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年月に何を思うか

作者: 花浜匙

普段、時計なんて見やしない。

正確に言うと実家のあちらこちらに置かれてある壁掛け時計だとか置き時計だとか、使わなくなったけど勿体ない精神で捨てに捨てれずに場違いな場所にある目覚まし時計だとか何て気にも止めないで生活を送っている。

それもこれもガラパゴスケータイ、所謂ガラケーの普及が一番の要因な気がする。携帯電話、読んで字のごとく携帯が出来る電話。凄く便利な発明品。自分が幼い頃にはチラホラ固定電話がまだあって、場所によっては黒電話もまだ現役だったりして街中には電話ボックスが転々とあった。だが少し時代が進めば技術の発展は凄まじく、憧れの携帯電話もいつの間にかスマートフォンの登場により過去の物となっていて、自分が子供の頃に最新機種だったDSはもうお古で、家電量販店にはWiiUが並んでいるのだからビックリする。まるで玉手箱を開けた浦島太郎って気分になる。今だから思うが、

時間の進み方は子供と大人じゃまるで違う気がする。最近、仕事柄もあって気づいた事なんだが、子供と大人が歩む時間の違いに節目節目のメリハリがある事が時間の進み方の違いに繋がっているんじゃないかって気がする。学生の間は進級だの進学があって、身の回りの環境が1年ちょっとで変わるが、大人になるとそう簡単には環境の変化ってのは訪れない様に思う。仕事だって覚える期間なんて言ってる内に1,2年が経つし、やっとお金が貯まって一人暮らしが出来る頃には、やる気が削がれている事もザラで、何より大人は出来る事が増えた分やらなければいけない事が増えていく。

そうやって環境的にも身体的にも疲労だの病気だの歳だので雁字搦めになっていって、比喩表現で使う腰が重いってのも言葉だけの意味に留まらなくなっていく。腰を据え、その場所に根を張り、そしてその土地で人は生涯を費やしていくのだろう。

だから活発的な人は尊敬する。

自分にはそんな気力は無いからだ。

訪れる出来ごとを弄せずに待っている。それを賢いとするか愚行とするかは人それぞれだが、自分に都合の良い事だけを享受して不都合な事は悪運として、何かと理由を付けては自分を肯定し、届かぬ願望に対しては足掻きもせずに、ただ座して待つ。どれもこれも全て自分の行動次第で運命は変わり、転機は訪れたかも知れないだろうに。分かっていて尚行動しない、それが私という人間である。


ある日、家に点在している時計の一つが止まっていた。電池切れか、はたまた故障か。弄ればある程度の原因は分かるだろうが、見向きも起こらない。時計はあれば便利だが今はスマートウォッチがある。何処でも手軽に時間が見れて、好きな様に時計の装飾も変えられて、目覚ましの機能もあってカレンダーとも結び付いてくれるから予定を立てるにも困らない便利な奴。


そうやってポツンと置かれた時計は日常風景を飾る背景の一つと化して行くのだろう。

時計は止まれど時間は進み、埃の積もりが時の経過を知らせてくれる。

捨てられるその日まで。

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