第7話 愛しいポンコツ
<明日は傘の出番はなさそうです>
昨日の夜。某ニュース番組の最後のコーナーで担当の美人キャスターは、笑顔を振
りまきながら言っていたが、3時間目の途中から降り出した雨は、雨足が強くならないまま下校時間まで降り続いていた。
終わった。終わった。帰るとするか。
授業が終わると、功は、カバンの中から万年仕舞いぱなっしの折り畳み傘を取り出し、空いたスペースに勉強道具を入れて教室を出た。
「今から体育館に集合だってよ。この様子だと今日は筋トレだけで終わりそうだな」
「グランドを走らされるより、そっちの方がはるかに楽じゃねぇ?」
「確かに。練習時間だけでいいからこの調子で明日も明後日も降ってくれねぇかな」
「それ、いいねぇ」
廊下を歩いていると前から屈強なガタイをしている数人組とすれ違った。ヘッドギアを被っていたからおそらくラグビー部だろう。
あんなに立派な体格をしているのにまだ鍛えるのか。
中学の時とは違って、帰宅部でも堂々としていられる高校生活は、気が楽な反面、高校生になっても何かに打ち込めるものを持っている他の生徒達が羨ましく思えた。
功がそういう考え方をするようになったのは、大学2年生になった新平の影響が大きい。
<功。継続は力なりだぞ。勉強でもスポーツでもなんでもいいけど、打ち込めるものがある人間にしか運もツキも回ってこないからな。俺がそのいい例だ>
2年前に行われた夏の甲子園の県予選。不動のエースに成長した新平は、1回戦から決勝まで全イニングを1人で投げ抜いたが、打線の援護がなく甲子園出場の夢は叶わなかった。
だが、捨てる神あれば拾う神あり。
決勝戦が終わった翌日。対戦相手校の選手をスカウトする目的で試合を観に来ていた東京の某私大関係者から監督を通じて特待生扱いは無理だが、セレクションを受けてみないかと打診があった。
例の事件で家計に負担を掛けたくないと考えていた新平は、高校を卒業後したら社会人チームに入ってそこで力をつけてからプロ入りを狙うつもりでいた。なので、ありがたい話ではあるが、当初は断るつもりでいた。
そのことを両親に話すと「プロになってもなれなくても大学卒業の肩書は無駄にはならない」と諭され最終的にはセレクションを受けることに決めた。
<楽勝。楽勝。変化球を使うまでもなかったぜ>
セレクション当日。新平は、全国から集められた特待生扱いの連中を力でねじ伏せた。
兄ちゃんほど熱心じゃなくてもいいから何か打ち込めそうなものはないかな?こんな生活続けていたら頭も体も鈍っちゃうし、それに時間も無駄にしているみたいでなんか嫌だな。
頭ではわかっていても、行動を起こすことはせずダラダラと時間だけが過ぎて行った。
「あんた、毎日、暇でしょ?」
梅雨が明けたある日の夕方。いつものように居間で寝転がりながら漫画を読んでいると由紀子が笑顔で絡んできた。
その顔は何か企んでいるな。
長い付き合いで、由紀子が笑顔で下手に出る時は決まって裏があることを知っていた功は、単刀直入に訊いてみた。
「姉ちゃん。言いたいことがあるならはっきり言ってよ」
新平は、読んでいた漫画本を閉じて卓袱台の反対側に座っていた由紀子と対峙した。
「じつはね……」
功に促された由紀子は、静かに話を始めた。
何か新しいことをやりたかった由紀子は、高校に入ると新聞部に入部した。入部と同時にタウン誌の作成を任された由紀子は、定期的に地元の商店や会社を訪問しては情報を集めて回っていた。
元々、頭の回転が早く、社交的で目上の人から好かれるタイプだった由紀子は、時間が経つにつれインタビューするよりも店主や社長連中からのお悩み相談を受けることが多くなっていた。
とはいえ、そこはただの女子高生。由紀子に出来るのは黙って話を聞いて頷くことだけだった。
ところが、先日、そんな由紀子でも力になれそうな相談を受けた。
「ねぇ。どうせ、家に居ても暇でしょ?だったら、アルバイトしてみたら?お金も稼げて社会勉強にもなるから一石二鳥だよ」
由紀子は、笑顔を絶やすことなく話を進めていたが、功にはすべてお見通しだった。
「姉ちゃん。それ、俺のためを思ってのことじゃないよね?」
「どういう意味よ?」
「よく、ご馳走になったりして、それで、その恩を返すために俺を働き手として紹介するとかなんとか言ったんじゃないの?」
「バレてましたか」
由紀子は、おどけながら立ち上がった。
「いいよ。やるよ。姉ちゃんには、柔道教室を紹介してもらった借りをまだ返していなかったからね」
「……嘘?マジ?マジで引き受けてくれるの?」
「とりあえず、座ったら?」
「そうだね……」
まさかの展開に、由紀子は、口を開くのも座るのもワンテンポずつ遅れていた。
引き受けたのはいいけど、愛想がない俺に務まるのかな?
