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ピンク髪

君を愛していたかはわからない ~「愛することはない」テンプレで始まった結婚だけど、続く人生にテンプレはない~

作者: さいべり屋
掲載日:2025/12/19

馬車は粛々と進んでいく。


同じ歩幅で、同じリズムで。引き返すことは二度とない。


川の流れに似ている、と、わたしは思った。


拳ひとつぶんの距離をあけて隣に座っているのは、今日、夫になったばかりの人。


ぴんと伸びた背筋で、掌を腿にあて、身じろぎもせずに前を向いている。


そしてそのまま、前だけを見つめて「君を、愛することはない」と言った。


そのあとは、目的地に着くまで何も言わなかった。




ある朝目覚めると、わたしは異世界転生していた。


ピンク色の髪の美少女。わたしの期待は嫌が上にも高まった。


生家は貧乏男爵家。誇れるものは何もないが、愛情だけはたっぷりあった。


年頃になったわたしは、満を持して学園に入学し……でも、それで終わりだ。


断れない縁談が舞い込んできて、わたしは学園を退学した。


そして、いま馬車に揺られている。


──人生みたいだ。


流れていく車窓を惜しみながら、わたしはぼんやりと思った。




初夜の寝室で、夫はわたしに頭を下げた。


「このようなことになって、君には申し訳なく思う。騎士爵の身では不自由はさせぬとは言えないが、君に無体を働くつもりはない。ほとぼりが冷めたら御実家に戻れるようにも計らおう」


「そっちでしたか」


わたしに割り当てられたのはヒロイン役ではなく、ヒロイン達の熱愛の後始末のようだ。


「そっち?」


「いいえ、なんでも。……王女殿下とのことはうかがっております。身の程は弁えておりますので」


わたしが咳払いで誤魔化すと、夫はその美しい(かんばせ)を少し曇らせた。


「その噂、学園にまで届いていたのか。……私と王女殿下はそのような関係にはない」


「そうなのですか? 殿下のお輿入れがお決まりあそばして、ふたりは引き裂かれてしまった、と」


オスカール様の再来のようなロマンスの噂に、学園中が湧いたものだ。まさか当事者の末席を汚すことになるとは思わなかったが。


「私はどうやら、他人より少々顔が良いらしい」


少々どころの騒ぎではない。彫刻のようなその美貌は、ミケランジェロもかくやの出来栄えだ。


「それで王女殿下のお目に留まったらしく、付き纏われるようになった。殿下とてご成婚前のお戯れだったのだと思うが、私が後ろ盾を得て家督を狙うことを恐れた母と兄上が」


「泡沫貴族の娘を押しつけた、と」


夫はまた深々と頭を下げた。


「王女殿下と愛し合っておられないのに、わたしを妻にするおつもりもない、と?」


夫はまたもや頭を下げた。初夜の席で、わたしは夫のつむじばかり見ている。


「ああ、私は君を愛することはない。……というよりも、私は人を愛したことがない。きっとこれからもそうなのだろう」


「あら、そんなのわたしだって同じですわ」


「……そうなのか?」


切れ長の目が見開かれ、結婚して初めて夫と目が合った。


「勿論ですわ。貞淑であれかしと念入りに箱に入れられて育った貴族の子女が、15やそこらで愛やら恋やらの経験豊富だったら逆に驚きます。だからこそ皆オスカール様に熱狂するのですわ」


「オスカール様、とは?……君は、その男を愛しているのか?」


「まあ、オスカール様をご存じない? 「亡国の愛に燃ゆ」のオスカール様です。「君のためなら、この国を棄てたって構わない」が決め台詞の主人公ですわ」


「……女のために、国を」


「愛していると言えばそうですわね。学園の女子の三分の一はオスカール様に初恋を捧げていましたわ。……あっ、ローランド様はやめてくださいましね。その顔面で言われたら、乙女たちが雪崩をうって亡国してしまいます」


