47 悪夢の部屋の黒き狼
一歩踏み出したマリーさんに気圧されるように、部屋の中央へと追い込まれてしまった。
そんな俺を、ぎゅっとシアが抱き締める。
彼女は別に怖がっているわけではない。俺を守るために寄り添っているのだ。
部屋に入ったマリーさんが、扉を閉める。
これで逃げるのも困難になった。
「ここって、何ですか? 荒らされてるみたいですけど。あっ、もちろん俺がやったんじゃないですよ。扉に傷があったから、気になって覗いただけで……」
冒険者組合の時は、相手が本気じゃないと分かっていたから、あんな芝居じみたこともできたが……
これがひとつ間違えば命を落とすという、実戦の重圧なのだろうか。
何も激しい運動をしていないのに、鼓動がすごい事になっているし、息も乱れている。それに、思考もまとまらない。
いっそ、全員をここへ呼ぼうかと思ったら、逆にクロエから、いきなりシアが消えたことを心配し、その問い合わせがきた。
簡単に状況を説明してから、みんなを呼び寄せる。
『……というわけだ。悪いが、来てくれるか?』
その声に応えて、三人同時に現れた。
早速、クロエとメイプルに、部屋の状況を確認してもらう。
マリーさんは、ニコニコ笑みを浮かべたまま、扉を背にして立っていた。特に何をしてくるわけでもないのだが、それが逆に怖い。
『かなり古い傷のようですね。数年……いえ、十年ほど経っているようです』
『壁と床に剣や斧の傷、技量はそれほどといった感じですが、大人の男性によるものでしょう。机は怪力で投げつけたようですが、これは人の技ではないように思います。壁の陥没も、同様でしょう』
『術のようなものではなく、純粋なチカラ……、例えば野獣のようなものが暴れた跡のようですね』
つまり、大人の男と野獣が争った跡を、昔のまま残しているというわけか……
「まさかこれ、フェルミンさんが!?」
つい口走ってしまった。
だが、マリーさんは、少し驚いたような表情を浮かべたものの、再びニッコリと微笑んだ。
緊張する俺だが、シアが……
『ハル兄、落ち着いて。相手に敵意はない。もし何かあってもシアが守る』
『その時は頼む。けど、相手はお姫様だ。何をするにしても、くれぐれも慎重に頼むぞ』
『うん。分かった』
シアの言う通り、マリーさんからは攻撃の意思が感じられない。
サンディーから『私に任せて』という念話を受け取る。
何をするのかと思ったら、無邪気というのか、能天気というのか、ほぇ~っと驚きながら質問をする。
「なんだか争った跡みたいですけど、ずいぶんと丁寧に保存されてるんですね」
「ええ、ここは大切な思い出の場所ですから、当時のまま残してあるのですよ。でも、よく分かりましたね」
「えっ? あっ、私、掃除は得意ですから、見れば分かりますよ。空気も澄んでますし、蜘蛛の巣も張ってませんから。定期的に手入れをしている証拠です。それにこの花束は、お供え物のようですけど……」
見れば木製の土台に花束が乗せてあり、手向けの花のように見える。
王家の騒動や、その秘密となれば、知ってしまえば命が危うくなる。
気にはなるが、関わらないほうがいいだろう。
「勝手に覗いてしまってすみません。すぐに出ますし、この事は忘れますから、お許し頂けませんか?」
「あら、気になりませんの?」
「好奇心は猫をも殺すって言いますし、それにここはケットシーハウスですから。猫の妖精さんに怒られないように、大人しくしてますよ」
「なんですの、それは。本当にハルキは、面白い方ですわね」
冗談を言ったつもりも、笑わせようと思ったわけでもなかったが、なぜかマリーさんが楽しそうに笑い出す。
「別に隠す事でもありませんし、ハルキの師匠も関わったことですからね。話して差し上げますわ」
仕方がないから渋々……という感じではない。
見るからにマリーさんは、誰かに聞いてもらいたくて仕方がない、といった様子だった。
ぞろぞろと連れ立って、元の部屋へと戻る。
皆が椅子や床に座って落ち着くと、当時の事を思い出しているのだろう、マリーさんは遠くを見つめながら、ポツリポツリと話し始めた。
当時、十二歳というから、見た目的にはシアと同じぐらいか、もう少し成長したぐらいだろうか。
その日の名目はお茶会だったが、ようは仲の良い友人と遊ぶことが目的だった。
フェルデマリー姫はもちろん、フェルミンさんやガイゼルさんを含めて、同年代ばかり六人が集まった。
いつもの、何気ない日常だったのだが、そこへ賊が押し入った。
賊はフロイス子爵令嬢の誘拐が目的で、ここが王家所有の建物たとは知らなかったようだ。
警備の兵も配置されていたが、隠れ家だけに手薄で撃退に至らず、応援を要請したが、到着までに時間がかかってしまった。
その窮地を救ったのがフェルミンさんだった。
「皆が怯えるからと伏せていたようですけれど、あの部屋に追い詰められたワタクシと子爵令嬢を助ける為、フェルミンは黒き狼を召喚し、賊を撃退してくれたのですわ」
この時すでに、フェルミンさんは実習召喚術士──召喚術士見習いとして、黒狼の召喚に成功していたらしい。
