三十路間近の女騎士は、10歳下の部下から熱愛される
西の国境に配置されている王国騎士団、第5支団。
29歳にしてそこの支団長を務めているナタリアは、負けなしの女傑として知られていた。
...のだが、その日は最大の危機を迎えていた。
(いい天気だな。...腹立たしいほどに)
いつもは一つにまとめているマリーゴールドの髪は下ろし、チュニックの代わりに黄緑のワンピースに袖を通し、非常時(ひったくり等の犯罪に居合わせる)に備えて下にズボンを穿いておく。
「勇ましい」と評される容姿も、こうしてみれば少しは女らしい。
こんなことになったのは、ナタリアのかつての失言にある。
『もし、私から一本取れたら、可能な範囲でお前の願いを一つ叶えてやる』
その結果、19歳である部下のロイドから求婚され、妥協案としてナタリアの時間を丸一日明け渡すことになったのだ。
要は街でデート、ワンピースもこの日のためにとロイドが贈ったものである。
いろいろあって、ロイドを拾ってからもう7年も経つ。
「狂犬」なんて異名がついているが、ナタリアにとっては可愛い可愛い部下だったのだが...。
(ナタリアよ、なんであんなことを言ってしまった!?)
かつての自分を思いっきりボコボコにしてやりたいが、こうなった以上はどうにもならない。
ため息を一つ吐くと、ナタリアは部屋を出た。
待ち合わせ場所に向かうと、ロイドは壁に背を預けて待っていた。
ブラウンの髪はオールバックにセットされている。
少しでも大人に見せるためだろうが、確かに印象はかなり変わったような気がする...が、なぜかそのスカーレットの瞳は見開いていた。
「ロイド、なにを呆けている?」
「...あ、と...支団長、似合ってる。すごく...可愛いい」
「...!?」
あまりにも自分に似つかわしくない殺し文句に、ナタリアは思わず目を逸らした。
ロイドに対して可愛いと言ったことはあるが、自分が言われたのは幼少期以来だ。
「......コホン、あまり年増をからかうんじゃない」
「...本心なのに」
「フフッ」
むぅ、とむくれるところはいつもどおりで、ナタリアは少し安心した。
普段は酷く大人びているロイドだが、頭や頬を撫でてやったり、イケないこと(敵と判断した相手への一方的暴力等)をして叱った時は、こんな表情を見せる。
「とにかく、今日は俺のことを、一人の男として見てもらうからな。行くぞ、ナタリア」
「あ、ああ」
普段はあんたか支団長と呼んでいるロイドから、こうして名前で呼ばれるのは初めてだ。
妙な気持ちになりながらも、ナタリアは差し伸べられた手を取ると、そのまま手に口づけられた。
「エスコートは任せろよな」
「......期待している」
どうなることかと思ったデートだったが、意外にも悪くはなかった。
すべてがロイドの驕りであることは心苦しかったが、路上の音楽会も、魔法によるショーも楽しくて、穴場だという店で食べたグリルチキンはおいしかった。一方で...。
(ロイドも大きくなったな...)
