入室
…なるほど。
いつもの俺なら耳に入ってくることすら忌まわしく感じるような雑音すらもかき消すほど異常な状況の中で、俺はむしろ冷静になってしまっていた。
ひとまず俺の腰が痛いのは落下したからだろう。どこから?俺は普通に歩道を歩いていただけだ。
話は少し前まで遡る。
俺の名前は須沢廊駒。高校一年生。帰宅部に所属しており帰った後は適当に課題をこなしネットサーフィンをして日々を消費してきた。
だが今日その予定は音を立てて瓦解していった。
帰路について数十分、他のやつらとは少し違う方向に家がある俺は一人でその道を歩いていた。
すると唐突に地面をすり抜けたかのように落下し、今。という訳だ。
いや、すり抜けたのとは少し違うな。粘度の高いものに押し込められたかのような、そんな謎の力に引っ張られるような形でここに来たのだ。
ひとまず立ち上がり周りを見回してみる。
黄色いカーペットが覆いつくす地面は踏み叩いた感じ的に下にも空間がありそうだ。少し湿っていて腰を下ろしたくなくなってしまった。
他には…少し黄ばみが目立つ柱やら壁が乱立している。ふと誰かいるのではないかと思い声をあげてみたが、煩雑な壁の配置により何重にも反響して帰ってきた声のせいで部屋の広さすら把握できなかった。
見上げてみると、この空間を支配している雑音はどうやら天井に乱雑に配置された蛍光灯の音だったようだ。その音自体はそこまで大きくないはずなのだが、雑音以外の音が鳴らなさ過ぎて大きいように感じる。
そこで俺はハッとした。バッグの中に入っている金目のものを確認する。
…よかった。手のかかったスリなどではないようだ。
ホッと一息つきポケットから取り出したスマホの電源を付けると、その画面は異常なものへとなり替わっていた。
文字が見たことのない異形へと変貌していた。
ロック解除を試みたが、テンキーの並びも変わっているようで、開くことはなかった。
どうしたものか…誰かへ助けを求められないかと思ったのだが。
…歩くか。
こういう時こそ脚と手を使ってみるのが大事だ。案外夢かもしれないし、どうせなら探検してみよう。
そういえば子供のころ押し入れから異世界に迷い込む絵本があって、それが結構好きだったのもあり少しだけワクワクしている俺がいた。
ただただ消費されただけの日々。これから始まる生活への期待度は底知れないものではあった。
大丈夫だ。きっと死なない。そんな謎の自信を抱いたまま、俺は第一歩を踏み出した。
これから始まる壮大な物語は、俺が望んでいて、それでいて望んでいなかった形で始まったのだった。