第19話 勤労意欲なし
「えー。皆さんもご存じのように、介護業界というのは昔から人の出入りが非常に激しい業界です。これについては当施設も例外ではありません。そこで、先日、この状況を打破すべく社長以下役員達と協議した結果、我が『双葉』では今後、外部委託出来そうな業務はすべて委託して現場従業員の確保に努めることに決定いたしました。なお、これは決定事項ですので異論反論のある方は、ご自身の身の振り方を考えることをお勧めします」
ずいぶん長々と喋っているけど、要は介護職員にならないとクビにするぞってことだよな?もし、これが本気ならただの暴君じゃねぇか。
元日の朝礼。噂の出戻り男こと玉木将司の発言を聞いた功は、ここで初めて3人が言っていた意味を理解した。
「あれって、早い話が俺達みたいな年寄りは消えろってことだろ?どこまでも馬鹿にしやがって」
厨房に戻るなり加納さんは、功達3人に向かって吐き捨てるように言った。
「加納さんの怒りはごもっともよ。でもね、私は、あんなどうしようもないろくでないに権力を持たせてしまったここの市民や都民も悪いと思う」
「同感。都議会議員の分際で与党の大物代議士みたいに偉そうにするなっていうのよ。クズはクズらしくゴミ箱にでも収まっておけばいいのよ」
うちの泉も将来、この2人みたいになっちゃうのかな?帰ったら精一杯、機嫌を取らなきゃ。
人の振り見て我が振り直せ。ではないが、この日、繰り出された辻さんと沖田さんのやり取りは耳にするだけで背筋が伸びた。
「今まで世話になったな」
「いえ。加納さんもお元気で」
「立花さん。くれぐれも体にだけは気を付けてね。それと、あのろくでなしにはくれぐれも気を付けるんだよ」
「はい」
「功ちゃん。職種は変わってもあなたならきっとやれると思う。あっ、それと、奥さんとお子さんも大事にしなさいよ」
「はい」
例の朝礼から3ヶ月後。介護職員になることを頑なに拒否した3人は、すったもんだの末、依願退職という形で『双葉』を去った。
「4月1日付けで介護職員になりました立花功です。なにぶん初めての仕事なのでで右も左もわかりませんが、1日でも早く皆さんの戦力になれるよう精一杯働きますのでよろしくお願いします」
介護施設『双葉』は、有料老人ホーム・グループホーム・デイサービスと3つ事業所を運営している。功が働いていたのは、デイサービス側の厨房だったので、てっきり、デイサービスの介護職員になると思っていたが、配属されたのは就職時にちょっとだけ見学した有料老人ホームだった。
「立花さん。廊下の奥の方にゴミが落ちていたからあとで手が空いた時にでも忘れずに拾っといてね」
わかっているなら自分が拾えよ。どう考えてもそっちの方が早いだろ……。
この日は、おおまかな仕事の手順を覚えるだけだったので、半日だけ働けばいいことになっていたが、これまで経験したことのないやり取りや介護施設独特の臭いや雰囲気に飲まれまくり心のスタミナは勤務開始から2時間もしないうちに消耗しきっていた。
「大丈夫。立花さんはまだ若いからすぐに慣れるわよ」
そうですか。
いつもだったらすんなり出たであろう言葉もこの日は、「はい」と返すのがやっとだった。
「立花。介護職ってなかなかやりがいのある仕事だろ?」
介護職員になって3週間ほど経ったある日の午前中。スーツ姿で現場に顔を出した玉木が功の両肩を揉みながら訊いてきた。
やりがい?そんなもの3週間でわかるわけねぇだろ?ていうか、いつもいつも気安く人の体に触るんじゃねぇよ。この、代議士気取り野郎。
この時、もし、別の仕事が決まっていたら限りなくそれに近い毒を吐いてさっさと辞めていただろう。
理由は簡単だ。新人にも関わらず最初の週からろくに教えてもらえないまま早番・普通番・遅番・夜勤(入りと明けで2日働いたとカウントされる)とすべてのシフトをさせられていたせいで心身のバランスを崩していたからだ。
だが、この最悪な経験を通して1つだけわかったことがある。
それは『双葉』で働き続ける=廃人街道まっしぐらの確率が高まるということだ。
事実、初日、自分に仕事の大まかな流れを指導してくれた年配の優しいベテラン女性職員は、玉木の復帰で以前から病んでいた心が壊れ次の日から休職している。
それだけでなく、この1ヶ月近くで何人もの職員が心身の不調を訴えては休んだり早退したり、なかには何の連絡も寄越さないまま飛んだ(辞めた)者もいた。
ここまで人が定着しない業界も珍しいよな。これが、底辺の職種って言われている所以なんだろうな。
介護職員が事件を起こすとマスコミやテレビのコメンテーター連中は、やれ<職員への教育体制が不十分>とか<こういう人間を管理できていない組織にも問題はある>とか言っているが、1ヶ月弱ではあるが実際に現場で働いている人間から言わせてもらうとそれは半分正解で半分間違いだと思う。
ぺーぺーのくせして偉そうにのたまうつもりなどないが、ぶっちゃけ、この業界に集まる人間の資質が問題なのだ。
というのも、先日、退職した辻さん、加納さん、沖田さんのようにいくつになっても人として社会人としての常識と良識と相手を思いやる気持ちをほどよく持ち合わせている人間が多ければここまで雰囲気も悪くならず、人離れも進むことはなかったに違いない。
「あなた。いってらっしゃい」
「お父さん。いってらっしゃい」
「行ってきます」
やるべきことをやって、給料分だけ働いたら定時でとっとと帰ろう。
新職員になって半年が過ぎた。いろいろ悩んだが、今の『双葉』で真面目に働くのは損でしかないと判断した功は、合法的に手を抜くことばかり考えるようになっていた。そうやって身に付けた悪習慣はなかなか改善されず、気が付くと6年の月日が流れていた。




