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〈東の魔女〉とメガネの少女  作者: 焼魚圭
第一幕 『〈東の魔女〉とメガネの少女』
4/10

少女と魔女のおもいあい

 朝の薄暗い廊下、影のかかった白い壁と木目の床をひとり歩いてゆく。

 背中に届くくらいに黒い髪を伸ばし、前髪を左に流して眼鏡をかけた少女。髪に隠されずに露わになっている右側の白い額は暗い影に覆われて少しばかり不気味。眼鏡の少女、唐津 那雪は教室のドアを開く。

 机を囲み楽しそうに話す男子生徒たちは振り向きもせずに話し続けていた。仲良く触れ合う女子生徒たち、音楽を聴きながら勉学に励む人、ただ黙り込んで本と向き合って物語を味わう者、誰も彼もが那雪の入室に気が付いていないのか、なにひとつ興味も反応も示さないでいた。

――大丈夫、もう慣れてる

 那雪の白い手に握られた栞、幸運の象徴の4枚の葉を貼り付けた栞は仄かに赤く輝いている。

――いじめられるよりはマシ、あんな目にあうよりは

 群衆にのまれてただひとり、大勢の人に混ざってひとりぼっち。那雪のことなど誰にも見えない聞こえない分からない。


 世界そのものから切り取られたような孤独を嚙み締め続けていた。



  ☆



「唐津、聞こえてるか。唐津、おい、那雪」

 聞こえてくる男の声に引っ張られて那雪の意識は追憶の深い海から帰ってきた。

 授業を進めていた先生が睨みつけながら強く低い声で呼んでいた。那雪は驚きのあまり目を見開いて上ずった声でただ一言の返事で答えた。

――いけない、あれは昔のこと

 そう、ひとりぼっちは昔のこと、愛しくて甘い関係のあの魔女からもらった栞と意図せず発動してしまった魔法の力で誰にも気づかれない透明人間のような人生はとうの昔に終わりを告げていた。

――ううん、違う、あれはきっと私が逃げたくて使ってしまったんだ

 大好きな魔女、〈東の魔女〉東院 奈々美と一度離れ離れになる時に手渡された四つ葉のクローバーが貼り付けられた栞、それをお守りとして持ってからというもの、いじめてくる人物は近寄って来なくなった。だがそれだけではとどまらず那雪から話しかけなければ誰も気が付かれなくなってしまっていた。奈々美と再会する時に魔法は解けたようで今ではすっかり普通の人として生きていた。

 あの期間、それはきっと那雪の選択だったのだろう。いじめに対してこぶしを握り締めて立ち上がる勇気の試練か永遠にひとりで逃げて彷徨い続ける悲しき孤独の試練かの選択。那雪はようやく明るくなり始めた教室の真ん中付近の席で、大好きな魔女と会えないこの時間を疎ましく思いながらまだかまだか早く終わってと念を込め続けていた。



  ☆



 薄暗い空に雲のカーテンがかかっている。秋の空は冷たい色をしていた。

 これから会いに行く魔女のことを思うだけで那雪の心は明るく暖かく晴れやかな色になっていた。小さな足が地面を踏む度に奈々美に近付いているのだと心が跳ね上がって胸にこみ上げる想いがあふれて笑顔の花を咲かせる。川のこちらとあちらを結ぶ橋を渡っていく。流れる川の音が笑っていた。軽い足取りは浮いているように思えてくるほどのものだった。

 やがてあるアパートにたどり着いた。那雪は細い指で呼び鈴を押した。


 3回


 3回


 7回


 ふざけているように見えるこの押し方が再会してからの呼び鈴の合図。紺色のドアがゆっくりと開いて肩にかかる程度にのばした癖のある柔らかそうな明るい茶髪の女が出迎えた。

「なゆきち、鍵渡したのにどうして毎回呼ぶの」

 那雪は不器用な優しい微笑みを浮かべた。

「入る前に奈々美の大人っぽい声が聞きたくて奈々美のかわいい顔が見たくて」

 奈々美の大人びていながらもどこか少女を思わせる可愛らしい顔を見て那雪の顔は仄かな赤に染まり、低くて美しい大人びた声を耳にするだけで那雪の耳は熱っぽくなる。

「少し寒くなってきたね、奈々美」

「もう秋だものね」

 これから先、冬を迎えることで空はどこまで沈んだ色を思わせるだろう、空気はどこまで乾いてゆくだろう。風はどこまで冷たい態度で笑いながら吹き荒れるだろう。那雪は昔の冷たく当たってきた人々を思い出させる冬と今を過去へと流してゆく時間というものを恐れながら夜の闇から逃げるように奈々美の家へと入っていった。

