第5話 運も実力のうち
「ナイスピッチ」
「こんなのまだ、序の口だよ」
新元号になって最初の4月。高3になった新平は、今まで以上に以上に気合が入っていた。
それもそのはず。進学先の高校は、これまで春夏問わず何度も甲子園に出場していた常連校だったが、近年は他校の台頭もあって甲子園から遠ざかっていた。
おかしいなぁ。確かに入れたはずなのに……。
4月の半ばを折り返したある土曜日の午後。久々に日が暮れないうちに自宅へ戻った新平がリュックサックを開けるとそこにあるはずのグラブが入ってなかった。
俺としたことが命の次に大事なグラブを忘れるとは。でも、まぁ、人間だからたまにはこんな日もあるさ。
「部室に忘れ物したから、今から取りに行くね」
新平は、台所で夕飯の支度をしていた母親に言うと運動靴を履いて家を出た。
どうか盗まれていませんように。
20分後。学校に到着した新平は、祈るような気持ちで部室へ向かった。
よかったぁ。
グラブを小脇に挟み部室の戸締りをした時だった。
部室から数メートル先にある雑木林に向かってユニフォーム姿の中村と山下が入っていくのが見えた。
あいつら、また、タバコだな。あれほど、校内では吸うなと注意したのに。
部員の不祥事で甲子園はもちろん地方予選に出られなくなった事例は昔からごまんとある。自分達の代だけならまだ諦めもつくが、規律に厳しい高野連の判断次第では自分達の次の代にも迷惑が及ぶ可能性がある。
仕方ない。後始末の確認だけはしてやるか。
グラブを頭に被せた新平は、気配を殺しながら2人のあとをつけた。
「山下。お前、卒業したらどうする?このまま野球続けるのか?」
雑木林に入って少し進んだところでタバコの臭いと一緒に中村の声が聞こえた。
タバコ吸いながらする話じゃねぇだろ。
大きな木の裏に移動した新平は、突っ込みたい気持ちを抑えながら2人の会話に聞き耳を立てた。
「俺は、親父のコネで社会人チームに入るつもりだよ。お前は?」
「俺は大学へ行く予定だよ。野球なんて所詮は進学か就職のための道具だよ」
「同感だね」
もし、これが入部直後の自分なら返り討ち覚悟で飛び掛かっていただろう。でも、今は違う。
何故なら、彼らには彼らの考え方があり、それに自分の価値観を押し付ける権利はないということをある人から学んでいたからだ。
だが、頭では理解していても癪に障る言動には変わりはない。
「あっ。コーチ。お疲れ様です。えっ。あっ。忘れものをしたので取りに来ました。他の部員ですか?帰ったと思いますよぉー」
火の後始末を見届けた新平は、部室の前に戻ると雑木林に向かって大声で渾身の一人芝居を打った。
「よぉ。新平ちゃん。相変わらず練習の虫みたいやね」
翌月。校内にある合宿所で野球部恒例のゴールデンウィーク・ミニキャンプが始まった日の夜。前年まで野球部に在籍していた井上がふらっと合宿所に現れた。
「井上浩二。井上浩司じゃないか」
「おぅ。久しぶりやな」
「久しぶりだな。井上浩二。こんな中途半端な時期と時間に井上浩二」
「ベタベタ触るなや。それと逐一フルネームで呼ぶな。恥ずかしくてかなわんわ」
井上は、両親の仕事の都合で中学2年の時に関西から関東に越してきた。移り住んで4年もなるというのに未だに標準語には強い抵抗があるらしく、会話の時は常に関西弁だ。
「監督から許可は取っている。少しだけ邪魔するで」
井上は、2年生の夏前に肩を怪我して野球を辞めた。
「ところで、柴田とはその後、連絡は取っているんか?」
新平の部屋に入った井上は、備え付けの簡易ベッドに腰を下ろしながら訊てきた。
「あぁ。月に1回くらいは取っているよ」
「そっか。しょうもない怪我で早々に辞めた俺が言うのも変やけど、ホンマに惜しい人材やったな」
「死んだみたいに言うな。縁起でもない」
「こりゃ、すまん。俺が、あいつの立場だったらと考えるとそういう気持ちになるっていう意味や」