「フェルミンの危惧した通り、その力に怯え離れていく方々もおられましたけれど、ワタクシにとっては命の恩人。ハルキには不本意でしょうけど、あなたの世話も、フェルミンへの恩返しなのですわ」
「不本意だなんてとんでもない。でしたら、フェルミンさんには謝罪と感謝をしなければいけませんね」
「謝罪……なのですか?」
「はい。どうやら私は、フェルミンさんのことを誤解していたようです。てっきりここでも、何か無茶をやらかして、すごく恐れられているのかと……」
何か思い当たることがあったのか、マリーさんがクスクスと笑い出す。
「風精霊からは、フェルミンさんは世話好きで責任感が強く、とても優しい……とは聞かされていたのですけど、普段の言動を見ていると、ついつい信じられなくて……」
「フェルミンは、とても照れ屋さんですからね」
昔なら信じられなかっただろうが、ウラウ村で一緒に過ごしたことで、すごく共感できるようになった。
素直じゃないというか、いろいろと分かり難い人なのだ。
「あっ、そういえば、フェルミンさんのこと、下の名前で呼んでませんよね。何か理由があるのですか?」
「なぜか本人が嫌がりますから。メイリアって名前が可愛すぎて、自分には似合わないって仰るのですわ。フェルミンも十分可愛いと思われるのですけれど」
「そうですね。可愛さの基準って何なんでしょうね。あっ、もうひとつ気になっていたことが。もしかしてフェルミンさんって、すごい家のご令嬢だったりするんですか?」
「すごい……かどうかは分かりかねますけれど、フェルミンはアキュート伯爵家の当主ですわよ?」
「えっ……?! 伯爵家の当主さま?」
思わず絶句する。
フェルミンさんが貴族……それも、伯爵家の当主だなんて、考えもしなかった。
ただの怖いもの知らずで、傍若無人なだけじゃなかったんだ……
この日は、何だかいろいろな事があったが、これが一番の驚きだった。
ちなみにあの花束は、管理人さんが供えているらしい。
あの事件で二人の兵と、彼女の母親が犠牲になったのだそうだ。
マリーさんにとっても辛い事件だっただろうに、努めて明るく笑顔を浮かべながら、重い空気を振り払うようにパンパンと手を叩く。
「じゃあ、皆でお風呂にしましょう。あっ、もちろん殿方は別ですわよ」
「……わかってますよ」
この建物、そんなものまであるのかと、驚く。
いや、王家の建物なのだから、何があってもおかしくはないが……
さすがに殿方専用のお風呂……なんてものはなく、女性陣が出た後に入ることになったが、それは別に構わない。
ウラウ村じゃ、湯の張ったタライに手拭いを浸して、身体を拭くのが当たり前だったから、学院の時以来になるだろうか。湯に浸かると懐かしい気持ちが広がる。それに、とても気持ちいい。
石鹸はともかく、香料やらオイルのようなものが多数ならんでいたが、用途が分からず手を出さなかった。
その後は食事になったが、夕方にあれほど食べたのに、みんなの食欲は衰え知らずだった。まあ、このご馳走を見れば、そうなるのも仕方がない。
魚や野菜が豊富で、身体に良さそうな料理ばかりだったが、見た目が美しく、香りも味も最高だった。
それはいいとして……
どうやらマリーさんも、このまま一緒に滞在するらしい。
いやまあ、この建物は彼女の持ち物なのだから、何も変なことではないのだが、問題は俺の存在だ。
婚前の王女さまが、男と同じ建物で数日過ごすというのはどうなのだろうか。
まあ、そんな事を言ったら、知らず知らずのうちに伯爵さまとは同じベッドで寝ていたわけだが、相手が王族となれば話が変わる。
とはいえ、俺にやましい気持ちは無いし、本人がいいのなら別に気にする必要もないのだろうが、やっぱり緊張するし、緊張感を忘れてはいけないと思う。
いつも通り、妹たちと一緒ならば、いらぬ誤解も生まれないだろう。
ちなみに、馬車と共に残してきた荷物は、既にここへと届けられていた。
ずいぶん量が減っているように思ったが、荷物の半分以上は、ここの商業組合へのお届け物だったらしい。
そのおかげで、馬の賃貸料が浮いた……と、メイプルから説明を受けた。
そんな方法があるのかと感心するが、たぶんこれは、メイプルだからこそ成し得た交渉なのだろう。聞けば他にもいろいろと出てきそうだが、根掘り葉掘り聞くのは彼女を信じていないようで、ためらわれる。
だからせめて、感謝を込めて、優しく頭を撫でてあげた。
そんなわけで、王都の滞在は、何故か大金を手に入れてしまった上に、風変わりで型破りな王女殿下に歓待されるという形で始まった。
これほどの幸運に恵まれると、後でどんな反動が襲って来るのかと心配になってしまうが……
心地よい睡魔に襲われた俺は、ひとまず何もかも忘れ、考えるのを止めることにした。
ボーっとしている間に、妹たちの提案で子供部屋に寝具を並べられ……
やはり、これが一番落ち着く……などと思いながら、みんなで一緒に眠りに落ちた。
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