翌々日。学校が終わった功は、昨日、書き上げたばかりの履歴書を持って由紀子から紹介された隣町にある定食屋『船橋』にやって来た。
「いらっしゃい」
暖簾をくぐると頭にねじり鉢巻きをした店主らしき強面の爺さんが仕込みをしていた手を止めて功を迎えた。
「あのぅ。すみません。姉ちゃん、いや、あの、立花由紀子の紹介で来ました」
「由紀子ちゃんの弟さん?話は由紀子ちゃんから聞いているよ。そんなところに突っ立ってたら気になって仕事に集中出来ないよ。どこでもいいから空いている席に座ってよ。おい。婆さん。由紀子ちゃんの弟さんが来たよ。ジュースかコーラ出してやって」
「いらっしゃい。暑いね。これ飲んで少し待っていてくれる?あの人、いつもあんな調子だけど、真に受けないでね」
「はい。ありがとうございます」
体は小さいが強面で言葉も癖も強い店主とは正反対に奥さんの方は、顔と言葉に優しさと品の良さが滲み出ていた。
「お待たせして悪かったね」
仕込みが終わったところで、店主と奥さんが功の座っていた席までやって来た。
「あのぅ。これ、美味しかったです。ご馳走様でした」
「今日、暑かったもんね」
奥さんはそういうと手早くコップを回収して奥へ引っ込んだ。
「まぁ。由紀子ちゃんからあんたのことはいろいろ聞いているから面接といっても形だけだから緊張しないでくれ。というか、俺の自己紹介まだしていなかったよな?俺は、ここの店主の船橋恵一です。さっき、コップを回収して奥に引っ込んだのが、婆さん、じゃなくて嫁の咲子だ。名前で呼ばれるのは照れ臭いから俺のことは大将、あっちは女将さんと呼んでくれ」
「わかりました。あっ。そうだ。これ、どうぞ」
功は、準備していた履歴書を恵一に渡した。
「由紀子ちゃんからアルバイトするの初めてって聞いたけど、調理は俺、接客は咲子が責任が教えるからそこは心配しないでくれ」
恵一は、目を通したばかりの履歴書をテーブルの端に寄せてから言った。
「えっ。調理もやるんですか?」
由紀子から接客だけだと聞いていた功は、焦った。
「ご覧のようにうちは『高齢化食堂』だよ。いつ何時どっちが倒れてもおかしくないわけよ。だから、どっちもこなせる人間を必要としているのよ」
言い草はともかく、恵一の考えも一理あると思った。というのも、どっちも見た目は若いけど、動きの一つ一つがまぎれもなく高齢者そのものだったからだ。
「わかりました。一生懸命やります」
「こちらこそ、期待していますよ」
この日は挨拶だけで終わった。
「功ちゃん。これ、6番テーブルに出して」
「はい」
「功ちゃん。そこ、急いで片したらあちらのお客さんを案内してお冷を出して」
「はい」
「功ちゃん。レジ、お願い」
「はい」
翌日から咲子にくっついて接客の流れを教えてもらった功は、半月もしないうちに要領よく動けるようになっていた。
「功ちゃん。お疲れ様。今夜は、これ、食べて帰りな」
「俺、大将が作る料理、どれも美味しくて大好きです」
「ありがとう。嘘でも嬉しいよ」
「いや、冗談抜きで美味しいですよ」
元々、東京の有名なホテルで修行していただけあって大将の作る料理はどれも美味しかった。
「功ちゃん。接客はもう完璧だ。次はラーメンの作り方を教えるからね。なぁに。功ちゃんなら2週間もあれば上手く作れるようになるさ」
翌日から恵一にくっついてラーメンの作り方を教えてもらうことになった。
「功ちゃん。慌てないでいいから、ゆっくり、落ち着いて」
「はい」
「タイマーが鳴ったらさっと麺を取り出して」
「はい」
厨房で働いていた人ならわかると思うが、調理をするだけならそこまで難しくはない。
事前の準備に始まり、調理しながら客の注文を受けつつ、後片付けまで同時並行でこなすのが一人前の調理人だ。手先が不器用で段取りも下手くそだった功には地獄の所業だった。
まずはこれをやって、その次にこれだろ。タイマーが鳴ったら、さっと、湯切りしてこれとこれを手早く盛り付けて最後にスープを注ぐ。
この日以降、功は家でも学校でも暇さえあればラーメンの作り方をイメージトレーニングをしていた。
「どうぞ」
夏休みが始まって10日ほど経った。この日、いつもより30分早く『船橋』にやって来た功は、2人にこれまでの特訓の成果を披露した。
長年連れ添ったからか。それとも、お互いが元々こういう食べ方をしていたのか。
麺、スープ、チャーシュー、煮卵、海苔、もやし、メンマ。
老夫婦は、食べる順番もスピードも図ったかのようにシンクロしていた。
「功ちゃん。なかなかやるじゃねぇか。素人にしちゃ上出来な味だよ」
「味もそうだけど、最初の頃に比べたらすごく手際も良くなっていたわよ」
「ありがとうございます」
2人の評価を聞いた功は、嬉しさのあまり泣きそうになった。
「それじゃ、功ちゃん。明日から、功ちゃんはラーメンを担当してもらう」
「えっ」
「俺の経験上、料理は、実践形式で覚えるのが上達のコツなんだよ。困ったら助けるからそこは心配しないでくれ」
「心配しなくても大丈夫よ。この人、今はこんなに何でも上手く作れるけど、料理の世界に飛び込んだ当初は、功ちゃんより手先は不器用で段取りも下手。ホント、どうしようもないポンコツのコックだったのよ」
「おい。功ちゃんの前でポンコツとか言うな。恥ずかしいじゃねか」
「だって。本当のことじゃない」
「本当だからこそ、言ってほしくなかったな」
「ごめんなさいねぇ。嘘が言えない性格で」
「まぁ。昔のことだ。別にいいけどね」
年甲斐もなくじゃれつき出した老夫婦を功は、苦笑しながら見つめていた。




