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〈東の魔女〉とメガネの少女  作者: 焼魚圭
第二幕 『解錠せし者』
8/10

 晴れ空はいつにも増して憎い。晩秋の温もり、そこに大きく役に立っているのだと太陽は語るだろう。それでもただ、気分的に憎たらしくて仕方がなかった。曇り空が欲しい。薄暗い空を拝んで日中でも落ち着いていたい。そんな気分だった。

 朝という時間、むやみに明るい日差しが広げる景色はわざとらしくてあまり好きになれない、それが今の那雪の気分だった。

 心の中に何となく重い想いが積まれているようで、しかしそれは気のせいで、ここに残されているものはきっと風に飛ばされてしまいそうな身体の重りにもならない軽い心。意志の弱さは奈々美の一声でどこまでも飛んで行ってしまいそうだった。

 学校への登校、最後の一年の後半、三年目の高校生活。きっともう卒業してしまえば周りとは異なる道を選ぶだろう。大学に行って更に勉強を重ねて堂々とした人生を歩むための立派な経歴という重りを乗せる。そうした普通のことが那雪には出来る気がしなかった。

 卒業後は就職するつもりで、奈々美と共に生きるつもりで。

 周りの語る恋愛とは性別からして異なる。根本から間違えている。そう言われた時、那雪の手元には返す言葉ひとつ見当たらなかった。

「仕方ないじゃん、好きになっちゃったんだから」

 呟いてはみたものの、それが親やクラスメイトに通用する言葉なのだろうか。那雪の枯れ気味の声で呟いたそれは、この晴れ空の中では明るみに消え行ってしまいそうなほどに弱い言葉だった。

 那雪の可能性、恋心はどちらの性別にも傾く可能性を持っていた。

 自覚はあったものの、やはり奈々美との生活よりも上のものは見当たらない。一緒にいて落ち着いて時として心を揺すられ続ける。そんな生き方が、ふたりで絡め合う人生がもっとも美しい、心にそう刻み込んでいた。

 見慣れた街で見慣れた生活。アスファルトの道路は汚れてしまっているのだろうか車が通り続けるという衝撃に削られてしまったのだろうか。太陽の照り付けに輝きを返すことなくただ枯れているように思えた。

 星の輝きは夜にしか現れない。那雪の本心もまた、学校に通っている限りは夜でなければ現実に滲み出てくれない。会いたい、吐き出してしまいたいその気持ちはいつまでも喉元に残っては渦を巻き異物感を残し続けていた。

 校門をくぐったそこで那雪は見渡す。特に変わった景色もない普通の学校。グラウンドがあって、裏側に佇むちょっとした中庭は緑の世界を広げながらもそこにしっかりと纏まり収められている。

 学校も学校で立派とは言い難い二階建てですきま風が吹き込む程に緩い窓は改築の時が来るまで修理しようという意思のひとつも見えてこない。下駄箱は砂に塗れていて小汚さが表立って主張を広げていた。

 廊下を歩いては空の明るさから身を隠す影に想いを寄せる。目立たない事こそが一番。下手に注目を浴びてはきっと異物扱いされてしまうから。人というモノの生き方に不慣れな少女はすぐに悪目立ちしてしまう。それが容易に想像できた。

 それからただただ脇役を自ら選び抜いて過ごす一日、授業などただやり過ごす。きっと志の高い人生とは無縁。分かり切ってはいても断定できる自信がない。テストでは最低限卒業できる点数を取ればいい。那雪にとって高校というものは普通の人間を演じるための飾りに過ぎなかった。どうにか普通に追いつこうとして、重い水をその手で掻き分けながら進み続ける。

 あまりにも無様な泳ぎっぷりだと改めて気付かされていた。

 そうして心ここに在らずという言葉が相応しい態度を繰り返し取りながら過ごした後に待ち構える放課後にハイタッチを交わして迎え入れ、ゆっくりと歩きながらあの小汚い下駄箱へと歩みを進める。

