エピローグ
いい加減僕の気持ちの悪さにも清々したところだ。
まだ諦めないのか。まだ振り向かせられると思っているのか。この諦めの悪さは某少年漫画の某主人公にも負けていないだろう。かといって僕の話が少年漫画に連載されるかと言えば、勿論そんなはずはない。連載されれば、PTAやら先生やら文部科学省やらの非難罵倒の大嵐に見舞われてしまうだろうし、そもそも連載会議を通るのかどうかも怪しい。
そんなことはどうでもよくて、大事なことはいかに他者に迷惑をかけずに僕の中でこの気持ちに折り合いをつけるのかということなのだ。これまでの短い人生の中でもよく分かっていることであるが、片思いほど生産性が無く、苦しいものはない。多くの人間も僕同様に片思いに苦しみ、身が裂けるような思いをしているだろう。その解決手段として挙げられるのが、「想いを伝える」ということである。至極一般的な手法であるが、僕には到底できないことなのだ。別にこの手法を批判している訳ではないし、毛嫌いしている訳ではない。「想いを伝える」ことで、始まるはずもなかった物語にピリオドを打てるし、行為の早さの分だけ自分を前に進めることが出来る。主観的に考えればやらない訳にはいかないのだ。しかし、この行為は主観的問題のみにとどまらない。なぜならば、「想いを伝える」という行為は相手があってこそであり、相手の心が大きく関わるからだ。僕はこのことを考えると、どうしても「想いを伝える」ということを辞めなくてはならない気持ちになる。どんなに人にそそのかされてもだ。おそらく生まれつきそのような体質なのだ。僕のような人間は傍から見れば、弱虫などと言われるのだろう。全くその通りとしか言いようがなく、負け惜しみもでてこない。
この物語は、「弱虫」の僕が好きな女性について語り、思い出し、そして折り合いをつける、そんな話である。これだけ読むと、この物語は恋愛に関わる話だと推測するかもしれないが、おそらくそうではない(少なくとも僕はそう思う)。恋愛というのは人々の関係の中の話であるが、この物語は僕自身の非常に内省的な話であるのだ。だから、この物語を恋愛に関連するものとして位置付けるのはなんとも可笑しい気がする。
よって、この物語のタイトルは「恋愛と呼ぶにはいささか内省的な話」とでもしておこう。
読んでいただきありがとうございます。