8話 病室
「……ん」
目を覚ますと、知らない天井だった。
ゆっくり体を起こすと少し体が痛い。
「お……」
ふと布団に重みを感じて太ももあたりを見ると、みつきが椅子に座ったままこちらに上半身を倒して眠っていた。
「よかった……無事だったのか……」
みつきの寝顔は幼いころと変わらないように見える。
俺はこの寝顔を守りたかったんだ。
急にみつきのことが愛おしくなって頭を撫でた。
みつきと再会してからいろんなことがあったなあ……。
シグマというものの存在。殺されかけたこと。
良くしてくれる友人や先輩と出会えたこと。
みつきに拒絶されたこと。
『君に会えたのは僕も嬉しい。でも、再会したくなかった』
まるで警戒心の強いネコみたいだ。眠っているときしか撫でさせてくれないところも本当に。
「んん……」
心地よさそうに俺の手にすり寄ってくるみつき。
この時間が永遠に続けばいいのにな。
そう思っていた矢先、みつきの目が開いた。
ガバッとすぐに起き上がる。
「君、体調は」
眠っていた時が嘘かのようにみつきは聞いてくる。
「え?あ、ああ。わりと平気」
「そうか」
その顔は安堵しているように見えた。
しかし、すぐに表情を引き締める。
「助けてくれたことは感謝している。でも、もう二度とこんなことしないでくれ」
「……何で」
「迷惑だからだ」
「迷惑って……。俺たちが行かなきゃ、お前どうなってたかわかんないんだぞ!」
「自惚れるな。今回たまたまうまくいっただけだ。君は外の世界が危険だということを全然わかってない」
「わかんねぇよ!わかんねぇけど、幼馴染が危険な目に遭ってるのに見逃せるわけないだろ!」
俺の言葉にみつきは目を見開き、そして
「次からはあんなヘマしないように気を付ける。だからもう関わらないでくれ」
極めて冷静に彼女は言った。そして立ち上がる。
「目を覚ましたばかりなのに怒鳴ってすまなかった。ゆっくり休んでくれ」
また話し合いができないままみつきと別れるのか。
そんなの同じことの繰り返しじゃないか。
「みつき、待てよ!」
みつきの腕に手を伸ばす。
「うおっ!」「わっ!」
俺はバランスを崩してベッドから落ちてしまった。
「ってぇ……」
「……重い。どいてくれ」
自分の下から声がする。声のする方向を見ると、みつきがいた。
「うわっ、違っ……これは……」
幼馴染を押し倒してしまったという罪悪感に苛まれる。
「いいからどいてくれ」
「ど、どかない!」
「な……」
「みつき、どいたら逃げるだろ。俺はお前とちゃんと話をするまでどかないからな」
「僕がここで大声を出せば、君はこの学校にいられなくなるぞ」
「う……。い、いや、みつきはそんなことしない!って……信じてるから!」
一瞬ひるむが、負けるわけにはいかない。
「……わかった」
みつきが自分の両腕で自分の顔を隠して言う。
「わかったから、逃げないから、とりあえずどいてくれ……。恥ずかしい」
恥ずかしがってるのか?あのみつきが?
