第14話 隠し玉
今年ダメなら社業に専念しないと……。
社会人生活4年目に突入した新平は、悲壮な覚悟で日々の練習に取り組んでいた。
「ナイスピッチ。また、コントロールの精度が上がっているな。いいよ。今の調子でどんどん投げてちょうだい」
同期入社のキャッチャー、本田の言葉に新平は笑顔で頷いた。
社会人2年目に肩を故障して以降、球速はMAXでも140キロしか出せなくなっていた。大学、社会人1年目まで150キロ前後出ていたことを思うと受け入れがたい現実だ。
そんな中でも腐らずにここまで続けられたのは、中3から付き合っている彼女、青山弥生のおかげだ。
<お前。ちょっとは勉強しろよ>
<はい。はい。そのうちね>
弥生とは同い年で中学時代は、部員とマネージャーの関係だった。といっても当時の弥生は、野球のルールもさっぱりでスコアブックへの記録も怪しい俗にいう『なんちゃって』マネージャーだった。
だが、そんな弥生にも一つだけ優れている点があった。それは、弥生と話をすると別の視点から物事を考えてみようという気になるところだ。
弥生が彼女じゃなかったらと思うとゾッとするぜ。
社会人2年目の5月のことだ。年明けから肩の調子が思わしくなかった新平は、トレーナーに紹介してもらった病院で医師の診察を受けた。その際、医師より「炎症が酷いので、最低でも半年間は投げないでリハビリをしましょう」と告げられた。
終わった。マジで終わった……。
新平のように大学在学中にドラフト指名を見送られ、社会人チームに入った場合はNPBの規定でどんなに早くても23歳でしかプロにはなれない。
今季絶望は確定。治ったところで来季もチームに居られる保証はない。
当時、すでに24歳になっていた新平は、生まれて初めて自らの意志で野球を辞めることを考えるようになっていた。
そんな、どん底状態の新平を救ったのは恋人の弥生だった。
気は進まないけど、これを逃したらしばらくは会えないからな。
医師からリハビリを行うことを告げられた日の夜。
前々から弥生と食事をする約束をしていた新平は、ショックのあまり、一瞬、ドタキャンすることも考えたが、どうにか思い留まり待ち合わせ場所の居酒屋へ向かった。
<ねぇ。さっきから浮かない顔しているけど、体調でも悪いの?それとも、会社で嫌なことでもあった?>
事情を知らない弥生は、本気で怒っているような口ぶりだった。
<そんなことないよ>
新平は、即座に否定したが、不安と焦りのオーラは時間が経つにつれ濃くなっていたみたいだ。
<新平。今、物凄く悩んでいる。いや、迷っていることがあるでしょ?>
<そう見える?>
<そうにしか見えない。というか、現役の看護師を舐めてもらっちゃ困るわ。こっちは毎日、何十人もの患者と接しているのよ。様子がおかしいかどうかなんて日頃から訓練されているから嫌でもわかるようになるわよ>
弥生の言葉を受けて心が決まった新平は、持っていた箸を元の場所に置いた。そして、小さく息を吐くと、昼間の病院での出来事を話した。
<なんだ。そんなことか。重い病気じゃなくてラッキーじゃない>
なんだってなんだ。こっちはシーズンを棒に振ることになったんだぞ。
弥生の発言に新平は、冗談抜きで殺意に近い感情が芽生えた。
しかし、このあとのやり取りでその感情がいかに独りよがりだったかと思い知ることになった。
<新平の夢は、ピッチャーとしてプロ野球選手になることだよね?>
<そうだよ>
<だったら、別に先発に拘る必要なんかないじゃない。中継ぎでもいいじゃない>
<抑えはともかく、最初からリリーフ(中継ぎ)を目指してプロ入りする人間なんかいないよ>
<そうなの?それじゃ、競争率の低いそこを目指せばいいじゃない。それで、1流の中継ぎになればカッコいいじゃない>
<それって、カッコいいか?>
<ただの中継ぎじゃなくて1流よ。かなり、カッコいいじゃない>
こいつ。人の気も知らないで、言いたい放題だな。
