。
私大に進学した新平は、特待生扱いでないから学費や生活は他の私大生と同じくらい掛かっている。
一方、由紀子は、ストレートで国立大学に合格したので初年度納付金さえきちんと納めればあとは奨学金と少しの仕送りとアルバイトでどうにかやりくりできるレベルだ。
「そっか。功ちゃんのところもいろいろと大変だね」
大将はそれだけ言うと、隣に置いてあったスポーツ新聞を手に取った。
「それでは、先日、渡した『進学希望調査書』を回収する。後ろの席から前に回してください」
あっ。いけっねぇ。書いてねぇや。
功は、カバンを開けると急いで書類を探した。
あった。
書類は、カバンの奥底で窮屈そうに眠っていた。
「おい。立花。早く前に回せよ」
大急ぎで鉛筆を走らせていると後ろの席から声がした。
いつもダラダラしてるくせになんでこういう時に限ってみんなスピーディーなんだよ。
後ろの席から書類を受け取ると、教壇に立っていた担任に手渡した。
第3希望だけ、適当に埋めちゃったけど、第1か第2に就職できれば問題ないから、まぁ、いっか。
進学・就職面談は、例年10月頃まで定期的に行われる。その間、高卒者対象の国家公務員や地方公務員試験が実施されるので、それまで進学を希望していたけど合格したことを機に進学を取り止める生徒も少なくない。
そういう事情もあり、通っていた高校の実質大学進学率は、県下でも低い方だった。
「よぉ。功。元気だったか」
「お母さんに聞いたけど、まだ、『船橋』で働いているんだって?」
2回目の面談が終わったその日の夜。バイトから戻った功が居間に顔を出すと、新平と由紀子が仲良くテレビを観ていた。
「お揃いでどうしたの?」
「季節外れに帰省したら何か罪になるのか?そんな法律、大学で習ってないぞ」
法学部に籍を置いている新平が皮肉交じりに返した。
「私は、今年のお正月とお盆に顔を出していなかったから来たのよ」
兄姉の絆か。それとも、ただの腐れ縁なのか。
幹子曰く、2人とも連絡なしの帰省だったにも関わらず実家に着いたのはほぼ同時刻だったそうだ。
「久々にお前の顔見たらなんか無性に小腹が空いてきたな。簡単なものでいいから何か拵えてくれるか?なるべく、早く頼むな」
「お兄ちゃん。嘘でしょ?さっき、あんなに食べたじゃない」
「馬鹿野郎。お前は功のフリを無駄にする気か?功は、今、自分の得意球じゃなくて、料理の腕前を披露したくてうずうずしている年頃なんだよ。落研サークルに入っているお前がそれに気が付かないとは片腹痛いわ」
「そういうことなら、私もお願いしよっかな?最近、美味しいもの食べてなかったから」
どうせ乗っかるなら、綺麗にスッと乗っかれよ……。
2人のぎこちない悪ノリ劇場を見届けた功は、クタクタの体に鞭打って台所へ向かった。
これとこれは使えそうだな。
冷蔵庫の中から消費期限間近で中途半端に残っていた野菜をいくつか取り出した。
「功。お母さん達は眠るからくれぐれも火の始末だけは忘れないでね」
「うん」
もやしを炒め終わったところで、トイレから出て寝室に戻る途中の母親に言われた。
よし。これで完成だ。
「お待たせしました。開けゴマ」
お膳で両手が塞がっていた功が言うと、居間の障子が左右にスーッと開いた。
「野菜大盛り塩ラーメンです」
功は、お膳を卓袱台の上に置いた。そこから、新平、由紀子の順に丼と割り箸を手渡した。
「おい。これ、美味いぞ。マジ、お前が作ったのか?職人じゃねぇか」
「麺もスープも煮卵も全部美味しい。でも、それ以上に野菜もふんだんに使われているのが最高ね。これ、絶対、女性ウケするわよ」
「なぁ。言ってみるもんだろ?」
「そうね。深夜のラーメンと甘いものは別腹っていうもんね」
「それは初耳だ」
「もう。そこはのっかるところでしょ?」
不毛な掛け合いはさておき、自分が作ったものを2人が笑顔で食べてくれていることは、功にとってはこれ以上ない喜びだった。
