102 幽霊の楽園
どうやら、指輪にキスをするよう促したのは、風精霊だったようだ。
しかもこれは、多少手順などが違うようだが、精霊術士が使う契約の儀式に似ており、術士が指輪にキスをすることで契約が成立するらしい。
つまり、俺はチルと精霊契約を結んだことになる……
それに気付いたフェルミンさんは、見事、爆笑の海に沈み、身体を痙攣させるようにしながら埃まみれの床で笑い転げている。……というわけだ。
「悪い、チル。知らなかったとはいえ、こんなことになって……」
「いいえ、構いませんわ。みんなが来て賑やかになったけれど、私はずっと孤独でしたから……」
「そっか……。だったらチルも、妹にしてやろうか?」
俺はただ、これだけ姉妹がいれば、寂しくないだろうと思っただけだ。
なのに……
「やっぱり、ハルキって……」
風精霊を中心に、何やら良からぬひそひそ話が聞こえてくる。
チルも少し戸惑っているようだ。
「でも、本当にいいの……ですか?」
「もちろん。妹なら、もう六人もいるんだから。今さら一人ぐらい増えたところで問題はないし、これだけ家族がいれば寂しくはないと思うよ」
どこか儚げだった少女の顔が、パッと明るく輝いた。
「再び兄とお慕いする方が現れたことに、喜びを感じておりますわ。それに、六……七……たくさんの家族。楽しみですわ」
七人目の妹で、二人目の幽霊ってことになる。
精霊契約がどんなものか分からないだけに多少の不安はあるが、俺の妹たちならばきっと上手くやってくれるだろう。
チルの言葉に驚いた風精霊が、嘆息しながら寄ってくる。
「それにしても、ハルキってば、本当に契約しちゃうとは思わなかったわ」
「誰のせいだ?」
「あーでも、心配しなくてもいいわよ。召喚の契約と違って、精霊契約は割と簡単に解除できるから。それも、精霊のほうから一方的に。チルだっけ? あとでやり方を教えてあげる」
フィーリアは、風精霊だけに、そういった知識もあるのだろうか。
予期せぬ契約だったが、チルが嫌がってないのなら別にいいと思うことにする。
「これでハルキは、二系統保有者ですわね。……そういえば聖法術も使ってましたから……三系統保有者? であれば、ぜひとも魔導術にも挑戦して全系統保有者を目指すべきですわ」
「いや、マリーさん、いろいろと間違ってますから。そもそも、これって精霊術なんですか? 幽霊と契約するって死霊術に近いんじゃ……」
それを聞いて、なぜか風精霊が、すごい剣幕で詰め寄ってきた。
「なあに、ハルキってば、こんな可愛い子を死霊呼ばわりするわけ? それって酷くない? 物を長く愛用すると精霊が宿るって聞いた事があるでしょ? 幽霊も長く続けていたら精霊と同じよ。ほら、この清らかな魂。私みたいでしょ?」
最後のひと言で台無しになったような気もするが、チルならば精霊と呼んでもいいような気がする。
「アニさま。メイプルはんから、報告を催促されてるんやけど、どない答えればええやろか」
「そうだな。とりあえず、妹が増えたって伝えてもらえるか? それと、後始末をどうするか、だよな……」
俺は、後ろで大人しく待っている幽霊たちを見ながら、そう呟いた。
とりあえずディアーナには、幽霊が生活する上で必要な技を、チルに伝授するようお願いした。少なくとも、姿を見せたり、見えなくしたりを自在に操れないと、ここから連れ出せない。
その間に、こちらは幽霊たちから話を聞きたいのだが……
幽霊の数は五十を優に超えているだろう。
まだ隠れているモノもいそうだ。
「よかったら、誰か代表して状況を説明してもらえると助かるんだけど」
俺の呼びかけに、一人の男幽霊が進み出た。
ザッと話を聞いたところ、ここにいる半数以上が、ほんの数日前にここへやってきたばかりだった。
その者たちは、もともとは傍都ベルにあった廃墟に集っていたのだが、突然そこを追い出されてしまった。
いやまあ、それはある意味仕方がない、と思ったのだが……
幽霊たちを追い出した連中は、明らかによそ者だった。
相手は誰であれ、いつものように脅して追い払おうとしたのだが……
どうやら死霊術士が居たようで、多くのモノが使役されてしまった。
相手の目的は分からないが、次々と怪しげなものを運び込み、使役した幽霊たちを働かせていたらしい。
命からがら……という表現も変だが、とにかく難を逃れたモノたちは、幽霊の楽園と噂されているこの場所を目指してやってきた。
だがここは、呪にまみれた場所。
呪に染まれば悪霊と化す。
それでも何とか理性を保っていられたのは、チルの存在があったからだという。
どういうわけか、彼女の近くには呪が寄ってこないらしい。
「あれ? 悪霊化してないなら、なんで、死人や怪我人が?」
それには、古参の幽霊たちが答えてくれた。
昔から、この場所に来た人間を脅して追い返していたが、その際、派手に転んだり、階段から落ちたりで、ごく稀に事故で怪我をする者が出ていた。
だがそのうち、遺体を捨てていく者や、わざわざここで殺し合いをする者が現れ、それが悪霊の仕業として広まったのだろう。
呪が濃くなったのも、その頃からのようだ。
「その割には、今回は激しかったようだけど? ほら、俺なんて、こんな怪我をさせられたし」
幽霊たちは、侵略者がここまで追ってきたのかと思ったらしい。
その感情に呪が反応し、ちょっとばかし過激になったと釈明した。
「悪霊になってはったら、もーっとえげつないこと、してはったやろねぇ」
「まあ、そうだな。激しかったけど、殺意はなかったような気がする」
悪霊になってしまうと、理性を失い、世の中の全てを恨んでるかのように、狂暴になるらしい。
それに霊体も、いわば、呪、そのものに変化するので、強力なお祓いで強制的に成仏させるしかないようだ。
「よく分からんが、そんなに呪ってやつが溜まってたのか?」
「そやねぇ。仰山時間をかけてーやろうけど、なかなかに濃密やったねぇ。やけど、殺戮の館なんて呼ばれてはったら、そら、そうなるやろねぇ」
「じゃあ、チルは?」
「ウチにも、よう分からんけど、ホンマに精霊さんにならはったんかも」
それってつまり……
「ディアーナのおかげで、呪ってやつは祓われたけど、悪い噂がある限り、また生まれるってことか……」
「そやねぇ。でも、悪霊が祓われたーって噂が広まれば、ぼちぼち収まるんちゃうやろか」
「他に幽霊たちの行き場がなく、噂のある限りまた呪が発生する。悪霊化しないのはチルのおかげなら、ここからチルを連れ出すのは無理か……」
「あー、そないなこと、あらへんよ。呪、ゆうもんは、そうそう一気に増えたりせぇへんし、ウチがあんじょうお祓いするよって心配あらへんよ」
「そうか……」
お祓いをしたのに、まだこれだけの幽霊が残っているのは異常だが……
ディアーナが言うには、お祓いとは呪を祓うことで……
呪とは、人々の負の感情がもたらす呪いや、己の中の後悔や未練がもたらす縛りだったりで、魂をこの世につなぎ止め、成仏を妨げるモノらしい。
大抵は、呪が祓われると満足して成仏するのだが、ここの幽霊たちは、もともと廃墟に棲みついていたというだけに、成仏するつもりがないらしい。
「よかったな、チル。一緒に外に出られるって」
「うん」
安心しきった満面の笑顔で、チルは大きくうなずいた。