 廊下は所々が黒ずんでいてまさに人々の生き様を見つめ続けた成れの果て。カビが生えやすい環境、それこそが人の心を直に受けた素材の成した姿なのかと大きなため息を吐く。

 人間の持つ心の湿り気は確かに身の回りをも腐らせてしまいそうだった。瑞々しい心は生々しい心に触れていとも容易く発酵させる。熟成を続けて香りも味も悪が強くなっては人という味わいを出していく。那雪はそうした状態になりたくなどなかった。

 砂ぼこりが溜まり、もはや綺麗になど成れないそこへとたどり着く。木々を組み合わせて創り上げられた箱の積み上げの中から自分の靴が収められたそこへと向かう。

 その途中のことだった。その経過に手を伸ばして空気感に異なる彩りを与える者がいた。

 顔を上げてはその視界に映り込んだ少女の姿に驚くばかりだった。

「一昨日はありがとうね」

 声は何となく聞き覚えがあるだけで顔には全く覚えが無くて。果たして誰なのだろうか。那雪の関係の狭さからして予測は容易について、見当の矢を放った。

「もしかして……〈星の魔女〉さんですか」

 星見ヶ丘 光莉。きっと彼女に違いない。那雪の学校での扱いとここ最近の人との関りから理解はすぐに湧いて出てきた。

 光莉は人差し指を伸ばして頬の辺りで振りながら明るみの笑みを浮かべて見せた。

「そ、ひかりんだよ」

 十年来の友だちを想わせる態度、時の飛躍、関係の詰め方の誤りを感じて那雪は大きく戸惑う。まさに星の名を苗字に持つような人間、遠い輝きから落ちてきたような人物。価値観の隙間はあまりにも広かった。

 感情と同時に追憶が頭の中で鳴り響いていた。麻海の言葉によれば星見ヶ丘一族に光莉という人物はいなかったはずなのだ。そう。〈星の魔女〉は物語じみた魔女の世界でも架空の存在でしかないのだという。

 これからどう反応すべきなのか、どのような言葉を向けるべきなのか、己の内を探ってはみたものの、何処にも見当たらない、この細い身体の中に立派な処世術など収納されてはいなかった。

「あれれ、どうしちゃったの。もしかして人見知りちゃんかな」

 おっしゃる通り、間違いありません。そんな言葉が口から出てこない程の人見知りだった。

「何か言ってみてよ、色々あるでしょ、可愛いねとか美人だねとか私の方が可愛いとか」

 最後の一択はまず取ることが許されなかった。普通という土俵にすら立つことの許されない形、顔そのものを変えることでしか人と接する勇気を得られないかも知れない、そんな彼女には嘘でも演劇でも放つことが許されない、そんな言葉だったのだから。

「あのさ、だんま」

「ええと、よろしくお願いします」

 心のこもった言葉が出てこない、感情を込めたもの、少しでも本音に浸した言葉は出てくる気配がなかった。

 普通の人にしか見えない、あまりにも違和感がない。そんな油断を抱えている那雪がいる裏側で、敵かもしれない、そういって警戒を頭の中に染み込ませて微かに頭を揺らしている自分もいた。警戒の音色を鳴らす脳の心地はこの上なく悪質で、いつまでも警戒していては脳が焼き切れてしまいそうだった。

「そう固くなんなくていいんだよ。ほら笑顔笑顔」

 それは果たして正解なのだろうか。本音混じりの引き攣った笑顔を浮かべながら光莉に質問を飛ばした。

「そういえば、こんな私に何か用ですか」

 実際那雪は何も役に立つことは出来ない、そう思っていた。破滅を止めるための魔法を撃とうにも奈々美のチカラを借りなければそれも叶わない。もしかするとこれから奈々美にも会うのかも知れない。そう考えるだけでどこか気が楽になり、肩に込められていた要らない力は無事抜け去った。

 光莉の方はと言えば相変わらずの笑顔になれなれしい言葉を持っていて那雪としては関わりにくい相手ではあった。そんな彼女は指を小ぶりながらも主張を強めて振りながら言葉を紡ぎ続ける。

