第2章 『低空飛行』
第16話 のらりくらり
あっ。やべぇ。また、ミスった。もう、これで何回目だよ。ホント、面倒臭いったらありゃしない。
功は、書き損じた履歴書を丸めてゴミ箱へ放った。
こんなことになるんなら、あの時、馬鹿正直に白状しなけりゃよかったぜ。
好きな時間に起きて、好きな時間に食べて、好きなだけ子供と遊んで、好きな時間に眠る。
退職後、しばらくは自由気ままな生活を送っていたが、それも1週間が限界だった。
泉や里佳子のためにも早く次の仕事を探さなきゃ。
サラリーマンの悲しい性で、無職期間が8日目に入ると、途端に一家の大黒柱であるという責任感が功の心に重くのしかかった。
5つくらい準備すれば大丈夫だろう。
無職期間12日目。どうにかこうにか履歴書を作成した功は、その日のうちにハローワークに出掛けてそこで紹介してもらった会社と求人誌で目星をつけていた会社へ送った。
俺みたいな人間でも必要としてくれるところってあるんだな。
簿記2級とこれまでの実務経験が評価され書類選考は、どこの会社も通過した。
だが、ここから先が大変だった。
「御社を希望した理由を教えてください」
書類選考後に行われた面接は、どこの会社も同じような質問で始まった。
これについては、特に対策などしなくても<自分の資格と経験を活かせる職場だと考えて希望しました>あるいは<御社に貢献しつつ自分もスキルアップしたいと思い希望しました>とかスラスラ言葉が出た。
問題は、退職理由を問われた際の受け答えだった。
馬鹿正直に答えたら終わりだろうな。でも、下手に嘘ついてさらに突っ込まれるのもそれはそれできついな。
一応、この辺の対策もしていはいたが、いざ、本番となると融通の利かない性格が災いした結果、面接はすべて失敗に終わった。
「まだ、疲れているのよ。もう少し休んでからまたチャレンジすればいいじゃない」
不採用の通知が届くたび、泉はそうやって励ましてくれたが、励まされれば励まされるほど気持ちは塞ぎ込んでいった。
もう、ダメだ。酒の力でもなんでも借りないとおかしくなりそうだ。
ある日の夕方。思いつめた功は、誰にも何も言わないで家を抜けだし駅前の居酒屋へ行った。
「へい。いらっしゃい」
カウンター席に腰を下ろした功は、それとなく店内を見回した。
<これ、奥座敷に持っていて。熱いから気を付けてね>
<はい>
<生1つとハイボール2つ。6番テーブルのお客さんに運んで>
<はい>
<誰か、お会計して>
<お待たせしました。会計はご一緒ですか?>
みんな元気に働いているな。それなのに俺は、いい歳していつまでブラブラしているんだろう。
現実逃避のつもりで入った場所が、却って功の心を苦しめる結果になった。
「すみません。生をもう1つお願いします」
酔えない酒ほど質の悪い酒はない。気が付くとお通しにも手をつけず、ただひたすらビールばかり飲んでいた。
「お客さん。その飲み方は良くないですよ」
会計の際、店長らしき老人がそんな言葉を掛けてくれたが、悪酔いと厳しい現実の二重苦で心の扉を閉ざしていた功には1ミリも響かなかった。
そんな腐りきった生活が3日ほど続いたある日のことだ。
「毎晩、毎晩、大して飲めもしない酒にお金遣わないでよ。そのお金は労働者の税金なのよ」
前日、前々日と同じ駅前の居酒屋で馬鹿みたいに酒を煽って帰宅した功に泉の毒舌が炸裂した。
「そんなことわかっているよ。でも、こうでもしないと気が紛れないんだよ」
「あなた。就職活動が上手く行かないからって酒に逃げてどうするの?そりゃ、生活のことは心配よ。でも、私はあなたが壊れる方がもっと心配よ。どんなに医学や科学が発達しても人間の頭と体は替えが利かないから大事にしなきゃ」
こいつ……。
微笑みながら涙を流す泉に功は、無言で静かに明日からの巻き返しを誓った。
”何故、俺は経理職に拘っているのか?”
簿記2級の資格と実務経験があるから。うん。これはこれでいい。
”それじゃ、何故、面接を突破できないのか?”
退職の理由が特殊過ぎるから。そして、それを上手く伝えられないから。
”それじゃ、どうすれば、これをクリアできるか?”
うーん。思いつかねぇ……。
翌日。いつもより1時間早く起きた功は、自宅近くの運動公園を散歩しながら自問自答を繰り返していた。
酒を断ち前向きになった功だったが、納得した答えが出ないまま時間だけが流れていた。
そんなどん底状態にもついに終わりを迎える時がきた。
<反省しない・現状維持・やる気ある者は去れ。これが私のモットーです>
たまたま観た番組に出ていたタモリの変わらない飄々さと独特の人生哲学に感銘を
受けた功は、今抱えている問題を解決するのではなく、そもそもの拘りを捨てたらどうなるのかを考えてみた。
”再就職するのが目的であれば、別に職種や雇用形態に拘る必要はないのでは?”
だとすれば、今の俺に出来ること・自信をもってやれそうなことはなんだ?
面白いもので思考回路を一変させると、あんなに悩んでいた問題がじつはそんなに大したことではないと思えるようになっていた。
<それでは、次に前社の退職理由について教えてください>
<前社では資格も取りました。実務にも携わっていました。ですが、私としてはどうしても経理という仕事に馴染めませんでした。これが会社を退職した理由です>
人間関係に嫌気がさして辞めた。
これが、本当の理由だが、どの道、あそこに居続けていたら早かれ遅かれ仕事に差し障りが出ていたことは間違いない。
となると、馴染めないという言い回しが誰も傷つけない最高の落としどころと考えたのだ。
ここまで言ってダメなら仕方ない。
受け答えを終えた功は、一抹の不安を抱えながら面接官の次の言葉を待った。
<そうでしたか。まぁ。人には向き不向きがありますからね。ところで、いつから働けますか?>
嘘?こんなにあっさり決まるもんなの?今まで緊張して損した。
これまで最大の難関だった退職理由の受け答えをあっさりクリアした功は、次年度(4月)1日から介護施設の厨房でアルバイトとして働くことが決まった。
あなたの飄々さと独特の哲学に救われました。どうもありがとうございます。
面接の帰り道。功は『きわものタレント』から『お昼のリーダー』に大出世した男に心の底から感謝していた。




