100 目に見えぬ敵
シアは幽霊屋敷と呼んだが、実際には殺戮の館と呼ばれているらしい。
死者はもちろん、けが人も多数出ており、知っている者なら誰も近付かない。
手を出そうとした者を、ことごとく返り討ちにしているからこそ、未だに残っているのだろうし、固く閉ざされていた門や、はびこる植物を見れば、近頃はそんな不心得者も出ていないのだろう。
もっとも、その門を、マリーさんが吹き飛ばしてしまったのだが。
いつでも構えられるように、腰に吊るされたシアの木剣を確認する。
見た目は堂々と、だが内心ではビクビクしながら敷地の中へと入った俺は、空気が重くなったかのような圧迫感に気付く。
気のせいではないだろう。
肩の上の黒猫も何かを感じ取ったのか、周囲を見回しながら、俺の頬に身体を寄せてくる。
先頭のディアーナが、建物の扉に近付く。
鍵は掛かっていなかった。
壊れてるだけかも知れないが、取っ手を握って引っ張ると、ギギギという不気味な音を反響させながら、ゆっくりと扉が開かれた。
ゴクリと唾を飲み込み、周囲を……特に扉の中の様子に精神を集中させる。
……だが、何も起こらなかった。
小さく息を吐くが、気を抜くわけにはいかない。
俺よりも、黒猫の感覚のほうが頼りになるが、それでも自分なりに意識を広く張り巡らせる。
そんな俺を元気付ける為か、それとも大丈夫だと伝えたいのか、黒猫は俺の頬に身体を擦り付けてきた。
それに応えて、小さくうなずく。
「やっぱり真っ暗どすなぁ。マリーはん、明かりを点けて貰て構へんやろか……」
小さくうなずいたマリーさんが、パチンを指を鳴らすと、建物の中に光が生まれた。燭台やシャンデリアに次々と炎……ではなく、魔導の光が灯っていく。
魔導具の照明はなく、蝋燭を使っていたのだろう。だが、その蝋燭はすでになく、角灯のようなものもない。そもそも、廃墟で炎を扱うのは危険すぎる。
その点、魔導の光ならば、安全……なはずだ。
立派な玄関ホールだが、ケットシーハウスと比べると随分と小振りだ。
それに、装飾品や家具が朽ち果てているので、無残な姿になっている。
所々に見える黒いシミが悪い予感を掻き立てるが、遺体や武具などの侵入者の痕跡は残っていない。
外気が入り込んだせいか埃が舞い上がっているが、あまりにも静かだ。
何も起こらないことが、却って不気味だが……
そんな緊張感を、いつもと変わらぬディアーナの声がぶち壊す。
「ほな、ウチが様子を見てきますよってに、みなさんは、ちょーっと、その場で待っといてくれはりますか?」
こういうことは専門家に任せたほうがいいだろう。
俺たちを残し、ディアーナが中へと入っていく。
一歩、また一歩……
その度に、新たに埃が舞い上がる。
だが変化といえば、それぐらいのものだ。
そのはずなのだが、ディアーナが立ち止まって、声を上げる。
「あらまあ、仰山出てきはりましたなぁ。こんな、呪に囚われてはったら苦しおすやろ。すぐに楽にしてあげますさかい、大人しゅうしといてくれはりますか?」
黒猫に確認してみるが、気配は感じるものの姿は見えないらしい。
ちなみに俺は、気配すら感じ取れない。
相変わらず空気が重く感じるが、それは気配とはまた別なのだろう。
メイプルから新たな指示が届く。
だが、こんなの、どうすりゃいいんだ?
「ハルキ~、どうしたのぉ?」
「いえ、その……、あまり派手に暴れて、建物を壊さないようにって……」
そう答えて誤魔化したが、実際の指示は、できれば苦戦しているように演じて欲しいというものだった。
その意味を図りかねていると、カランという音が鳴り、廃材が宙に浮くのが見えた。……と同時に、派手な爆発音を響かせて、廃材が砕け散った。
すかさずマリーさんが迎撃したようだ。杖を構えた姿が凛々しい。
前に見た雷の球ではないものの、すごい破壊力だった。
それならば……と悪霊たちが思ったのかは分からないが、周囲の瓦礫や廃材が、次々と宙に浮かんでいく。
これは危険だ。
「クロ……」
名前を呼びそうになって指示を止めたが、黒猫は俺の意図を理解して、肩から飛び降りつつ人型に戻り、ピンクの薄衣とポニーテールの黒髪を揺らしながら、小さな身体でディアーナの前に立ち塞がる。
仮面の軽装鎧姿なのは、メイプルの指示だろうか。
誰も見ていないが、見られた時の為に、召喚人スタイルで戦うようだ。
俺も急いで木剣を手に取り、ディアーナの右に立つ。
反対の左側には黒狼の姿が見えた。
「ディアーナは除霊に専念してくれ! 俺たちは全力でディアーナを護るぞっ!!」
空中には「実った稲穂」の聖印が浮かんでおり、ディアーナが詠唱を始める。
「豊穣の女神たるユーカティア様に祈りを捧げ、奇跡の行使を請い願い奉ります」
必要のない詠唱をわざわざやっている所を見ると、まだ余裕があるのだろう。
余裕がないのは、こっちのほうだ。
木片ならまだいい。ひと抱えもある石となると、シアの能力強化があっても腕にダメージが残る。
陶器か硝子の破片だったのだろう。それが、腕と頬をかすめ、痛みが走る。
「くぅ……」
小石程度なら身体で受けるのも仕方がないと割り切っていたのだが、何かに脇腹を突き上げられ、息が詰まって反応が遅れた。
頭ほどもある廃材が迫り、間に合わないと覚る。だが……
ドカッ……と、横から飛んできた何かにぶつかってバラバラに砕け散った。
間違いなくマリーさんの援護だが、それを確認する間も惜しんで次に備える。
飛ばせる物が無くなってきたのか、それとも限界を迎えたのか、このまま続けても無駄だと思ったのかは分からないが、攻撃が止んだ。
数は多いが、飛ばせる物の大きさや重さには限度があるのだろう。
それに、クロエとマリーさんのサポートがあったから、なんと凌ぎ切ることができたと言える。
苦戦を演じるまでもなく、本当にギリギリだった。
気を抜いたつもりはなかったが、それが隙になったのだろう。
不意にゾクリとした感覚に襲われる。
背中に氷を這わせたような……いや、体内に氷をねじ込まれたような悪寒だ。
「これが……」
「壁よ! 護れ!」
白い……というよりは、灰のような感じで、空間にできたシミのようだった。
これが悪霊かと、思った時には、あっという間に距離が詰められていた。
それを、すんでの所で、ディアーナの聖法壁が跳ね返した。
「ありがとう、助かった」
もし、触れられたら、どうなるのか……
気にはなるが、試す気にはならない。
別の角度から襲ってきたシミに向かって、とっさに木剣を振り下ろす。
「えっ?」
自分でやっておいて何だが……
無意識の反撃だったが、悪霊相手に物理攻撃は通用しないのでは? ……と思った時には、剣を振り抜いていた。
しかも、手応えがあった。
俺の一撃で弾き飛ばされたシミが、嫌な叫び声を上げる。
クロエが放った苦無がすり抜けているところを見ると、物理攻撃が効いたのではなく、シアが作ってくれた武器の能力だと思ったほうがいいだろう。
「……んで………、………の…」
……声?
確かに聞こえた。
それは、悪霊と言うには弱々しく、そして可愛い幼子の声だった。




