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辺境のアルビオン  作者: トスコニカ
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第四話:豊穣の裏の軋み

カイトの治世が始まって数年、アルビオン領は、かつての痩せた辺境のイメージを完全に払拭していた。カイトが導入した農業技術によって畑は常に豊作で、水路が整備されたことで水不足の心配もなくなった。フレア率いる獣人たちが領内の警備を固め、街道の安全が確保されたことで、行商人が頻繁に訪れるようになり、市場は活気に満ちていた。そして、ゲルダが作り出す高品質な鉄製品は、アルビオン領の新たな特産品として、高値で取引された。


領民たちの暮らしは、目に見えて豊かになった。誰もがカイトを「叡智の君」「救世主」と讃え、彼の言葉を疑う者はいなかった。カイト自身も、この成果に大きな満足感を覚えていた。自分の知識と判断が、これほどまでに世界を良い方向に変えられる。その事実は、彼にとって何よりの快感であり、自らの正しさを証明する何よりの証拠だった。


だが、その輝かしい豊穣の裏側で、見えない軋みは、確実に大きくなっていた。それは、異なる文化、異なる価値観が、一つの強大な論理の下に塗りつぶされていく音だった。


カイトは、領内の土地を測量し、合理的な区画整理を行った。これにより、農地の生産性は飛躍的に向上した。しかし、その過程で、リシアが「精霊の通り道」と呼んでいた古い小道が潰され、獣人たちが代々、祖先の霊を祀っていた岩が、石材として切り出された。


カイトにとって、それらは非合理的な迷信の産物に過ぎなかった。彼は、リシアや獣人の長老たちに、丁寧に説明した。

「この改革は、皆の暮らしを豊かにするために必要なことなんだ。収穫が増えれば、冬に飢えることもなくなる。古い慣習に固執するよりも、未来を見据えるべきだ」


彼の言葉は、正論だった。誰も、正面から反論することはできなかった。リシアは、精霊たちの囁きが遠のいていくのを感じながら、黙って俯くしかなかった。獣人たちは、祖先の土地が切り売りされていくことに胸を痛めながらも、カイトがもたらす食料と安全を前に、沈黙を選んだ。彼らの抵抗は、非合理的な「郷愁」や「わがまま」として、巧みに封じ込められた。


カイトは、領内に「アルビオン法」と呼ばれる成文法を制定した。それは、前世の日本の法律を参考に作られた、公平で、明快なルールだった。これにより、領民間の争い事は減り、治安は安定した。


しかし、その法律は、人間社会の常識を基準に作られていた。例えば、獣人たちの間には、争いを解決するための「決闘」という神聖な儀式があった。それは単なる暴力ではなく、双方の名誉と、コミュニティ全体の調和を回復するための、重要な文化的実践だった。だが、アルビオン法では、決闘は単なる「傷害罪」として禁じられた。


また、ドワーフの社会では、契約は交わした言葉そのものに重みがあり、書面は補助的なものに過ぎなかった。しかし、カイトの法律は、書面化された契約書を絶対視した。ゲルダは、「言葉の重みを紙切れに押し込めるな」と不満を漏らしたが、カイトは「それでは客観的な証拠が残らない。近代的な取引の基本だよ」と、意に介さなかった。


カイトの「近代化」は、一つの物差しを、全ての住民に強制するプロセスだった。彼は、自分の価値観が普遍的で、中立的で、最も進んだものであると信じていた。そして、その価値観に合わないものを、「古い」「非合理的」「野蛮」なものとして、切り捨てていった。彼は、それを「啓蒙」であり、全ての住民のためを思った「善意」だと考えていた。


この軋みは、カイトと三人の女性たちの関係にも、深い影を落としていた。


リシアは、カイトから「薬草の専門家」としての役割を与えられ、領内の薬草園の管理を任されていた。彼女の知識は、多くの病人を救った。しかし、カイトが求めるのは、常に薬草の「成分」と「効能」に関する科学的なデータだった。リシアが、薬草を摘む際の儀式や、精霊への感謝の祈りの重要性を語っても、カイトはそれを「興味深い風習」として片付けるだけだった。リシアの知識は、彼女の「世界」から切り離され、カイトの合理的なシステムに組み込まれる部品へと、変えられていった。


フレアは、「防衛部隊長」として、その勇猛さを遺憾なく発揮していた。だが、カイトは彼女の戦闘能力を評価する一方で、彼女の女性性については、完全に無視しているか、あるいは奇妙な形でしか認識していなかった。彼は、フレアが時折見せる、仲間を気遣う優しさや、月を見て物思いにふける繊細な一面に気づかない。彼にとってフレアは、「女性」である前に、まず「獣人」であり「戦士」だった。彼は、フレアを対等な「相棒」と呼びながら、無意識のうちに、彼女を人間社会の性別のカテゴリーの外側に置いていた。


ゲルダは、「技術顧問」として、カイトの要求に応え、優れた道具を作り続けた。しかし、彼女が本当に作りたいものは、カイトが求めるような大量生産の兵器ではなかった。彼女は、一人の使い手のためだけに、その魂と共鳴するような、生涯の友となる一本の道具を、時間をかけて作り上げたかった。だが、カイトの工房では、効率と生産性が最優先された。ゲルダの職人としての誇りは、日々、少しずつ削られていった。


カイトの周囲は、感謝と賞賛の声で満ち溢れていた。しかし、彼の最も近くにいるはずの三人の女性たちは、彼の「優しさ」と「合理性」が作り出す、見えない壁の内側で、静かな孤独を深めていた。彼女たちは、カイトの計画の中で、それぞれに有用な「役割」を与えられていたが、彼女たちの存在そのもの、彼女たちが生きる「世界」そのものが、尊重されているとは感じられなかった。


アルビオン領の豊穣は、複数の異なる世界を、一つの強大な世界が飲み込み、消化していくことによって成り立っていた。その軋みの音は、まだ誰の耳にも、特に、その中心にいるカイト自身の耳には、届いていなかった。

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