 そのアパートは一体どれだけの間何人の人々を住まわせていたのだろう。天井の薄汚い黄色のシミは決して離さないといった気持ちでしがみつくようにこびりついていた。壁のかすかなへこみは奈々美が作ったものではないだろう。分かりやすいほどの格安物件、見え切っている前の住人の性格。この家の歴史など知りたいとも思えなかった。

 4度目の訪問にして未だになれない様子の那雪に奈々美は手招きをしてソファへと誘導した。動物のように毛に覆われていて優しくて温かな感触のソファに座るだけで那雪の頬はつい緩んでしまう。

 それから少しの間ソファを堪能していた那雪の元にティーカップがひとりでに浮いて近付いてくる。きっと奈々美の魔法のひとつなのだろう。

「なゆきち最近どう? また栞の魔法……は私が見えてるからまずないにしても、いじめられてないよね。もしもそんな人がいたら」

「大丈夫、なにもないから。まだ周りのみんなも私との接し方をつかみ切れていないみたい」

 那雪の言葉に奈々美は表情を緩めて胸をなでおろす。安心の表情を浮かべて優しい雰囲気を漂わせていた奈々美だったが、那雪がティーカップに口をつけた途端、目を見開き那雪を食い入るように見つめ続けていた。那雪は上る湯気とはまた違った内側から出てくる暑さに心を揺らされながら手を止める。

「続けて。なゆきちが紅茶を飲む姿をこの目に焼き付けるから」

 那雪の眼鏡はすっかりくもっていてカップに注がれた深い紅も奈々美の頬のほのかな赤も薄い色をした瞳には映らない。それでも奈々美は那雪が紅茶を飲んでいる姿に熱い視線を注いで美しくて色っぽい笑みをみせていることだけは分かった。

 その笑みは心を惑わして、那雪はついつい艶やかでイヤらしい想いを抱いてしまう。女相手に普通の好きとは異なる邪まな想いを持つ度に思う。


 那雪はそんな自身のことが大嫌いだった。


 想いのかけらを見つけたのか、奈々美は那雪の手を握って引っ張る。

「どうしたの? もしかして私のこと嫌いだったかしら」

 しおれた花のような表情で問いかける奈々美に対して那雪は首を横に振った。

「違うの。私が嫌いな人は奈々美じゃなくて私だから。奈々美に恋だけじゃなくて性的なやましい感情を持つ醜い私」

 その言葉はどのような形で奈々美の心に響いたのだろう、奈々美は那雪の頭を抱き寄せて耳をそこそこに豊満に膨らんだ胸に当てる。

「どうかしら、私の鼓動、これが冷静な女の鼓動かしら。違うわ、ふふふ、私もなゆきちのことそんな風に見てる醜い人よ。両想いなのね」

「ごめんなさい」

 ほとんど人と話さず弱り切ったような声で謝る那雪。そんな言葉が出てくる愛しい人の口を奈々美は口で塞いでしまった。口を離して優しい言葉を囁き混じりの地声で刷り込むように言った。

「謝らないで。なゆきちは何も悪くないもの、私もあなたも同じように汚れて互いに汚し合う、好きな人と同じ色を味わうことの何がいけないのかしら」

「奈々美は汚れてなんかいないよ。凄くきれい」

「そうね、なゆきちもきれいよ」

 学校で孤独でも構わない、本当に大切な人は今目の前にいるのだから。

 いつまでも一緒にいたい、ただずっと傍にいてほしい、想うままにしがみついて想われるままにしがみつかれて依存し合う心同士をいつまでも絡め合ってひとつになっていたい。


 そこまで考えてまた自身を嫌悪していた。


「いけないわ。私、なゆきちのその顔は嫌い。好きな人を激しく嫌う表情だもの」

 目を見開き呆然としている那雪の薄い唇に果実を思わせる甘美な口付けをして、再び言葉を紡ぐ。

「大丈夫、自分を嫌わないで。あなたの想いと私の想いはあまり変わりないのだから」

 温かで柔らかな魔女の唇の余韻に触れて、那雪の心は煮えたぎってゆく。かき乱された感情の中に目の前の愛する人へ返すための言葉などなにひとつ見つけられなかった。

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