第2賞 逃げ馬
あれから2年が経ち、今日は西暦2025年4月18日である。
ここは大井競馬場。競馬ファン達が賞金を期待している東京スプリント競馬がこれから行われるのだった。
スタートゲイトには14頭が既に入り、ゲートが開くのを今か今かと馬震いしながら待っていた。
これから闘馬が走るコースはダート(白砂)の距離1200mで、比較的に短いと言われる距離だ。
騎手たちの中には、騎乗している荒ぶる馬の体をそっと触りつつ、レースプランを思考している人もいた。
さぁ、最後の1頭がスタートゲイトに入り15頭が揃い、それに伴いゲートが開きガシャンという大きな効果音と共にレースが始まった。
おや?始まって直ぐ、直線コースをゴールかのように鋭いスピードで駆けている薄墨毛の牡馬がいた。
観客席から、「あ~あ、また始まったよぅ。」「賭けないでよかった。」「やはり、うつけ馬だな。」「逃げ馬でも速すぎるし、あぁあ、また、ゴールまで持たなぁいなぁ。アホや。」と言うような蔑みの会話が聞こえてきた。
搭乗していた騎手も手綱を引き、かかとを下げて馬のスピードを落とそうとしたが、うつけ(アホ)馬は我関せずだった。
実はその逃げ馬には、スタート合図の効果音が幼いころに聞いた音と一緒で、恐怖のトラウマが蘇ってきていたのだった。
そのトラウマとは
~北海道にある広大さが唯一の自慢の粗末なファーム(厩舎)では、鬼のような人間(ファームの社長)が、「中央競馬で勝てる馬を俺が育ててやる。それには、血筋ではなく(高い種付け料が払えなく、社長の負け惜しみ)、獣の成長にはしごきが一番だ。馬の虎の穴(地獄の鍛錬場)を作り、俺のことを鼻で笑っている奴ら(他のファームの人々)を見返してやる。」と言い、仔馬に地獄の特訓を実践をしていた。
幼い仔馬に、55キロにもなる重りを背負らせて、馬場(練習場)へ入らせた。
馬場に入ると、支柱に設置されたスピーカーから中央競馬場でレースの際、聞こえくる『ぷーぷぷぷー~』とファンファーレのトランペット音が鳴り響き、その後、ゲートが開く際のガシャンという大きな効果音が流れる。そうすると、牧畜犬の大きなジャーマンシェパード2頭が勢い良く馬場へ入ってきて、仔馬を追い回し、仔馬が疲れスピードが落ちると尻に嚙みついた。その修練が終わると、次に障害馬術用の障害物を飛び越える練習をさせられた。障害物の高さ80cmから始めさせられ、出来ると5cmずつ上がっていった。その辛い訓練も毎日毎日続いた。その仔馬は毎日泣いて特訓をこなしていたが、重りは更に増えていき新馬(2歳)になった頃には100キロを背負い走ることが出来、障害物も200cmも飛び越えるようになっていった。
それから、東京へ売られて北海道の恐怖の家(厩舎)から出くいくことができ、東京の大井競馬場(地方競馬)でデビューさせられたが、観客の大歓声のなか、その馬は興奮し、ゲートの効果音を聞くとトラウマになっている辛い記憶が蘇って来てしまった。
レースが始まり騎手の制止も聞かず、速く逃げなければ、獰猛犬に噛みつかれる・・と言う思いが、募り我を忘れた。
それからも毎レースとも、騎手の手綱による制御もきかず逃げ馬をして、ゴール前で余力が無くなり大惨敗が続いていた。~
その日も疾風の速さのなか、その馬のまなこから涙が一筋となり、後方へ流れていった。
レースも中盤に入り、観客席から応援の声が更に大きくなりレース場を包んでいた。
逃げ馬と追う馬たちの間は90馬身(約225m)も離れていて、これはもしかすると、初勝利かも、ということは万馬券?後200mでゴールだと思った矢先に、逃げ馬は急激に減速して行った。
『ひっひひぃん(くっ、苦しぃい)。』
1頭に抜かれ、更に次から次へと抜かれゴールしたのは13番目だった。
その光景をL-WING・3Fにある馬主席で苦々しく見ていたブランド品の高級スーツ等で固めた30過ぎの男がいた。
表情には殺意すら感じられた。
たわけがぁ。あのクソウマ、毎度毎度、俺に恥をかかせおって。あいつ(北海道のファームの社長)めぇ。この馬は、マーズと言う名前で、中央競馬でも名前同様にマズ、マーズの成績を残せる馬だと言ってたのに、地方競馬でも惨敗。金返せぇ。イダテンヤリオルと言う名前をつけて登録したが、イダテン(韋駄天)マケ(負け)オルだぁ。くっそ。
いいかぁ、お前の運命は馬刺しだぁ。
その男は、イダテンヤリオルが馬肉業者のトラックへ無理やり入れられ喚き泣く姿を想像し、怒りを越して恍惚としていた。
「ぷっ、わっはっは。」
その男が、急に大声で笑い出したので、馬主席にいた他の馬主たちは、何が起こったのかと、唖然としていた。
マーズ、どうなる?




