第六話:祝宴の夜の断罪
勝利の祝宴は、夜更けまで続いた。領民たちは歌い、踊り、若き英雄カイト・アルビオンの名を讃えた。カイトは、差し出される酒杯を次々と受け、人々の賞賛を心地よく浴びていた。自分の計画が完璧に機能し、帝国に一泡吹かせることができた。その達成感は、何物にも代えがたい快感だった。
彼は、輪の中心から少し離れた場所で、静かに佇む三人の姿に気づいた。リシア、フレア、ゲルダ。彼の勝利に最も貢献してくれたはずの彼女たちが、なぜか祝宴の輪に加わろうとしない。その表情は、勝利の喜びに輝くどころか、硬く、そしてどこか冷ややかに見えた。
カイトは、少し酔いが回った頭で、不思議に思った。彼女たちも、この勝利を喜んでくれているはずだ。彼は、杯を片手に、彼女たちの元へと歩み寄った。
「どうしたんだい、三人とも。今日の勝利は、君たちの力なくしてはあり得なかった。もっと喜んでいいんだよ」
カイトの屈託のない言葉に、しかし、誰も応えなかった。重い沈黙が、祝宴の喧騒とは対照的に、四人の間に落ちた。最初に口を開いたのは、いつもは物静かなリシアだった。彼女の翠色の瞳は、悲しみと、そして静かな怒りの色をたたえて、まっすぐにカイトを見据えていた。
「カイト。私たちは、喜ぶことなどできません」
その声は、震えていたが、芯のある響きを持っていた。
「あなたの戦術は、確かに勝利をもたらしました。ですが、そのために何が失われたか、あなたには分かっていますか? あなたが仕掛けたあの火薬は、谷の木々を焼き、土を汚し、そこに住んでいた小さな生き物たちの命を奪いました。森の精霊たちは、嘆き、悲鳴を上げています。これは、私たちの戦い方ではありません。森と共に生きるエルフにとって、あなたのやり方は、命そのものを踏みにじる行為なのです」
リシアの言葉は、カイトの胸に冷たい棘のように突き刺さった。彼は、森の被害など、勝利のためにはやむを得ない、些細な犠牲だとしか考えていなかった。
次に、腕を組んで黙っていたフレアが、低い声で言った。
「あんたは、戦いを侮辱した。俺たちは、あんたを信じて、あんたの駒になった。だが、あんたがやらせたことは何だ? 塹壕に隠れ、怯える敵を一方的に撃ち殺す。そこには、戦士の誇りも、獲物への敬意も、何一つありはしなかった。ただの卑劣な虐殺だ。名誉ある一対一の戦いで死ぬなら、獣人は本望だ。だが、あんな犬死にをさせられるために、俺たちは生まれてきたんじゃねえ。あんたのやり方は、獣の誇りを、根こそぎ汚すやり方だ」
フレアの瞳には、軽蔑の色が浮かんでいた。カイトは、彼女たちが戦いの「効率」ではなく、「作法」や「誇り」を重んじることを、頭では理解していたつもりだった。だが、それは勝利という絶対的な目的の前では、切り捨てて当然の感傷だと思っていた。
最後に、ずっと地面を見つめていたゲルダが、顔を上げた。その顔は、深い悲しみと疲労に満ちていた。
「若造。わしは、お前さんに協力して、あの爆弾を作った。同胞を守るためじゃと、自分に言い聞かせてな。じゃが、わしはとんでもない間違いを犯した。わしらが作る道具には、魂が宿る。使い手の命を守り、その助けとなる、誇り高い魂がな。じゃが、お前さんが作らせたあの鉄の塊は、何だ? そこには、何の魂も宿っとらん。ただ無差別に命を奪い、破壊をまき散らすためだけの、呪われた鉄屑じゃ。あれは、わしらドワーフが、何千年もかけて築き上げてきた『ものづくり』の魂への、許されざる侮辱だ」
三人の言葉は、それぞれ異なる「世界」の言葉で語られていた。エルフの「世界」における自然との共生。獣人の「世界」における戦士の誇り。ドワーフの「世界」におけるものづくりの魂。それらは全て、カイトが「合理的」で「効率的」な戦術のために、躊躇なく切り捨てたものだった。
そして、リシアが突きつけた最後の言葉が、カイトの自己認識を、その根底から粉々に打ち砕いた。
「あなたのやり方は、帝国と、一体何が違うのですか?」
リシアは、一歩前に進み出た。その小さな身体から、カペラのような強い意志が放たれていた。
「帝国は、私たちを『劣った存在』と見下し、力で支配しようとします。あなたも、同じです。あなたは、私たちの文化や価値観を『非合理的』だと見下し、あなたの知識と力で、私たちを支配している。あなたは、私たちを『便利な道具』として、あなたの戦争に利用しただけです。あなたは、私たちを救ったと言いました。そして、私たちをあなたの側に置いた。あなたの『ハーレム』に。ですが、私たちは、あなたの所有物ではありません。あなたのコレクションに加わるために、生きているのではありません!」
ハーレム。その言葉は、カイトにとって寝耳に水だった。彼は、そんなつもりは全くなかった。彼は、彼女たちを対等な仲間として、尊敬しているつもりだった。
だが、リシアの言葉は、彼の欺瞞の核心を正確に射抜いていた。
彼は、自分をリベラルで、寛容な解放者だと信じていた。しかし、彼が実践していたことは、人間であり、男性であり、転生者であるという、揺るぎない支配的な立場から、他種族の女性たちを「救済」し、「保護」し、そして自らの目的のために「利用」することだった。
帝国の論理は、明確だ。「人間」と「非人間」を分断し、後者を支配する。そして、その「非人間」とされた者たちは、性別を持つ「女性」や「男性」としてすら扱われず、ただ搾取可能な「雌」や「労働力」と見なされる。
カイトは、この構造そのものを覆そうとしていたのではなかった。彼は、自分が帝国よりも、より「人道的」で「善良」な支配者になろうとしていただけだったのだ。彼の、無意識の内にあったハーレム構想は、この支配欲の、最も甘美で、最も欺瞞に満ちた現れに過ぎなかった。彼は、彼女たちを「人間」のカテゴリーに引き上げようとしたのかもしれない。だが、その「人間」の基準は、常に彼自身――すなわち、人間であり、男性であり、近代日本の価値観を持つ転生者――だったのである。
祝宴の喧騒が、遠くに聞こえる。カイトは、三人の告発の前に、立ち尽くすことしかできなかった。彼の足元で、彼が築き上げてきた「最強」で「善良」な自分の世界が、音を立てて崩れ落ちていく。残ったのは、空っぽの虚無感と、自分が何者なのか、全く分からなくなるほどの、深い混乱だけだった。