その時は本気でムカついていたので、それ以上、会話は膨らまなかったが、頭の中には『1流の中継ぎ』という言葉が深く刻み込まれていた。
目指すのはそこしかないか……。
通常、先発投手は1回投げれば次の週まで休める。その代わり、登板するからには最少失点で長いイニング(回)を投げないといけない。その点、抑えだとイニングは短いが、確実に0に抑えないといけない。現状を考えると、昨日、弥生が言ったように中継ぎ専門としてプロを狙う方が賢明だという結論に達した。
悩んでいる時間がもったいない。
中継ぎとしてプロ入りを狙うことに決めた新平は、翌日からリハビリと並行して中継ぎに関するありとあらゆる情報を集めた。
へぇ。中継ぎって意外に奥が深い立ち位置なんだな。
面白いもので、それまで先発失格の烙印を押された人間が就くポジションだと思い込んでいた中継ぎへの見方は日を追うごとに変化していった。
「完治はしましたが、無理はしないでください」
半年後。怪我から復帰した新平は、監督やコーチと話し合った結果、中継ぎをやることになった。
いつ投げるかわからないから気持ちを作るのは大変だけど、でも、これはこれで面白い。
少ない球数で打者を打ち取る投球スタイルを確立した新平は、そのテンポの良さからチームになくてはならない存在となった。
投げれば必ず0に抑える。国際舞台でも活躍。アマ史上最高の中継ぎ。
昨年、マスコミや球界関係者の間でプロ入り確実だと目されていたが、前年の怪我がネックとなりどの球団からも指名はなかった。
「立花。話がある。それが終わったら俺のところまで来てくれ」
都市対抗野球の地区予選が始まる2週間前。新平は、ウオーミングアップの途中で監督の根岸から呼び出された。
話ってなんだろう?まさか、退部しろってことはないよな。もし、そうならこんなタイミングで言うわけないよな?いや、でも、年齢も年齢だし、こういうタイミングだからこそ引退勧告ってことも十分にあり得るぞ。
ウオーミングアップを終えた新平は、ユニフォーム姿のまま根岸が待つ部屋へ向かった。
悪い話じゃありませんように。部屋の前に立った新平は、大きく深呼吸をしたあとでコン、コンとノックした。
「立花です」
「どうぞ」
「失礼します」
中に入ると根岸は、自席に座って書類らしき紙に目を通していた。
「まぁ。掛けてくれ」
「はい」
新平は、促されるまま来客用のソファーに腰かけた。
「立花。お前。今年でいくつになる?」
「先月、26歳になりました」
「そうか。もう、そんな歳になるのか……」
やっぱり、戦力外だ。
根岸の含みを持たせる言葉と間に新平は、どう反応していいのかわからず沈黙していた。
「悪いけど、一服していいかな?最近、どこも禁煙で吸えなくてさ」
「どうぞ」
新平の許可を得た根岸は、うまそうに紫煙をくゆらせていた。
覚悟は出来ている。だから、早く吸い終わってくれ。
アップ中から何を言われるか不安でいっぱいだった新平にとって、この時間は、針の筵に座らされているのと同じ感覚だった。
「単刀直入に言う」
タバコを灰皿の中央部で揉み消したところで根岸が唐突に口を開いた。
「立花。ここだけの話だけど、じつは……」
ホントかよ。
根岸の話を聞き終えた直後、新平は、興奮から体の震えが止まらなかった。
「そういうわけだから、くれぐれも怪我だけには注意するように」
「はい」
このチャンス逃してなるものか。
部屋を出た新平は、意気揚々とロッカールームへ向かった。
怪我さえしなければ……。
根岸からの助言を忠実に守っているうちに季節は、秋へと変わっていた。
「立花。おめでとう。今までの努力が報われたな」
「ありがとうございます」
この年、行われたドラフト会議で新平は、意中の球団から4位で指名された。
『皆さん、初めまして。おじさんルーキーの立花新平です。今後は老体に鞭打って働きますので応援してください』
この年、新平は子供の頃からの夢を叶えただけでなく、翌月には青山弥生という最高の伴侶まで手に入れた。