「それじゃ、帰るわ」
「うん。気を付けて」
翌日。新平は朝一番の電車で東京のアパートへ戻った。
世の中そんなに甘くはないけど、あの兄ちゃんならひょっとしたら……。
昨夜のことだ。功は新平からある極秘情報を告げられていた。以下がその内容だ。
<ここだけの話。じつは春のリーグ戦で、俺のピッチングを見ていた某球団から部長に獲得する可能性があるという話が監督の方にあったみたいなんだよ。それが、本当なら、来月のドラフト会議で名前が呼ばれるかも知れない。もし、ダメだったら社会人チームに進むつもりだ。お前を信用して話したんだからこのことはドラフトが終わるまで誰にも言うなよ>
「待ち合わせに遅れるといけないからそろそろ帰るわね」
「姉ちゃん。気を付けて」
由紀子が帰ったのは、昼前だった。これから高校時代の友達と箱根へ行くと言っていた。
大将。最近、元気がないみたいだな。それに、女将さんもなんか表情が冴えない気がする。
異変とまでは言わないが、功は、ここ数日の2人の様子が気になっていた。
「あんた。決めたのはあんただろ?あんたの口から言いなよ」
「でも、お前……」
「そりゃ。言いにくいのはわかるけどさ、でも、いずれは言わないといけないことでしょ?」
2人とも揉めてるみたいだけど、どうしたんだろ?
午後9時。店の中へ暖簾を運んだ功は、自分に背を向けたままこそこそ話を続けている老夫婦に思い切って訊いてみた。
「あのぅ。大将。女将さん。ひょっとして、店を畳むつもりじゃないですか?」
「えっ。ど、どうしてそれを?」
やっぱり。そんなことだろうと思ったよ。
恵一の驚きぶりを見て功は、ここ数日の様子のおかしさに合点がいった。
「功ちゃん。大事な話だから、あっちで話そうか」
「はい」
頼りない恵一を脇にどけた咲子は、功と一緒に奥の座敷へ向かった。
「大変急で申し訳ないけど、じつわね……」
功が座ると、咲子は重い口を開いた。
咲子曰く、2人とも年齢からくる気力や体力の衰えで数年前から店を畳むことを考えていたらしいが、その時期までは決められないでいた。
ところが、先週、事態は一変した。
沖縄に住んでいる長男夫婦から「こっちで一緒に暮らさないか?」という連絡があったそうだ。
温かいところで子供や孫達に囲まれて余生を過ごすのも悪くない。
遅かれ早かれ店を畳むことだけは決めていた2人にとってこれは渡りに船のありがたい申し出だった。
だが、この2年半で実子同然の付き合いになっていた功にそれを切り出すのは心苦しかった。
話を要約すると、ざっとこんな感じだ。
「凄くいい話じゃないですか」
功は、話を聞き終えると笑顔で言った。
短く言い切ったのは、これ以上、会話すると湿っぽくなると思ったからだ。
ここで働くのも今日が最後か。あっという間だったな。
秋の気配も深まった11月上旬。
その日の仕事終わり、大将が作ってくれた最後の賄飯を口にした功は「今までお世話になりました。2人ともお元気で」と笑顔で『船橋』を去った。
俺も1人立ちしなきゃ。
『船橋』を円満退職?した功は、翌日から就職活動に本腰を入れた。
「功。新平が代わってくれって」
ドラフト会議から半月後。新平から実家に電話があった。
「兄ちゃん。せっかくのチャンスだったのに残念だったね」
孝之から受話器を受け取った功は、小声で言った。
「なぁに。こんなことドラフトじゃよくあることだよ。全然気にしていないよ。これから社会人チームに入って、そこで次のチャンスを待つさ。そんなことより、俺との約束守ってくれてありがとうな」
新平は、明るく言って電話を切った。
気力・体力・年齢を考えたら今回がプロ入りのラストチャンスだったと思う反面、功には、この男なら多少遠回りしても必ずプロへの扉をこじ開けるだろうという得体の知れない期待感があった。




