267 密約
オースフィア大陸の北には、危険な魔物や蛮族が生息するゲヌマと呼ばれる大地がある。
ゲヌマは海に隔てられた北の地と言われているが、大陸の東部ゲイルターク王国の北方でごく一部ながら地続きになっていることは広く知られている。
有史以前から幾度となく、その地を踏み越えてゲヌマの魔物が大挙侵入し、定期的に人類を滅亡の危機へと追い込んだ。
その現象は大侵攻と呼ばれ、今日に至るまで恐怖と共に伝えられている。
大侵攻は十数年から数百年と幅があるものの周期があり、侵入の無い時期に対策を練るが、どれほど強固な砦や防壁を築いても無駄だった。
だが、救世の三英雄によって、落差の大きな崖と潮の満ち引きで洗い流される地形──地獄門が築かれ、大侵攻が阻まれたことで、ようやくオースフィア大陸に平和が訪れた。
その歴史的偉業は、およそ千三百年前の出来事だと伝えられている。
以降、魔物の残党による被害や人類同士の小競り合いはあったものの、それなりに平和が保たれていたのだが……
今から五百年前、平穏を打ち破り、再びゲヌマの魔物による惨劇が起こった。
その様相は、文献の記述と大きく異なるものだったという。
地獄門の向こうにはゲヌマが広がっている。それは間違いない。
それに、遥か西方、キュリスベル王国の北端からも対岸が薄っすらと見え、時折ゲヌマの魔物の死骸らしきモノが漂着するので、ゲヌマはオースフィアと同じか、それ以上の広さがある大陸だという説が有力になっている。
幸いなことに、ゲヌマの魔物は海を渡れない。だから、大侵攻が始まる時は、ゲヌマと接する地が真っ先に異変を察知するのだが……
なのに、地獄門に異変がないまま唐突に、しかも大陸各地で一斉に、魔物が現れて暴れ回った。
なぜ三英雄は地続きの場所を中途半端に残したのか。いっそ海に沈め、完全に分断してくれればよかったものを……というのは、魔物騒動が起こる度に言われ続けた言葉だが……
この混乱の中サンクジェヌス帝国は、その言葉を逆手に取り……
「逃げてばかりでは未来はない。ゲヌマの魔物を駆逐する。それこそが、三英雄が我々に託した未来である。今こそ我々は、ゲヌマの魔物に打ち勝つため、結束すべき時だ!」
そう訴え、従わぬ周辺国を武力で併合していった。
だが、大陸中部を支配下に収めた帝国がいよいよ大陸制覇に乗り出すも、ゲイルターク王国の反撃に遭い、フレスデン王国やギムナ皇国の独立を許し、帝国の野望は呆気なく潰えた。
あまりにも帝国の動きが不可解だったこともあり、各国は帝国が大陸に魔物を引き入れたのではないかと疑った。だが、確たる証拠が無く、その手法も分からず、ただの火事場泥棒──騒乱に乗じた侵攻だったという結論に落ち着いた。
ところが、ここにきて帝国に魔物を使役する術があると発覚したことで、やはりあの大侵攻もどきは帝国が意図的に引き起こしたのではないか……という疑惑が、再び囁かれるようになった。
フレスデン王国の北部、フレスデン王家が保有する保養地のひとつエルメーベ。そのエレミーヴ離宮内にあるキホー館で、大陸の行く末を決める会合が始まった。
キュリスベル王国の代表は、王の側近キーセント公爵。その随員としてグルーモア伯爵、ケイネス子爵らが付き従う。
グルーモア伯エルゼナードは白銀の聖法騎士ファルアラン・ガイゼルの父であり、術師ではないものの武に優れた剛の者。だが何よりも交渉に秀でており、王国において並ぶものなしと評される人物である。
ケイネス子爵ランドールは閃光の魔導剣士と呼ばれ、白銀の聖法騎士と並ぶ人気と実力を兼ね備えた有名人である。伏せられているが特命官の一員でもあり、キュリスベル王国内で考えられる最強の護衛と評されている。
会合の相手は、フレスデン王国とゲイルターク王国の代表たち。
議題は、サンクジェヌス帝国とギムナ皇国の扱いについて……
サンクジェヌス帝国の悪事は、今さら言及するまでもない。
すでに帝国は、大陸の……世界の敵である。
その認識は、五百年前の悲劇の黒幕だと判明したことで、ますます強くなった。
それはそれとして、ここに集まった者たちの関心は別の所にあった。