井上がそう思いたくなるのも無理はなかった。この高校の野球部でレギュラーを張っている人間の大半は、子供の頃から天才野球少年とか野球エリートと言われていた連中だ。
そんな連中の中でも柴田喜久雄は、体格・肩の強さ・パンチ力・球の速さ・コントロールの精度・足の速さと何もかもが異次元のレベルだった。
こいつには勝てねぇ。
入学直後。柴田とキャッチボールをした誰もがそう感じたと思う。無論、新平もその中の1人だ。
しかし、そんな天才を思いもよらぬ悲劇が襲った。
あれは高2になってすぐの頃だった。春休みの初め頃にひいた風邪がなかなか治らなかった柴田は、練習を休んで母親と一緒に病院へ行った。
市販薬だからダメなんだ。病院から処方された薬さえ飲めばすぐに治るはず。
軽い気持ちで診察室に入った柴田に医師は、淡々とした口調で言った。
<柴田さん。検査の結果が出ました。1型の糖尿病を発症しています>
物心ついた時からプロ野球選手を目指していた柴田にとって、これは、死刑宣告に等しい仕打ちだったに違いない。
<監督。コーチ。みんな。今までお世話になりました>
翌週。柴田は野球部を辞めた。
並の高校生ならここからグレ始めても全然おかしくないところだが、柴田は、身体と同じくらい器もデカい男だった。
柴田が退部して半年ほど経ったある秋の日のことだ。夏前から腰の具合が思わしくなかった新平は、精密検査を受けるため市内にある総合病院に行った。
その時、偶然、同じ待合室に柴田がいた。それまで、柴田とは学校でも部活でもほどほど会話をしたことがなかったので、声を掛ける時は、公式戦の初球くらい緊張した。
<あのさぁ。余計なお世話だけど、今後はどうするつもりなの?>
軽い雑談のあとで新平は、本題に切り込んだ。
<今後か。そうだね。この体じゃ普通の仕事も難しいだろうね>
<そりゃ、そうだよ……>
言い切ったと同時に新平は、自らの失言に気付いてハッとなった。
<ごめん。そんなつもりはなかったんだよ>
<アハハ。立花ってピッチングと同じで、会話もど直球で面白いね。あまりに速いから見えなかったよ。まぁ、でも、そっちの方が変に気を遣われるより楽だわ>
<ごめん。マジでごめん。怒っただろ?>
<怒ってないよ。全部本当のことなんだから>
柴田が本心からそう思っているとわかった新平は、少し安心した。
<さっきの続きだけどさ、俺、将来の選択肢が減るってそんなに悪いことじゃないと思っているんだよ。だって、そうだろ?やれること、出来ることが限られているとそれに向かって頑張れるじゃん。要は現実をどう受け入れて、どう処理するかが大事なんだよ。俺には野球の才能はあったかも知れないけど、それを続ける運がなかった。だから今後は別の道を探して生きていくよ>
柴田は、言い終わると優しい笑みを見せながら新平の肩をポンポンと叩いた。
「あっ。もうこんな時間か。オカンに『バイト先に用事があるから』って嘘ついて抜けてきたから、ボチボチ、帰るわ」
井上はベッドから腰を上げた。
「最後にええか?」
「なんだよ?」
「新平、歯磨けよ。風呂入れよ。宿題やれよ。そして、プロになれよ。ほな、さいなら」
井上は、新平に背中を向けたまま手を振って部屋から出て行った。
あいつ、あんなに小さかったっけ。
入学時の身体検査で、同級生部員達の中で180㎝を超えていたのは、新平と井上と柴田の3人だけだった。190㎝の柴田は、別格としても井上は当時、181㎝の自分より高かったように記憶している。
いい機会だし、久しぶりに測ってみるか。
合宿所の中にある医務室に入った功は、電気を点けた。
確かこの辺にあったはず。あっ、これだ。
前年、部費で購入した身長・体重を一瞬で測る機械を見付けた新平は、電源を入れると靴と靴下を脱いで測定台にあがった。
マジ?とっくに成長期は終わっていると思っていたのに。
『185㎝ 80㎏』
デジタルの数字は、体重・身長とも過去最高を記録していた。