「いいかな、私たちおんなじ高校の生徒なのにそこまで事務的な会話、悲しいと思わないかな」

 気づかされた、ハッとして息を大きく吸った。空気の味はどこまでも濁り切っていて那雪にとってはなれない味。そんな感情が見せるセカイなど低俗なものでしかなかった。そう、同じ高校の生徒が普通に会話している風景は当たり前のこと。それさえできないままでは学校の外では怪訝な目を向けられてしまうだろう。

 それは、光莉に失礼だと思い知らされた。

 光莉から少しだけ目を逸らし、斜め下を見ること一秒間。空気感に呼吸を合わせて那雪の言葉は流れ出た。

「ごめんなさい」

 途端に光莉は柔らかな手で那雪の手を握る。優しさに溢れた感触が冷たさの中に温もりを秘めていた。那雪は不慣れで仕方がなかった。そう、奈々美以外の優しさにはなかなか慣れを得てはくれなかった。

「もう、せっかくなんだからそんな言葉じゃなくてもっともっと綺麗な言葉で一緒しようよ」

 光莉の言葉はもっともなもの。間違えているのは自分。この状況に正しくないものを持ち込んでいるという今を変えなければならないことくらいはしっかりと理解していた。

「そう、ですね。その、よろしく」

「よろしい、よろしくお願いだね」

 麻海の言っていたことなど忘れてしまった方がいいのだろうか。背負っていた重りを降ろす気分で、慎重にと主張する錨を引き上げる気分で、優しい関りの大海原へと出航を始める。自分の心のみなもだけでは分からない様々なものに触れる機会だった。

「じゃあさ、那雪ちゃん、なきちゃんでいいかな」

「ええ、好きに」

 上手く出てこない言葉。数年間殆ど奈々美としか触れ合っていない、更にその中の数年間は奈々美にすら触れられなかった。事務的な言葉のやり取りしか行なっていなかった、その弊害が今ここに現れ出ていた。

「もう、ぶっきらぼうだね、もっと表情崩して、そうそうそれそれ」

 妙に親しく接してくる彼女に対する違和感は不慣れから来たものなのだろうか。もしかすると星のように遠かったのは実は那雪の方だったのかも知れない。

「じゃあさ、下校の間だけかもしれないけど一緒に行こうね」

 世間一般を知らなかった。作り物のような自分には正しいものなど分からなかった。ただ、今のこの関係が正しいものなのだということだけを祈って共に歩く。

 校舎から吐き出されて、校門をくぐり抜けて、広がる景色はいつもの通り。それが違って見えるのは淡い感情が膜のように張って広がっているからだろうか。

 光莉の導きは輝きの道へと向かいゆくものだろうか。彼女の指の先には薄い輝きに充たされた広い空が大海原を成していた。そこには柔らかなイワシの群れや流され続ける羊たち、散り散りの綿のクラゲに舞い泳ぐイルカ、そうした様々な姿を持った白い綿雲のアートが繰り広げられていた。自由気ままな青空を必死に飛び回るキジバトはこれからどこへ向かうのだろう。空色水色薄青色、空の浅瀬の向こうに、見えないそこに待つものはきっと深く果てしない群青の深海。空の色を真似して爽やかな色を持った真夏の海はきっと来年の海へと先に旅立ってしまった。

 那雪の目は光莉の方へと移される。映された光の少女。彼女の見る景色は、あの心が取るものは、果たしてどのようなものだろう。光莉の考えが分からない。光莉の想いが分からない。

 ふたりが歩むこの場所は空の深海の底。海底に創り上げられたにしてはあまりにもつっかえのない世界。ブロック塀が残された通りを挟む家の集団はほとんどが古びていてその中に新しい物や加えて設置された物、痛んだ屋根や柱に修理と称して継ぎ接ぎした景色。残されているものはあまりにも弱り果てていた。

 そうした通りを抜けた那雪を待ち受けていたものは先ほどまでの光景の近隣にしてあの景色からあまりにもかけ離れたアパートの数々だった。ただただ人を収めては案呈した場所を提供する、そんな建物はこれまでの木と共存、自然を加工したという生命感をまるでひた隠しにしたような、そんな無機感をむき出しにしていた。

