265 夢見るメイドの聖地 前編
リーフォニア伯爵領ディッケス郡ウラウ村。
そこにあるウォーレンハウスで、俺──ハルキ・ウォーレン・リーフォニアは、屋敷中から漏れ聞こえてくる騒音を無視し、なるべく心を落ち着けるよう努力しながら、手にした書類に目を通す。
ディッケスの新領主となり、雪解けを待って南海地方の近隣領主──その中でも有力貴族であるオスディン伯爵とオースワール伯爵のご機嫌を伺うため王都に行ったら、思った以上に……それはもう、考えられないようなことが次々と起こりまくって、大幅に帰郷が遅れてしまった。
簡単にまとめれば、なぜかリーフォニアの家名を継ぎ、伯爵位を授かり、ディッケス周辺の領地を賜り、四人のお姉さま方が嫁いできた。
その帰路では商都メルシアを含むグィルム郡の危機を救い、復興に協力した。
そんなこんなで、なんとか新たな雪の季節を迎える前に戻れたとはいえ、長らく留守にしたことで仕事が溜まりに溜まってた……らしい。
もちろんメイプルに……いや、領主代行のディアーナに任せてはいるけど、領主の確認が必要なものや、どうしても代行では処理できないものがある。
中には重要で急ぎの用件もあり、それらを出先で処理しようと思えば、早馬に往復してもらわなければならない。
俺の場合、念話や精神収納があるので、いつでも空いた時間に書類を捌くことができたけど……
どうやらメイプルが俺の負担を考慮して、かなり仕事量を制限してたようだ。
その分、ミレンスに戻れば山のような書類が待ってるわけで……
時間があるなら少しでもその山を崩しておきましょう……と、目の前に書類の束が置かれた。机を挟んで立つ、にこにこ笑顔のメイプルに。
「お兄さま、ここからは領主城関係の書類になります。大枠はこちらで指示してありますので、あとはお兄さまの確認だけですね。まだ今なら大幅な修正も可能ですので、何か気になることがあれば遠慮なく言って下さい」
治める領地が広がったことで真っ先に考えたのは、どこに居を構えるか、だった。
普通に考えれば、南海地方の中心地や王都に近い東側──ヒンラ郡に移ったほうが便利だけど、俺は変わらずミレンスを領主町に定めた。
国の法律では「複数の郡を束ねる領主が居を構える地を領都と定める」ってなってるけど、さすがにミレンスを都と呼ぶのは憚られるので、俺は変わらず『領主町』と呼んでいる。
それはさておき……
移転しなかったのには様々な理由があるけど、一番の理由はディッケス郡の北に隣接するニーバス伯爵領の存在だった。
ニーバス伯爵家といえば西海地方の大半を占める大領主だけど……
アミュレットの件とか、雷聖フィリーとキッシュモンド商会の取引とか、婚礼の儀の後ろ盾とか、前領主との因縁とかいろいろあって、親密な関係になっている。
交易の話も進んでいて、立地的にミレンスが南海地方側の交易拠点になりそうだ。
それに、海沿いの道が整備されれば、ディッケス南西部の半島や島々で水揚げされた海産物も、ミレンスに集まるだろう。
つまり、まだ不確定ながらも、人や物が集まって発展していく可能性が高く、それを捨ててまで新たな地に移るのは勿体ないし、その費用も勿体ない。
それとは別に、俺としては放置された立派な城を活用したいし、アキュート伯爵家の当主であるメイリアの助言も活かしたい。
「……様々な分野のぉ、スペシャリストを育てなさい。領主になったからって、ぜ~んぶを自分でやろうと思ってはダメよぉ? 自分が楽をしたければぁ、信頼できる~スペシャリストを育てる事ねぇ」
ディッケスの領主になって一番の難題は、とにかく人材が足りないことだった。
そりゃそうだ。ド田舎で貧乏な領地を押し付けられた、平民上がり若造に、好んで仕える優秀な人材はいない。
それは、リーフォニア伯爵となって領地が増えても変わらないだろう。
だから、城を学院として活用し、人材育成の場にしようと思った。
城には一度だけ視察に行ったことがある。
ずっと放置されてただけに不気味な雰囲気で満たされてたけど、思ったよりも状態が良く、内装はともかく基礎の部分は健在で、軽く補修すれば問題ない……と妹たちが診断した。
ならばと準備が進められたけど、商都メルシアの領主城を知った俺たちは、同じように活用できないかと計画を練り直した。
結果、学院に加え、備蓄倉庫や加工場、兵士の宿舎や訓練場、領民の避難場所など有事に備えた設備が整えられることになった。
ついでに城に住まないかと提案されたけど、俺としてはミレンスの領主館に不満はないし、余計な出費をする必要もない。なので、丘の上は不便だからなどと理由を付けて辞退した。
……けど、マリーたちを執務用の館に住まわせるのは不憫だとメイプルに言われ、それもそうかと考え直して承諾した。
これで、かつて領主城だった城は、時を経て再び本当の領主城になった。
ただ、やはり移動が不便なので、執務は今まで通りミレンスの領主館で行われる。
古の戦城だけに、防備のため意図して不便に作ってあるのだろう。
城へ入るには、町から出て遠回りになる崖沿いの道を進まなければならない。
だけど、昔の領主も不便に思ったのか、町外れの崖に後から無理やり設えた階段があった。
狭くて長くて急な階段は、荷物運びには向かない。
となれば、馬車で正門に運ぶしかないけど、整備されたものの所々崖崩れの痕跡が残る道を、何度も往復するのは危険だ。
なので、町外れの階段近くに物資の集積所が作られ、場内に運び込むための昇降機が設置された。
城内からしか操作できない吊り下げ式のものが六基並び、輸送の手間を省くのに大活躍している。
……というのが、領主城に纏わる、これまでの出来事だ。
報告書を読み終えて考え込む。
ひと目でメイプルが書いたものだと分かる内容で、これまで進めてきた計画と、新たな変更点が分かりやすくまとめられている。
メイプルの立てた計画に不満はないし、恐らく落ち度もないだろう。だけど、あえてワガママを言わせてもらうと……
「城の中に畑を作って、作物の研究をするってのはどうかな?」
「畑でしたら……こちらがお兄さま専用で、ここに農業関係の研究施設と農場を作る予定です。それと……ここが畜産関係の研究施設で、こっちが飼育場ですね。それで……こちらが、その申請書類になります」
どうやら次の書類で説明するつもりだったらしく、地図を広げて新たに書き加えられた印を次々と指し示していく。
嬉しいやら呆れるやら、まさか俺専用の畑まであるとは思わなかった。
思わず苦笑すると、メイプルが「どうですか?」とばかりにニッコリ微笑む。
まったく、よくできた妹さまだ。
「……では、お兄さま、明日の準備もありますから、今日はこのぐらいにしておきましょう」
「明日なんだよな……。いきなり過ぎて全然実感が無いけど」
「それは本当にごめんなさい……。領地が増えてしばらく忙しくなりますし、できることはできるうちに、と思いまして。お兄さま、今日はしっかりと休んで下さいね」
どうやら明日のことも、できることの、ひとつらしい。
そう、俺は明日……




