第十話:炉の魂との対話
森での生活が数ヶ月過ぎた頃、フレアはカイトに言った。
「いつまでも、森にいるわけにもいくめえ。次は、あの頑固なドワーフの所へ行け」
フレアに促されるまま、カイトは南の山脈へと向かった。ドワーフたちの住処である、巨大な地下都市の入り口で、彼は門番に追い返されそうになった。だが、そこに現れたのは、赤髭を揺らしたゲルダだった。
「何の用じゃ、若造。お前さんの顔は、もう見たくないと思っていたがね」
ゲルダの態度は、相変わらず刺々しかった。
「……学びたいんだ。あなたの、ものづくりの世界を」
カイトは、深々と頭を下げた。
ゲルダは、カイトの姿を、頭のてっぺんからつま先まで、じろりと眺めた。かつての傲慢な貴公子の面影は消え、そこにいたのは、日に焼け、痩せこけ、しかしその瞳に奇妙な静けさを宿した、一人の旅人だった。ゲルダは、大きくため息をつくと、言った。
「いいだろう。ただし、客扱いなどせんぞ。わしの鍛冶場で、死ぬ気で働いてもらう」
カイトの新たな試練は、ゲルダの鍛冶場での「労働」だった。彼に与えられた最初の仕事は、来る日も来る日も、石炭を運び、炉の火を管理し、そして巨大なふいごを踏み続けることだった。それは、単純で、過酷な肉体労働だった。
カイトは、初めのうち、その仕事の意味を理解できなかった。もっと、設計図を描いたり、新しい合金の配合を考えたり、そういう知的な作業をさせてもらえると思っていた。だが、ゲルダは、彼に槌を握らせることさえしなかった。
「馬鹿者めが。道具を作る前に、まず火と鉄の声を聞けるようにならんか。お前さんの頭の中にあるガラクタ知識なんぞ、何の役にも立たんわ」
ゲルダは、カイトを罵倒しながらも、時折、ぽつりぽつりと、彼女の世界の理を語って聞かせた。
「火は、ただの燃焼現象じゃない。あれは、気まぐれで、誇り高い生き物じゃ。機嫌を損ねれば、鉄を腐らせる。敬意を払えば、鉄に最高の魂を吹き込んでくれる」
「鉱石も同じじゃ。一つ一つ、性格が違う。硬いだけの奴、粘り強い奴、歌うのが好きな奴。それらの声を聞き分け、相性の良いもの同士を娶わせるのが、わしらの仕事じゃ」
カイトは、ふいごを踏みながら、燃え盛る炉の炎を、来る日も来る日も見つめ続けた。初めは、ただのオレンジ色の塊にしか見えなかった炎が、日によってその色合いや、揺らめき方、そして発する音が、微妙に違うことに気づき始めた。それは、森で風の音を聞き分ける感覚と、どこか似ていた。
ある日、ゲルダはカイトに、一本の錆びついた鉄の棒を渡し、言った。
「こいつを、槌で叩いてみろ。ただし、ただ叩くじゃないぞ。こいつが、どうなりたいと望んでいるか、聞きながら叩くんじゃ」
カイトは、初めて金床の前に立ち、槌を握った。彼は、ゲルダに言われた通り、鉄の声に耳を澄まそうとした。もちろん、声など聞こえるはずもなかった。だが、彼は、森で学んだ沈黙を、ここでも実践した。頭の中の思考を止め、ただ、槌が鉄を打つ感触、その音、そして伝わってくる振動に、全身の感覚を集中させた。
カン、カン、という音が、鍛冶場に響く。彼の動きは、まだぎこちなく、不格好だった。だが、彼は、無心に槌を振り続けた。
その時、ふと、彼の手の中で、鉄が微かに応えたような気がした。それは、音でも、言葉でもない。ただ、槌を通して伝わってくる、微かな抵抗の変化。「そっちじゃない、もっとこうしてくれ」と、鉄が語りかけてくるような、不思議な感覚だった。
カイトは、その感覚に導かれるままに、槌を振るう角度や、力の入れ具合を、微妙に変えていった。すると、これまでただの鉄屑だった塊が、少しずつ、意味のある形を取り始めた。それは、ナイフとも、槍の穂先ともつかない、不格好なものだった。だが、そこには、彼が以前作らせた火薬兵器にはなかった、確かな「意志」のようなものが、宿っているように感じられた。
その様子を、ゲルダは腕を組んで、黙って見ていた。彼女の厳しい表情が、ほんの少しだけ、和らいだように見えた。
カイトが鍛冶場で働き始めてから数ヶ月が経った頃、リシアとフレアが、山脈の麓までやってきた。彼女たちは、カイトがどうしているか、様子を見に来たのだった。
三人は、久しぶりに顔を合わせた。そこには、かつてのような緊張や、非難の空気はなかった。代わりに、ぎこちないながらも、静かな時間が流れた。
カイトは、森で学んだこと、鍛冶場で感じたことを、訥々と語った。彼は、もはや自分の知識をひけらかしたり、相手を啓蒙しようとしたりはしなかった。ただ、自分が経験したことを、不器用な言葉で、伝えようと努めた。
リシアとフレアは、彼の話を、黙って聞いていた。そして、彼女たちもまた、自分たちの世界で、最近何があったのかを語り始めた。森の新しい若木が芽吹いたこと、狩りの名手である老狼が死んだこと。それは、カイトが以前なら「些細なこと」として聞き流してしまったであろう、日常の出来事だった。
だが、今のカイトには、その言葉の奥にある、彼女たちの世界の豊かさと、複雑さが、少しだけ、感じ取れるような気がした。
これは、ルゴネスが言う「愛情ある知覚」に基づいた対話の、ささやかな始まりだった。相手をカテゴリーに押し込めるのではなく、その矛盾や、不完全さをありのままに受け入れ、相手の「世界」を、本当に理解しようと試みること。
彼らの間にあった、分厚いガラスの壁は、まだそこにあった。しかし、その壁に、小さなひびが入り、そこから、か細い光が差し込み始めたのを、三人は、いや、カイトも含めた四人は、確かに感じていた。彼らの間には、まだ「仲間」や「友人」と呼べるような関係はなかった。だが、互いを、異なる世界を生きる、一人の個人として認識し、尊重しようとする、新しい関係性の萌芽が、確かにそこに生まれていた。