第三話:狼の戦士と炉のドワーフ
リシアがアルビオン領に来てから半年が過ぎた頃、領地の北の森で、帝国軍の斥候と小競り合いが頻発するようになった。帝国が、この辺境の地にもその触手を伸ばし始めている兆候だった。カイトは、領地の防衛体制を本格的に見直す必要に迫られていた。
そんな折、一人の旅人がアルビオンの屋敷の門を叩いた。彼女は、鋭い眼光を放つ、長身の女戦士だった。背中には巨大な戦斧を背負い、しなやかな身体には、歴戦の証である無数の傷跡が刻まれている。そして何より目を引くのは、ピンと立った狼の耳と、誇らしげに揺れるふさふさとした尾。獣人族だった。
彼女は、フレアと名乗った。彼女の一族は、帝国に住処を追われ、安住の地を求めて大陸を放浪しているのだという。彼女は、アルビオン領が異種族に寛容であるという噂を聞きつけ、代表として偵察に来たのだった。
カイトは、フレアを丁重に迎え入れた。彼は、フレアの全身から発せられる、荒々しくも気高い戦士のオーラに、即座に価値を見出した。これは、願ってもない人材だ。
「ようこそ、フレア殿。話はわかった。君たち一族を、我がアルビオン領は歓迎する。住む場所も食料も提供しよう。その代わり、君たちの力を貸してほしい。共に、帝国と戦うために」
カイトの提案に、フレアは少し驚いたような顔をしたが、やがて獰猛な笑みを浮かべた。
「話が早くて助かる。あんた、面白い奴だな。いいだろう、このフレアの斧、あんたのために振るってやる」
こうして、フレア率いる獣人の一団が、アルビオン領の新たな住民となった。カイトは、彼らの戦闘能力を高く評価し、領地の防衛部隊の中核に据えた。彼はフレアを「頼れる相棒」と呼び、軍事会議にも参加させた。
だが、カイトのフレアに対する態度は、リシアに対するそれとは別の形で、やはり一つの型にはまったものだった。彼は、フレアを「忠実で、野性的で、戦闘に特化した存在」という枠組みを通して見ていた。彼は、フレアに意見を求める。しかし、それは常に戦術的な有用性を引き出すための質問だった。「この地形での奇襲に最適なルートは?」「帝国軍の鎧を断ち割るには、どんな攻撃が有効か?」
カイトは、獣人たちの文化や、彼らが重んじる価値観について、深く知ろうとはしなかった。彼が導入しようとした、人間式の規律正しい軍隊組織――緻密な命令系統、統一された装備、集団での陣形訓練――は、獣人たちの誇りである個々の勇猛さや、狩りの共同体として培われた一族の柔軟な結束を、軽視するものだった。
獣人たちは、戦いを「狩り」と捉えていた。そこには、獲物への敬意、仲間との呼吸、そして個人の名誉を懸けた誇りが存在した。しかし、カイトの戦術は、戦いを単なる「作業」へと変えてしまうものだった。敵を効率的に排除するための、無機質なシステム。フレアは、カイトの合理性に敬意を払いつつも、その底にある冷たさに、一抹の違和感を覚えていた。
カイトの無意識は、「人間は理性によって世界を構築し、獣人は本能によって世界を生きる」という、帝国が広めた人間至上主義の二元論に、深く侵されていた。彼は、獣人たちを対等なパートナーだと口では言いながら、心のどこかで、彼らを自らの理性が管理・運用すべき、優れた「自然の力」のように捉えていたのだ。
さらに数ヶ月後、カイトは南の山脈に使者を送った。彼の目的は、そこに住むと言われるドワーフとの接触だった。アルビオン領の軍備を増強するには、より優れた武具や防具が不可欠であり、そのためには伝説的な職人であるドワーフの技術が必要だと考えたからだ。
交渉は難航したが、最終的に、一人の年老いたドワーフが、代表としてアルビオン領を訪れることになった。名をゲルダという。女性のドワーフは珍しかったが、その腕はドワーフの中でも随一と謳われる工匠だった。彼女は、胸まで届く見事な赤髭をたくわえ、その瞳は、まるで炉の奥で燃える炎のように、深い知性と頑固さを宿していた。
カイトは、ゲルダに最高の鍛冶場と潤沢な鉱石を提供し、新たな兵器の開発を依頼した。
「ゲルダ殿、あなたの技術で、帝国軍を圧倒するような、強力な武器を作ってほしい。例えば、一度に多くの敵をなぎ払えるような、新しい仕掛けの弩とか、もっと硬くて軽い鎧とか」
ゲルダは、カイトの設計図を一瞥すると、ふんと鼻を鳴らした。
「若造。お前さんは、何もわかっとらん。道具っちゅうのはな、ただ強けりゃいいってもんじゃない。鉱石には魂があり、炎には言葉がある。それらと対話し、使い手の腕と心を理解して、初めて『本物』の道具は生まれるんじゃ。効率だの、威力だの、そんなものは二の次じゃ」
ゲルダは、カイトの功利主義的な態度を、初めから見抜いていた。カイトにとって、ドワーフの技術は、目的を達成するための便利な「手段」に過ぎなかった。彼は、ゲルダを優れた「技術者」として尊敬していたが、彼女が持つ、ものづくりに対する神聖なまでの価値観や、鉱石や炎と対話するという彼女の「世界」のリアリティを、全く理解していなかった。
カイトは、リシアを「庇護すべき神秘」、フレアを「頼もしい戦闘力」、そしてゲルダを「有用な技術」として、それぞれをカテゴリーに分類し、自らの計画の駒として配置していた。彼は、多様な種族を受け入れる、進歩的な領主であると自負していた。しかし、その実態は、異なる能力を持つ者たちを、自らの目的のために効率的に管理・運用する、巧妙な支配者に過ぎなかった。
彼は、自分では気づかぬうちに、帝国が掲げる人間至上主義の論理――すなわち、自分の理性が、それ以外の全てをカテゴリー化し、評価し、利用する権利を持つという論理――を、より洗練された、より「善良」な仮面の下で、忠実に再生産していたのだ。アルビオン領は、一見すると多様な種族が共存する理想郷のように見えた。だが、その中心には、カイト・アルビオンという、絶対的な支配者が君臨していた。そして、その支配は、あまりにも優しく、合理的な顔をしていたために、誰からも、そして彼自身からも、支配であるとは認識されていなかった。




