29 やるしかないのか……
シアが抱き付いてきたのは、何も甘えたかったからではなかったようだ。
いきなり身体を引っ張られて何事かと思ったら、さっきまで立っていた場所で、耳障りな音と同時に何かが大きく跳ね上がった。
「……矢?」
「ハル兄、あの人たちは敵」
「敵って、領主さまだろ?」
「うん。領主さまは敵だよ」
何がどうなってんだ?
確かに、前から飛んできた気がしたけど……
いやまあ、敵だとしても領主さま相手に反撃するわけにもいかないわけで、大人しく控えるしかない。
「メイプル、いざって時は逃げていいからな」
「お兄さまを残したまま、逃げたりはしませんよ」
「そうじゃなくてだな、クロエやサンディーと合流して、何か策を立ててくれ。たぶん、そっちのほうがいいだろ?」
「もう準備は整ってますよ。お兄さまは何があっても捕まらず、最後まで生き延びることだけを考えておいて下さいね」
「ん? ……ああ、分かった。けど、できるだけ穏便に頼む」
そう答え、未だに抱き付いたままのシアを見る。
「シア、俺がいいって言うまで攻撃は我慢してくれ。そのかわり、俺をしっかり守ってくれるか?」
「わかった。シア、絶対にハル兄を守る」
何の準備か分からないが、メイプルに何か策があるのだろう。
シアも任せてとばかりに、ふんすと鼻息を吹いている。
いよいよ領主たちが近付いてきたので、二人にも座って頭を下げるよう指示し、俺も片ヒザをついて控える。
兵は六人のようだが、また前と同じ人たちだろうか。馬から降りて、そのうちの二人がこちらへと近付いてきた。
厳しい表情だが、特に襲ってくる気配はない。
領主さまが、馬上から問いかけてくる。
「これは一体何事だ」
「私はウラウ村のハルキ・ウォーレンでございます。武装したヒュメラ村の者たちが、ウラウ村を襲うと白状致しましたので、この場で取り押さえました」
「なんと、そなたひとりでか?」
「微力ながら、私たちも力添えをさせて頂きました」
突然、割り込むようにメイプルが答える。
ここは任せてと言わんばかりに、こっちに視線を送ってニッコリと微笑む。
たぶん、何か考えがあるのだろう。だったら、任せたほうがいい。
「ふむ、なるほどな。ところで、これで全部か?」
「はい、どうやらその様です。領主さま」
「そうか……」
山の連中は? ……と思ったが、口をつぐむ。
ふむ……と、周りを観察した領主さまは、しばし考え込むと、こちらに向かって腕を伸ばす。
「ならば、この者どもを斬り捨てよ!」
「……なっ!?」
聞き間違いでも、勘違いでもない。
たしかにこちらに向かって、兵に斬り捨てるよう命令した。
何がどうなっているのか分からないが、二人に引っ張られるようにして立ち上がると、そのままメイプルに後方へと引っ張られていく。
「シア、襲ってきた相手には反撃していい。だけど、絶対に殺すなよ」
そう伝えたものの、戦っていいのだろうか。
いやまあ、本来ならば、いいわけがないのだが……
相手もシアの実力を知っているので、迂闊に手は出せないのだろう。にらみ合いが続いている。
「メイプル、何でこんなことに? ……いや、どうすればいい?」
「そうですね。領主は悪い人なので倒しても大丈夫です。ですが、相手には魔導術士と精霊術士がいるようなので、気を付けたほうがいいですね」
「倒してもって……。戦って勝ち目はあるのか?」
「どうでしょう。魔導術士はともかく、精霊術士に関しては情報が少ないので何とも言えませんが……。でも、サンディーお姉さまとクロエちゃんにも待機してもらっていますので、いつでも攻撃できますよ」
「つまり、こうなることが分かってたわけか……」
「相手は訓練を受けた人たちですので、シアちゃんひとりでは厳しいでしょう。ですから、お兄さまもお気をつけ……」
「シア!?」
いきなりシアがフラリとよろける。
木剣を杖にして立っているが、なんだか辛そうだ。
「何か攻撃を受けているようです。精霊術……でしょうか。お兄さま、攻撃命令をお願いします」
「やるしかないのか……」
相手は貴族、それも領主さま。逆らっていいことなど何ひとつないのだが……
兵の二人が剣を構えて迫り、シアが応戦するが、明らかに様子がおかしい。
「分かった。戦おう」
そう決断した瞬間、息が詰まった。……呼吸ができない?
メイプルが指笛を鳴らす。……いや、音が聞こえない。
こちらの様子に気付いて、何か必死に話しかけている。だが、その声も聞こえてこない。
これは……何かの術?
不意に違和感が消え、地面に四つん這いになりながら必死に呼吸を繰り返す。
「お兄さま。ハルキお兄さま。しっかりしてください」
「……ぁ………ぅ………」
大丈夫だ……と言おうとしたが声が出ない。
敵の後方にいた兵士が、血しぶきを上げる。
もう一人は、すでに倒れていた。
シアも復活したのか、兵が二人まとめて宙を舞う。
これはマズい。みんな、我を忘れて……本気で怒っているようだ。
いつの間にかメイプルに膝枕されていた俺は、必死に「絶対に殺すな」と伝えようとするが、声が出てこない。
黒装束を纏ったクロエが、風変わりな剣を構えている。殺気がここまで伝わってくるようだ……
ダメだ。それはダメだ。
自分の中、精神世界にある存在に向かって、全力で命令する。
『殺すな!』
『はっ! 兄者の命、しかと承知いたしました!』
やはりあれはクロエの声……これが念話?
気のせいではないだろう。明らかにクロエの雰囲気と動きが変わった。




