第4話 スタミナ勝負
「つまり、街の柔道教室に通うから部活動には入らない。そういうことか?」
「はい」
提出期限日の放課後。再び担任から呼び出しを受けた功は、内心ビクビクしながらも由紀子からの指示を忠実に守った。
「お前が柔道に興味があったとはねぇ……」
担任は、正面に立っていた功を一瞥すると納得のいかない表情を隠すことなく呟いた。
さすが姉ちゃん。シナリオ通りじゃないか。
由紀子との作戦会議でこうなることは想定済みだった功は、担任のぼやきが終わったタイミングで次の作戦に打って出た。
「あのぅ。じつは、昨日の夕方、ここへ寄って申し込みを済ませました。月の途中からだと日割り計算になるらしいので、通うのは来月からにしました」
功は、さも事後報告が遅れてすみませんみたいな顔をしながらカバンの中から柔道教室で作ってもらった月謝袋を取り出して担任へ渡した。
「まぁ。ご両親も協力的みたいだしそういうことなら仕方ないな。一生懸命やりなさい」
一応の納得はしてくれたのだろう。
それまで、渋かった担任の表情は少し柔らかくなっているように見えた。
思っていたのと違う……。
ゴールデンウィークが明けた翌日。由紀子の友達の紹介で柔道教室にやって来た功は、極度の緊張から口の中がカラカラになっていた。
緊張の理由は2つある。
1つ目は、柔道教室の場所が警察署内だったこと。もう1つは、指導者の松沼幸雄の顔と体型が当時の人気悪役レスラー『上田馬之助』にそっくりだったことだ。
「皆さん。集合してください。今日から一緒に練習することになった立花功さんだ。立花さん、皆さんに挨拶して」
馬之助、いや、松沼の促しで功は、居並ぶ練習生達の前に立った。
「は、はじめまして。あの、立花、立花功です。よろしく、お、お願いします」
どんなに緊張していても挨拶くらいはさらっと言えると思っていたが、口の中の水分は思っていた以上に失われていたみたいだ。
「それじゃ、立花さんの担当は平川さんにやってもらおうかな。おーい。平川さん」
「はいよ」
松沼に呼ばれた平川は、準備体操を始めていた練習生達をよけながら功がいる場所までやって来た。
「初めまして。立花功です」
「初めまして。私は、平川敦夫と言います。私と一緒にあっちで柔軟体操しましょう」
ラッキー。
松沼と対照的に平川は、顔も雰囲気も優しそうな小柄なおじいちゃんだった。
「ここでやりましょう」
「はい」
道場の隅にやって来た功は、平川と一緒に柔軟体操を始めた。
ぐはぁ。死ぬ。柔軟体操で怪我したらシャレにならんぞ。
股割りで苦しむ功の横で平川は、おじいちゃんとは思えない柔軟性を見せていた。
結局、この日は、出来る範囲の股割りと軽めの筋トレだけで終わった。
あー。体中が痛いよぉ。
道場を出た功は、股割りと筋トレでボロボロになった体を引きずるようにして帰った。
「立花さん。体の方も少しは柔らかくなったみたいだから、今日から受け身の練習を始めましょう」
道場に通い始めて半月ほど過ぎたある日のことだ。柔軟体操が終わったタイミングで平川から言われた。
「まずは私がお手本を見せます。そこの君、相手を頼む」
「はい」
平川は、練習生の1人を実験台にして一連の流れを見せてくれた。
いい音だな。それに、どっちも上手い。
投げる平川も完璧なら投げられた練習生も完璧な受け身だった。格闘技の心得はなくても、長年プロレスを観ていればそれくらいのことはわかる。
「次は立花さんの番です。ゆっくり投げますので、流れに身を任せてください。それじゃ、いきますよ」
えっ……。
次の瞬間、視界には天井しか映っていなかった。
「立花さん。本当に柔道は初めてですか?素人さんにしてはなかなか筋がいいですよ」
無意識のうちに完璧な受け身を取っていたらしい。その証拠に起き上がってもどこも痛いところはなかった。
柔軟体操、筋トレ、そして、最後に受け身の練習。
他の練習生達はどうかわからないが、功は、この地味で単調な練習が苦ではなく、寧ろ楽しくて仕方なかった。
「おい。立花。学校が終わったら体育館の裏に来いよ。もし、昨日みたいに逃げたりしたらどうなるかわかっているよな?」
2学期が始まった翌々日。授業が終わり帰り支度をしていると、昨日に引き続き隣のクラスの五十嵐が子分の大野を従えて功のクラスに乱入してきた。
あんなに説明したのに……。
