3.太平洋戦争末期に奪われる
コンスタンティン・オルシャンスキー揚陸艦「ロシアは奪って返さない」
第二次大戦の太平洋戦争末期の1945年8月9日。
ソ連は日ソ中立条約を破って、敗戦濃厚の日本へと攻め込んで来ました。
ソ連の主張によると、日本は軍事演習したりドイツに味方したりと敵対行為をしたから条約に反し、中立は無効だとしています。
中立条約が無効だと主張することと、侵攻することは、一緒じゃないですよね。ソ連は侵攻するために、無効だと主張しています。敵対行為を攻め込む時に無効だと急に主張し始めて攻め込むのは、実に卑怯ですよね。
日本が条約違反をしていたにしても、ソ連は日本に侵攻するという、中立条約を否定するような違反をしました。ソ連の条約違反のほうがずっと悪質なのは、明らかです。
さらには、日本が連合国に降伏した後に、ソ連は北方領土を占領。非常に汚いやりかたであり、今ではウクライナでロシアが勝手におこなった非常に汚い住民投票を思い出させます。
ネット上だと、鬼畜のような親ロシア派がいました。日本はポツダム宣言を受け入れて武装解除に応じたのに、日本がその後もソ連に武力で抵抗したのは違反だと語っています。
こんなふうに、ソ連やロシアの図々しい奪い取りを正しいとする日本人がいるから、裏切り者なんて言葉があるんですよ。
それで戦後の、連合国側がおこなった極東国際軍事裁判では、ソ連の対日参戦は正当だったとしており、日本も判決を受諾しています。
ただ、正当だと認めたとしても、ソ連の卑怯な手口には、日本人としては全く共感出来ないですよね。北方領土を奪い取って未だに返還しないのは事実ですし。
1951年9月8日、戦争に負けた日本は、千島列島の領有権を放棄しました。
北方領土が千島列島として含まれるかどうかについては、議論があります。日本としては、含まれていないと主張しています。
仮に北方領土が千島列島に含まれているとしても、北方領土は放棄によってどこの国にも属さない領土になっただけで、ソ連のものになったのではありません。
ソ連としては、対日参戦の見返りとして、千島列島の獲得をアメリカとイギリスからヤルタ会談の協定で約束されていたとしていますが、当事者である日本はヤルタ会談に出ていません。また、日本が千島列島を放棄したサンフランシスコ平和条約に、ソ連は署名していないのです。
違反とか無効とかはどうにしても、ソ連が武力で奪ったのは覆せない事実ですよね。
それに、戦後の日本は奪われたことをロシアに文句を言っても、テロ国家ロシアのように武力で領土を取り返すようなことはしていません。
ウクライナ侵攻で民間人を狙わないと主張する侵略者ロシアが人道的なら、民間人を狙わないなんて言いわけするようなことにもなっていない戦後の日本国は、ロシアの比ではない程に人道的です。
特三号戦車クロ「ロシアはウクライナ侵略をやめろ」
日本の試作の空挺戦車……というよりも、空を飛ぼうとした戦車。