あんなに小さくて、他人に対しては不愛想だったのに、今では見上げるくらいになっていて、街の人とも自然に話せるようになっている。
ただ、単に猫を被っているだけかもしれないが。
そうこうしているうちに、ロイドは露店でアクセサリーを吟味しだした。
「どうした? アレッタへの土産か?」
「違う。それはフォックスに譲る」
ロイドの双子の妹であるアレッタと、腐れ縁のような間柄のフォックスは、ロイドがナタリア以外で心を許す数少ない存在だ。
先日、二人の間には娘が産まれた。
可愛い姪に山ほどのプレゼントを買おうとしたロイドを、ナタリアが慌てて止めたのは記憶に新しい。
ロイドが手に取ったのは、なにかの紋様が彫金されていて、小さな石がはめられた髪飾りだ。
この近くには鉱山があり、工房でカットしてできたくず石を、こうして再利用するのは珍しくない。
支払いを済ませると、ロイドはそれをナタリアの髪に飾った。
「ほら、ナタリアと同じ瞳の色。似合ってる」
「...ありがとう(私がもう少し若ければ、なんてな)」
年甲斐もなく浮かれる自分に、ナタリアは嫌気がさした。
自身への強化のみのナタリアに対し、ロイドは剣と併せて魔法を多方面に使える。
適正もさることながら、ひとえにロイドが死に物狂いで努力を重ねたからこそだ。
魔物の暴走や、当時は暴君が治めていた隣国からの侵略等で功績をあげ、褒賞として王女との婚約話が出たこともあった。
...「私の好みは年上なのです」と国王に言ってのけた時は、本当に肝が冷えた(寛大な方でよかった)。
向けられる想いには薄々気づいていたが、三十路に近い年増では未来ある若者に相応しくない。
あれのことだってある。
わかりきっているはずなのに、なぜかナタリアの心はズキリと痛んで...。
その答えには、気づかないフリをした。
「さっきの芝居、なかなか面白かったな。やはり、ああいう喜劇はいい。チケットを取るのは大変だっただろう?」
「別に、こうして楽しんでもらえたなら、頑張った甲斐はあったよ」
陽はとっくに地平線へ沈み、代わりに街灯が辺りを照らしていた。
芝居の合間に食べたサンドイッチがなかなかのボリュームだったので、夕食の必要はなさそうだ。
「そろそろ帰るとするか。なかなか楽しかったぞ」
「...まだ、行くところがある」
「...?」
ロイドの様子がおかしい気もしたが、手を引かれるがままにナタリアは夜道を歩いた。
そしてたどり着いたのは...上等な類の宿屋だった。
「ロイド...これは、どういうことだ?」
「だから、泊まるんだよ。二人で、同じ部屋に」
「な!?」
平民の貞操観念は、王族や貴族ほど高くはない。
つまりは、そういうことだ。
「待て待て、早まるな!?」
「無理、あんたのことだから、今日を切り抜けたらなんとかして逃げるつもりだろ?」
「うぐ!?」
逃がさないとばかりに手はがっちりと捕まれ、熱を孕んだ視線がナタリアを貫く。
その気になれば逃げられるはずなのに、その手を振りほどくことはできなかった。
「......仕方ない。約束は約束だからな」
この日のために予約していたのだという部屋は、壁を叩いてみるとかなり分厚いようで...隣に聞こえるということは、まずなさそうだ。
先にシャワーを浴びさせてもらったナタリアは、用意されていたバスローブに身を包み、ソファに腰かけた。
(ある意味)戦場でお酒の気分にはなれず、代わりに水を飲みながらその時を待った。
ロイドは思っていたよりも早くシャワーから出た。
「お待たせ」
「...髪をきちんと乾かせ。風邪を引くぞ」
「だから、ガキ扱いすんなって」
タオルで髪を拭いてやると、いつものようにむくれていたロイドだったが、そのままナタリアの手を引いてベッドに向かった。
座ってみると、宿舎のものよりも上質なのがわかる。
もう逃げられない。
ロイドからも、過去からも。
大きく深呼吸すると、ナタリアはロイドに向き合った
「ロイド、私が元貴族であることは知っているな?」
「まあ、一応」
表向きは除籍となったナタリアだが、家族とは手紙での交流が続いている。
最近では家督を長兄に譲り、身軽になった両親がたまに遊びに来ている。