「ゲヌマの魔物を意のままに操ることが可能ならば、万が一大侵攻が始まっても対処できるのではないか?」
そう期待し、調査を進めていたのだが……
ゲヌマの魔物は常識を超えた存在であり、人類を含むオースフィアの生物では抗う事のできない強力なモノ。
どれだけ兵士を鍛えても、どれだけ優秀な術師を集めても意味はない。
泥炭の魔人や巨大融合魔物のようなモノが徒党を組んで攻めてくれば、数体倒したところで焼け石に水。時間稼ぎにもならず、一方的に蹂躙されるだろう。
今はまだ地獄門のおかげで平和が保たれているものの、それが永遠に続くとは限らない。
それだけに、帝国が秘匿している技術があれば……
そんな淡い期待を抱いたが、調べを進めるにつれ、その期待は泡のように消えた。
帝国の技術は使役術に似たもので、ゲヌマの魔物を術式によって隷属させ、意のままに操るもの。
術式を付与した六角柱を使うことで、大型の魔物も使役できるが……
魔物使いの適性がある者は稀有な上に、同時に使役できるのもせいぜい数体が限度。
とてもじゃないが、それでは大侵攻の阻止など不可能だ。
五百年前の事件も全ての魔物を操っていたわけではなく、捕獲した魔物を育てて増やし、一斉に解き放つことで大侵攻に見せかけたのだろう。
となれば、もはや帝国に存在価値はない。
「……それでは、ギムナ皇国の件に移る」
「うむ。であれば、まずは我らゲイルタークより報告させてもらおう」
ゲイルタークの使者が、ため息交じりに資料を配るよう指示する。
「キュリスベルの申し立てに基づき調査を進めた結果をまとめてある。我らとてオース教の活動には些か疑念を抱いておったが、よもやここまでとは思わなんだ。大事に至る前に知れたのは幸いだったというべきであろうな……」
そこには、キュリスベル王国の告発を上回る悪事の数々が列挙されていた。
フレスデン王国の調査結果は更に深刻で、オース教の影響力は有力貴族にまで浸透し、反乱や革命の火種になりかねない状況だった。
誰も言葉にしないが、もし帝国が攻め、オース教が暗躍していれば、フレスデン王国は確実に滅亡していた。
ギムナ皇国の問題点は、オース教を使った工作活動や犯罪者集団との繋がり、過去の騒乱との関連性、ポーションの密造などが挙げられる。
その中でも代表たちを憤慨させたのは、皇国が帝国と手を結んでいたことだ。
「野心に取り憑かれた俗物めが! 正義の使徒とは聞いて呆れる!」
ギムナ皇国は過去に一度滅んでいる。
それも、サンクジェヌス帝国の侵攻によって。
それをゲイルターク王国が支援して、再び独立を勝ち取ったという歴史がある。
なのにまさか、その皇国が、憎き宿敵であるはずのサンクジェヌス帝国と手を結ぶとは思わなかった。
それだけに、ゲイルターク王国の失望は深く、怒りは激しかった。
オース教についても……
不可解な事件の背後でオース教が暗躍していたとなれば、納得できる事例が数多くあった。
慈善活動で民を救済していると思えばこそ自由な活動を認めていたが、その裏で犯罪組織と繋がり、国家転覆をも企んでいたとなれば、見過ごすわけにはいかない。
ポーションの件も、キュリスベル王国の告発に間違いはなかった。
確信に至る決定的な証拠は、薬瓶に施された法陣にある。
その法陣は、ゲイルターク王国で開発された「ポーションの品質を保つもの」と同じだったのだ。
そんなわけで、各国がそれぞれの視点で、それぞれの情報に基づいて検証した結果、ギムナ皇国とオース教はオースフィア大陸に害悪をもたらす存在だと認定された。
「……では、帝国、皇国、オース教の監視を厳にし、逐次報告し合うものとする」
「「異議なし!」」
その他、交易の再開、ゲヌマの魔物やポーションの共同研究、軍事協力についても決議され……
「最後になるが、我ら三国は、このオースフィア大陸に真の平和を取り戻すため、手を携えて敵勢力に対処する。ただし、敵勢力の結束や先鋭化を招かぬよう、秘密裏に行うものとする」
「「異議なし!」」
これにより、キュリスベル王国、ゲイルターク王国、フレスデン王国による秘密同盟条約が締結された。