「なきちゃんはこの辺通ったことないのかな、そんな顔してるよ」

 実際を語るなら、確かに那雪の目はその景色を捉えたことがなかった。那雪の心はその景色になじんではいなかった。

「ええ、初めてなんです」

 固い返事、未だほぐれない表情、それを目の当たりにして光莉は思わずにこやかな貌を崩していた。

「ほら、もっと明るい顔してよ、もっと距離感詰めて」

「ゴメンなさい、人と話すの、慣れてません」

 もっと滑らかに言葉を奏でることが出来れば人との関わり方も変わって来るものだろうか。可能性を閉じてしまっているのは他ならぬ自分自身なのかも知れない。あまりにも勿体ない、そう思いつつも飛び出すことなど出来ないまま、奈々美と再会してからずっと触れ合うだけ、何も変わることが出来ていない、そう思えていた。

「人と関わることって大事だよん。例えば好きな人と付き合ってみて。それでこの人のここが好きなんだって言ってもね、それはひとつのカレの顔」

 奈々美の数ある表情のいくつかしか分からない、そういうことならば今でも不足を感じていた。その心情が光莉の言葉と重なって、晴れ空の雲を見事に吹き飛ばすような風が吹いた。

 気味が悪い、見透かされているようだ。

 風は那雪の肌をぬめぬめとした感触を想わせる乾いた手で撫でつけていた。そんな風が立てた鳥肌はまさに那雪の今の心の証。

 那雪の表情にどのような影が射し込んでいたものだろうか、どのような色で塗り付けていたものだろうか。光莉の頬がふと緩んで行った。

「人を知るにはヒトを知らなきゃだね。例えあの人のあんなとこが好きって確信を持って言っても、他の人を知って比べてみたらそんなことなかった。あの人のあんなとこだけじゃなくてこんなとこも好きだった」

 光莉の言葉には何ひとつ意見を出すことが出来ない。何ひとつ間違いを見いだすことが出来なくて、何ひとつ残さず受け入れていた。

「魅力の一片しか見てなかった。一辺を、一遍をと一変二変しながら愛する事」

  もはやこの口を開くことすらなくなっていた。閉じられた口は異見を探すことさえ諦めてしまっていた。意見を必要としていなかった。それは、那雪が当然だと肌で感じていながら言葉にすら、理解にすら出来ていないことだったのだから。

「好きな人の全部を知りたいから世界の全てを知る。大事だよね」

 それは大きくて遠い理想論。理想郷への旅と同じこと。決してたどり着くことさえ出来ない境地を見ることは罪だろうか。

「同調してるね、大事なこと、気づいてくれたなら嬉しいよん」

 時たま耳に障る特徴的な発音が耳をなぞり、それがまた嫌悪を纏った鳥肌を積極的に立てていた。

「え、ええ。それはそうですしそれはありがとうなんですけど。どこ向かってるんですか」

 那雪には分からない。土地勘さえない。おまけに頭の良し悪しも語ることさえ避けてしまいたい出来。そんな彼女はただただ今というモノを見つめておくことしか出来なかった。

「見ればわかるよう。黙ってても分かるよお」

 那雪は光莉の声を、話し方を、声のトーンを取り入れる度にストレスに変換していた。どうしても波長の合わない相手というものがいる。もしも一般的に語られるこのことが人生の経験と関係なく訪れるのだとしたら、それは紛れもない今だった。

 同時に奈々美のことが強く恋しくなっていた。

 そんな那雪の想いを知ってか知らずか光莉は立ち止まる。

「ここ、私の家だよ」

 どうやら嫌悪の終点、関りは一旦断つことが出来たらしい。光莉はそのまま頬の辺りで手を小さく振りながら制服のポケットから何かを取り出した。

 那雪が目にしたものは天使の翼の縮図を成していた。

 小さな翼が一片だけ生えた白銀の鍵。それを明るさが失われつつある空に煌めかせながら煌びやかな声で感情をねじり出した。

「またね。次会ったらもっと楽しい時間にしたいね」

 鍵を差し込んで、回す。

 その時那雪は見てしまった。

 鍵を開け、ドアを開く瞬間、微かな空気の捻じれが季節外れの陽炎となって現れたその光景を。

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