第5支団なら誰でも知っている話だ。
問題は、ナタリアがこうなるに至った経緯だ。
「私には、かつて婚約者がいた」
お転婆娘だったナタリアに対し、妹思いの穏やかな人だった。
7歳の時に顔合わせして以来、それなりに愛を育んできたつもりだった。
「婚約は、私が13の時に解消になった。...これが理由でな」
意を決して、バスローブを脱ぎ払ったナタリアには...左肩から胸元に広がる火傷の痕、右のわき腹に斬られた痕、それ以外にもあちこちと傷痕が刻まれていた。
あとから知ったことだが、婚約者の叔父の仕業だった。
複数の刺客に襲われ、幼い妹を抱えて震える婚約者を背に、ナタリアは事切れた護衛の剣を手に取った。
火魔法で焼かれ、体を斬りつけられてもなお、がむしゃらに剣を振った。
助けが来るまでどうにかしのいだものの、当時の治癒魔法では傷を完治させることができなかった。
その一件以来、婚約者はナタリアを避けるようになり、そのまま婚約は解消。
せめてもの救いは、婚約者の妹が当時のことを忘れていることだ。
次の縁談は望めないだろうと、ナタリアが選んだのは国のために戦うことだった。
令嬢が騎士団に入ることは醜聞に繋がりかねないので、家族の反対を押し切って貴族籍を抜けた。
これがナタリアの半生であり、ロイドの求婚を渋った最大の理由だ。
そして今、傷痕だらけの体を晒したナタリアにロイドは...真っ先に火傷の痕がある肩に口づけした。
「...ここで躊躇してくれればと思ったんだがな」
「俺はナタリアがいいんだよ」
「こんな体でもか?」
「別に、後悔はしてないんだろ?」
「それは...」
あのまま見殺しにするぐらいなら、ナタリアは何度だって同じ道を選ぶ。
それに、騎士団での日々は思いのほか性に合った。ただ...。
「あいつらが今も生きているのは、あんたが命がけで守ったからだ。 傷跡はむしろ、勲章じゃないか」
「あ...」
家族は嘆き悲しんだ。
侍女は痛ましい表情を浮かべた。
婚約者は『ごめん』と謝ってばかりだった。
後悔はしていない。
ただ、悲しかっただけ。
気づけば、ナタリアの目から涙がこぼれていた。
「そう言ってくれたのは...お前が初めてだな」
「まあ、大まかな事情はあんたの両親から聞かされてたんだけど」
「いつの間に」
「ものにできたらいいって言われた」
「...これもありだと?」
「さすがに怒られそうだ」
目尻から始まり、すべての傷痕を愛おしむように、ロイドのキスは続く。
くすぐったそうにしながらも、ナタリアはそれを受け入れる。
「好きだ、ナタリア。俺はあんた以上に美しい人を知らない」
熱に浮かされたように、ナタリアはロイドの背中に腕を回した。
ナタリアが気だるげに目を覚ますと、ロイドはまだ寝ていた。
夜とは打って変わって、なんだか子供っぽい。
(...可愛い)
ロイドが起きるまでの間、ナタリアはずっとその寝顔を眺めていた。
その日のうちに婚姻届を提出したあと、ナタリアは家族に手紙を送った。
...既成事実のことはさすがに書けないので、決闘に負けて結婚したことにした(間違ってはいない)。
一カ月もしないうちに、ナタリアの両親が鬼気迫る勢いでやって来た。
特になにも考えていなかったナタリアを横目に、(乗り気のロイドも交えて)あれよあれよと話が進められ、思ったよりも盛大な式が執り行われた。
長袖のウエディングドレスは傷痕を隠す代わりに、左肩と右のわき腹には花の刺繍が施してある。
国から贈られる勲章のモチーフにもなっている花だ。
両親は号泣し、第5支団の面々はロイドに野次を飛ばす。
少々騒がしいが、皆に祝福される中、ナタリアとロイドは誓いのキスを交わした。
(...?)
一瞬、ナタリアはかつての婚約者を見かけたような気がした。
あのあと、彼は家督を継ぐことも結婚することもなく、治癒魔法の改良に心血を注いだらしい。
罪悪感によるものだろうが、それによって多くの命が救われたのも確かだ。
あとで両親に伝言を頼んでおこうと、ナタリアはこっそり心に決めた。
『あの時のことはもう気にしなくていい。私は今、幸せだ』