話は夏休みの終わりまで遡る。この日、柔道教室が休みだった功は、朝から図書館に来ていた。といっても、読みたい本があったとか夏休みの宿題をするためではなく、単純に家のクーラーが故障していたので涼みに来ていただけだった。
そこに、偶然、隣のクラスの吉岡真奈美も来ていた。吉岡とは同じ小学校だったし仲もまぁまぁ良かったので、暇潰しに少しだけお喋りした。ただ、それだけのことなのだが、どうやら、これが五十嵐の耳に変な形で入ったらしい。
仕方ない。口で言ってもわからない奴等には……と言えるほど強かったらどんなによかったか。
2日続けてあの剣幕は異常だよ。下手したら殺されるかも知れない。でも、だからといって逃げ続けるのもそれはそれでしんどいんだよな。
功は、内心、ビビりまくりながらも覚悟を決めて体育館の裏に向かった。
「逃げずに来るとはいい度胸しているじゃねぇか」
先に来ていた五十嵐が、ニヤニヤしながら言った。横に立っていた大野も五十嵐に負けず劣らずニヤついていた。
偉そうに。何が『逃げずに』だ。2日連続で乱入までして呼び出したクセしやがって。それと、大野。お前がニヤつく理由は1つもねぇからな。
2人の言動は突っ込みどころ満載だったが、それを口にすると余計にややこしくなりそうなので心の奥底で吠えた。
「さぁ。ぼちぼち始めるとしますか」
五十嵐は、右手に作った握り拳を左手の手のひらにバンバン当てながらじりじりとこっちに歩み寄って来た。
近くで見るとやっぱりデカいな。
小柄な功に対し五十嵐は、学年でも1、2を争う大柄な体格の持ち主だ。
真っ向勝負したら勝ち目はねぇ。
捕まったら即終わりだと思った功は、躱せるだけ躱して五十嵐がバテるのを待って逃げることにした。
結論から先にいうとこの作戦は、吉と出た。
「ハァ。ハァ。ハァ……いつまでも逃げてんじゃねぇよ。そういえば、お前、柔道習っているそうじゃないか。それなのに技の1つも出さないで逃げ回って恥ずかしくないのかよ」
「うん。全然恥ずかしくないよ。だって、喧嘩するために習っているわけじゃないから」
使いたくても習っていなかったので出せなかった。
これが、技を出せないでいた本当の理由だ。
「なんだと?それは、俺ごときに柔道技を出す必要はないってことか?もう、許さねぇ。ぶっ殺してやる」
意図しない焚きつけに頭のてっぺんまで血が上った五十嵐は、最後の力を振り絞って突進してきた。
しかし、途中、地面に足を取られて前のめりに転倒するとそのまま動かなくなった。
早い話がコケて地面に激突しただけのことだ。
「おい。そこを動くなよ」
セルフノックアウトで動かなくなった五十嵐の横でオタオタしている大野に功は、精一杯の睨みを利かせながら迫った。
功の鬼気迫る芝居に大野は、半泣き状態寸前だった。
「大野。お前も五十嵐と同じで吉岡のことが好きなんだろ?だから、俺がしつこく付きまとっているとかなんとか適当なことを五十嵐に吹き込んで俺のことを潰したかったんだろ?」
大野の前に立った功は、鬼気迫る表情を崩さず訊いた。
「違うよ」
大野は否定していたが、その目は、明らかに泳いでいた。
「まぁ。吉岡、あれだけ可愛いからそうなる気持ちもわかるよ。そうだ。こうしよう。今日のことはすべて水に流す。その代わり、そいつを家まで送ってやれ」
少し間が空いたあとで「俺が吉岡のことを好きだということも内緒にしてくれるか?」と大野は恥ずかしそうな顔で訊いてきた。
「あぁ。約束する。だから、早くそいつを連れて帰れ」
「絶対、誰にも言うなよ」
大野は五十嵐を起こすと人目を避けるようにして学校から出て行った。
やっぱり、諸悪の根源はあいつだったな。思春期の中学生にはありがちなパターンだけど、それにしても怖かったぜ。
人生初のガチンコ(真剣勝負)に勝利?した功は、脱力感からその場にへたり込んだ。股間に手をやるとパンツが少し湿っていた。
翌日。五十嵐は、顔を腫らした状態で登校してきた。乱入の件を知っている連中の間では、ボコボコにしたのは立花だという噂が流れていたが、双方が強く否定し続けたことで真相はうやむやのまま時間だけが流れた。
明日から学校か。寒くないといいけどな。
居間で炬燵に入りながらみかんを食べているとテレビから昭和天皇が崩御(死去)したというニュースが飛び込んできた。これにより60年余り続いた『激動の昭和』は終わった。