夫は合点がいったようにふむと頷いた。


「架空の人物なのだな」


「ええ。やっと舞台の予約が取れたところでしたのに。この結婚でそれだけが心残りで」


「……すまなかった。では君も本物の愛を知らないのだな」


「勿論、父と母は愛しておりますけどね」


「それでは、やはり君のほうが先輩だ。高位貴族というのはどうも、肉親の情に疎くて」


「おまかせくださいませ。家族の愛情だけは、溢れるほど受けてきておりますから」


わたしは請け合った。


「……騎士爵では、碌に使用人も雇えまい。子に受け継ぐ爵位もない」


夫はそれでも、踏ん切りがつかない様子だった。


「ローランド様は、うちの家紋をご存知ですか?」


「蒲公英、だったか」


「はい。派手な美しさはないですけれど、踏まれても蹴られても、気がつけば与えられた場所で根を張っている。そんな家系ですわ」


冷酷にも見える美貌が、砂漠で泉を見つけたかのように歪んだ。


「わたしは、ここにいますよ」


夫はもう、謝らなかった。


氷の貴公子と呼ばれていた夫だけれど、その手は氷で出来てはいなかった。




辺境の暮らしはわたしたちに合っていた。


わたしはひとりで買い物に出かけ、庶民のように自ら家事をすることを好んだ。


身分制度のなかった前世の記憶のおかげか、わたしの言葉と仕草はあっという間にくだけていった。


夫も華やかな社交より無骨な軍人の暮らしが合うらしく、日々黙々と剣を振っていた。


わたしは前世の知識を夫のために惜しみなく使った。


ここでは珍奇とも思われる皿の数々を夫は文句も言わず平らげ、怜悧な美貌は少しふっくらした。


彼を慕った部下たちが夕飯時に押しかけてくるようになる頃には、夫の表情は心なしか豊かになっていた。




そうこうしているうちに、子が生まれた。


アレグザンダーはよく泣く子で、ベビーベッドに置いた瞬間に泣き叫ぶので、わたしは1日のほとんどを息子を抱いて過ごした。


貴族は幼子を子供部屋に寝かせるが、わたしは目を離したらアレグザンダー……アレクが息をしていないのではと恐ろしくて、側を離れることができなかった。一睡もできないまま、息をつめて子の寝顔を見つめていた。


見かねた夫が子守を雇ったが、わたしが子供部屋通いを辞めないので、結局、彼は家にいる間じゅう、ずっと息子を抱いていた。




2人目が生まれるころ、夫の兄が身罷(みまか)った。




兄には子がなかったので、わたしたちは取るものも取りあえず王都へと戻った。


数年ぶりに会う義母は、わたしたちを見て愕然とした。


「辺境の暮らしでずいぶん鄙びてしまったこと! 貴族の妻が、自分で乳をやるなんて」


胸にダフネをぶら下げたわたしを、義母は穢らわしそうに見やった。


辺境でのびのびと育ったわたしたちの魂に、貴族という枷は狭すぎた。




夫は剣をペンに持ち替え、新侯爵として慣れない社交に精を出した。


男爵家の娘だったわたしには家庭教師が付けられ、侯爵家夫人のマナーと作法をいちから叩き込まれた。


指導が始まる前、いの一番に夫がわたしを連れだしたのは、「亡国の愛に燃ゆ」の舞台公演だった。あの時観たオスカール様の御姿をよすがに、わたしは苦行を耐え抜いた。


流れに浮かぶ泡沫のように、わたしたちは運命に翻弄され、どうにかこうにかやり過ごした。


おかしな男に引っかかったダフネが卒業パーティで婚約破棄しようとするのを、宥めてすかしてなんとか嫁にやり、アレグザンダーに家督を継がせた頃から。


夫が嫌な咳をし始めた。




馬車は粛々と進んでいく。


同じ歩幅で、同じリズムで。今度こそ引き返すことはないと、わたしは知っている。


隣に座っているのは、わたしの夫。


ぴんと伸びていた背中は、いつの間にか少し丸くなった。


そしてそのまま、少し戸惑ったように「君を、愛していたかはわからない」と言った。


「まあ、ご挨拶ですね。長年連れ添った妻に向かって」わたしは答えた。


「だってそうだろう? 私は君に腹を立ててばかりいた」


夫はいつものように、わたしの目を見て言った。


「たくさん喧嘩して、たくさん泣かせた。自分の都合で振り回してばかりで、窮屈な貴族の暮らしも押しつけて。君のために国を捨てたりも、しなかった」


「でも、ダフネのことは愛してるんでしょ」


「……そうだな。私はダフネを愛している」


夫は素直に頷いた。


「アレグザンダーも」


「……いや、アレクには、思うところがある」


「ええ? 嘘でしょ」


「アレクが生まれてから半年、君は私を見なくなった。いつも青い顔でアレクばかり見ていた。私があの子を抱いている間だけ、君は私に目を向けたんだ」


いつも息子を抱いていた夫に、そんな思惑があったなんて。わたしはなんだか胸がむずむずした。


「オスカール様もだ。あの日劇場で彼を見たような瞳で、君が私を見ることはついぞ無かった」


「待って、オスカール様は男装の麗人なのよ? あの方だって女優だったじゃないの。それを言うならあなただって、フローラ様はどうなの」


わたしが里帰りから帰ってきたら、夫が派手な美女をぶら下げていたことがあったのだ。


「知らん。あの時も言ったが、あの女が勝手にぶら下がってきたんだ。君は森でくっつけたオナモミの顔を覚えているのか」


わたしたちは同時にふっと笑いあった。


「……ねえ、あなた。あのとき、ダフネになんて言ったの。ふたりで部屋に籠ったあと、ダフネったら、急に婚約破棄を考え直すって」


「……特に何も。ただ、父さんたちも政略結婚だった、と。初対面の母さんに「君を愛することはない」と言った。今は後悔している、と」


「まあ、後悔してらしたのね。わたし、今まで言われたことなくってよ」


夫は、随分と長いこと考えて、それから言った。


「君を愛することができたかは、結局わからない。だが、あの時結婚したのが、君でよかった」


「……それを、愛って言うんですよ」


わたしたちはもたれあって、静かに馬車に揺られていた。



馬車は粛々と進んでいく。


同じ歩幅で、同じリズムで。この流れを戻ることはもうないと、わたしたちは知っていた。


──人生みたいだ。


この道を、あなたと往けてよかった。流れていく車窓を見ながら、わたしはそう思った。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

現在、ハードボイルド風味ピンク髪ラブコメ「ピンク髪なら特別課税」も連載していますので、

もし本作がお気に召しましたら、そちらも覗いてみていただければ嬉しいです。

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