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辺境のアルビオン  作者: トスコニカ
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第七話:崩れ落ちた偶像

祝宴の夜が明けた後、カイトは自室に閉じこもった。三人の女性たちが突きつけた言葉が、彼の頭の中で繰り返し響いていた。「あなたのやり方は、帝国と何が違うのですか?」「あなたは、私たちを『便利な道具』として支配しているだけ」「ハーレム」。


彼の築き上げてきた全てのものが、砂上の楼閣のように崩れ去った。彼のアイデンティティそのものが、根底から揺らいでいた。「良き転生者」「最強の領主」「賢明な統治者」「皆を救う英雄」。それらは全て、自分自身が作り上げ、そして周囲の賞賛によって強化されてきた、虚ろな偶像に過ぎなかったのではないか。


彼は、窓の外に広がる、活気に満ちた領地を眺めた。畑は豊かに実り、市場は賑わい、人々は笑顔で暮らしている。これらは全て、自分が成し遂げたことだ。自分の知識と努力が、この土地をここまで変えたのだ。その事実は、揺るぎないはずだった。


だが、本当にそうだろうか?


彼は、これまでの自分の行動を、一つ一つ、痛みを伴いながら振り返り始めた。


リシアを奴隷市場から救った、あの日のこと。自分は、彼女を一人の個人として見ていただろうか? それとも、「可哀想なエルフ」という物語の登場人物として、自らの正義感と所有欲を満たすための対象として見ていなかったか? 彼女の文化を「神秘的だ」と褒めそやしながら、その実践が持つ現実的な意味合いを、心のどこかで「非科学的な迷信」として見下していなかったか?


フレアとその一族を迎え入れた時のこと。自分は、彼らを対等な同盟者として扱っていただろうか? それとも、帝国の脅威に対抗するための、計算可能な「戦力」としてしか見ていなかったか? 彼らの誇りや戦いの作法を、自らの合理的な戦術の前では切り捨てて当然の、非効率な「感情」だと断じていなかったか?


ゲルダに協力を求めた時のこと。自分は、彼女を偉大な「職人」として尊敬していただろうか? それとも、自分の目的を達成するための、便利な「技術供給源」としてしか見ていなかったか? 彼女が語る、ものづくりに宿る魂の話を、近代的な大量生産の論理の前では時代遅れの「感傷」だと、鼻で笑っていなかったか?


問いは、次から次へと湧き上がってきた。そして、その全ての問いが、一つの不都合な真実を指し示していた。自分は、他者を、他者の「世界」を、一度として、ありのままに受け入れようとしてこなかった。常に、自分の価値観という物差しを当て、自分の理解できる範囲に彼らを切り詰め、自分の計画に都合のいいように彼らを分類し、利用してきた。


そのやり方は、まさに帝国そのものではないか。帝国は、人間以外の種族を「劣等」と断じ、その文化を「野蛮」と決めつけ、自らの支配下に置こうとする。自分は、それと同じことを、もっと巧妙に、もっと「善意」の仮面を被って、行ってきたに過ぎない。帝国の支配が剥き出しの暴力であるとすれば、自分の支配は、砂糖をまぶした毒のようなものだった。相手に「感謝」させながら、その魂をゆっくりと蝕んでいく。


「ハーレム」という言葉が、再び彼の胸を抉った。彼は、そんな下劣な欲望は持っていなかったと、必死に自分に言い聞かせようとした。だが、心の奥底を探れば、確かにそれは存在した。美しいエルフ、勇猛な獣人、腕利きのドワーフ。異なる魅力を持つ彼女たちが、自分を慕い、自分の側に侍る。その光景を、自分がどこかで望んでいたことを、彼は認めざるを得なかった。それは、他者を対等なパートナーとしてではなく、自らの権威と魅力を証明するためのトロフィーとして所有したいという、醜い欲望だった。


カイトは、鏡に映る自分の姿を見た。そこにいたのは、英雄でも、賢者でもなかった。ただ、傲慢で、自己中心的な、見慣れない青年が立っているだけだった。前世の日本で、何者にもなれずに無力感に苛まれていた佐藤明人。その彼が、異世界で手に入れた「力」に酔いしれ、自分が特別な存在になったと勘違いしていただけなのだ。


彼は、自分が「良き人間」であると信じていた。差別や偏見に反対し、多様性を尊重する、進歩的な人間であると。しかし、その自己認識こそが、最大の罠だった。自らを「善」の側に置くことで、自らが特権的な立場から他者を支配しているという現実から、目を逸らし続けてきたのだ。有色人種の言葉に耳を貸さない「良き白人」のように、彼は、異種族の言葉に、本当に耳を傾けてはいなかった。


絶望が、彼を飲み込んだ。自分は何のために、この世界に来たのだろう。スローライフを送りたいという、ささやかな願い。それはいつの間にか、他者を支配し、世界を自分の思い通りに作り変えたいという、巨大な欲望にすり替わっていた。


彼は、領主であることを、やめなければならない。人々を導く資格など、自分にはない。彼は、自分が振りかざしてきた「知識」や「合理性」が、いかに暴力的で、排他的なものであったかを、骨身にしみて理解した。


だが、これからどうすればいいのか。全てを投げ出し、どこかへ去るのか? それもまた、無責任な逃避に過ぎない。自分が作り出してしまったこの状況、自分が傷つけてしまった人々の心に、どう向き合えばいいのか。


答えは、どこにも見つからなかった。カイトは、崩れ落ちた偶像の瓦礫の中で、ただ一人、途方に暮れていた。彼の内面で始まったこの崩壊は、彼が真に他者と出会うための、長く、そして苦痛に満ちた旅の、最初の第一歩となるのだった。

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