可愛い。
「お、おう……」
みつきの上から退き、みつきの手を引っ張って立ち上がらせる。
逃げられないように入口に神経を集中させていたが、みつきは宣言通り先ほどまで座っていた椅子に座り直した。
安心して俺もベッドに腰掛ける。
「で、君は僕に何の話があるんだ」
「あ、えーと」
いざ何の話があるかと聞かれたら、何から聞いたらいいのかわからない。
「あの……俺、お前にまた会えて嬉しかった!」
俺の言葉にみつきは顔をしかめた。
そりゃそうだろう、高校生にもなって出た言葉が小学生並みの感想だったんだから。
「小学生の頃に比べて背が伸びて綺麗になったよな。もともと可愛かったけど、何ていうか大人っぽくなった!」
まずい。何か話そうとするとどんどん墓穴掘ってるような気がする。
「えっと……。ごめん。みつきこの前、俺に会えて嬉しかったけど会いたくなかったって言ってたよな。あれ、何で?」
「……そうだな」
みつきはゆっくりと口を開いた。
「君、僕との約束覚えてるか?」
「あ、ああそのことか」
あれから考えてみたが、約束のことは思い出せないでいた。
「ごめん。みつきにとって大事な約束なんだってことはわかってるんだけど、思い出せないんだ」
「そうか」
みつきはただそう答えて続けた。
「もう予想はついているかもしないが、7年前僕はそのC力の異常な量を指摘されてこの学園に転入することになった」
「あ、ああ」
「最初は普通に初等部の生徒として学校生活を送っていた。シグマのことを勉強して、魔法のような不思議な力が使えることに喜んだりもした。自分の力が強すぎることに気づいたのは中学生になってから。あるとき、シグマ街で立てこもり事件が起きたんだ。そいつはAクラスの卒業生で、仕事がうまくいかなくて自棄になって事件を起こしたみたいだった」
俺はみつきの言葉にただ黙って耳を傾けていた。
「本来なら、そういうシグマ犯罪を取り扱っている組織が来て解決するんだが、その時は人質に取られた店員が殺されそうになっていたからいてもたってもいられず助けたんだ。そしたら、僕の力を買ってくれた組織が仕事を手伝わないかって言ってくれて、それで今こうやって僕だけが在学中にシグマ犯罪を取り締まる仕事の手伝いをしてる」
それが職員室で話の出ていた府志熊社か。
「こう言えば自分だけ特別だ、とか優越感に浸ってる、とか言われるかもしれないけど、シグマ犯罪者っていうのは本当に恐ろしい人たちなんだ。君も見ただろう?手に何も持っていないのに殺されるかもしれないという恐怖。あんなのは、生きていて経験しない方がいい恐怖だ」
「ああ、それは……」
「だから。僕は君にシグマというものを知って欲しくなかった。関わって欲しくなかった。危ない目に遭ってほしくなかった。シグマを使える、というだけでこの学園の生徒は誘拐されるリスクがすごく高い。だから、この学園に来てほしくなかった」
会いたくなかった、というのはこの学園で俺と会いたくなかったってことか。
みつきは俺の安全を考えて言ってくれてたんだ。
「でも、じゃあみつきはどうなるんだよ。みつきだけ危ない目に遭っていいわけないだろ」
「僕は……。僕には自分を守る力がある。だから大丈夫だ」
「大丈夫なわけあるか!高校3年生だって、大人から見ればまだ子どもだろ!それに、俺の大事な幼馴染が危ない目に遭ってるのに見過ごせるか!」
「……ありがとう。でも、僕はこれからも仕事を手伝い続けるよ」
「何で……」
「それが一番安全な道だから。僕が普通の人のように生活したら他の人に迷惑がかかるんだ。今回だって誘拐されたし、今後も狙われないとも限らない。シグマ犯罪に詳しいからこそ、僕をそういった犯罪から守ってくれる今の組織に身を置くのが一番いい」
それは一理あるのかもしれない。
「でも、だからって……」
「心配してくれてありがとう。君にC力がなくてよかった。危ないからもうこんなことはしないでくれ。君は高校を卒業したら普通の暮らしをするといい」
「本心か、それ」
「本心だよ。危ない目に遭ってほしくない」
「……嫌だ」
「え」
「お前の言うことは最もだ。俺がお前の立場だったら、俺もお前を遠ざけようとすると思う。でも、何か嫌なんだ。お前のこと、放っておきたくない」
「ありがとう。気持ちだけで嬉しいよ」
「その態度が気に入らない。何自分だけ大人ぶってるんだよ!怖い思いしてるんだろ!ホントは怖くて仕方ないんだろ!俺にくらい弱音吐けよ!」
勢いで言ってからしまった、と思った。
「あ、ごめん……。俺何様のつもりだろうな……」
「本当に、何様のつもりだ君は」
そう言う彼女は少し笑っているような気がした。
「じゃあ、少しだけ甘えてもいいか?」
「お、おう」
みつきはそう言って俺の手を握ってくる。
俺はその手を握り返した。
小さくて、冷たい手だった。
こんな小さい手で一体どれだけ背負い込んできたんだろう。人の心配する前に、自分のこと大事にしろってんだ……。
「……」
みつきは目を閉じていた。
お互いに何もしゃべらない。
俺は目を瞑っているみつきをただ眺めていることしかできなかった。
「……ん。ありがとう」
しばらくして、みつきが目を開けた。
「手、もう離してくれて構わないぞ」
「あ、ああ」
しまった。ずっと握っていた。
手を離そうとするが、どうも名残惜しい。
「ん?どうした?」
「なあみつき」
「何だ?」
「俺、お前のことを守りたい」
俺の言葉に彼女は目を見開く。
そして、すぐに目を細めた。
「ありがとう」
でも無理だ。そう言われると思っていた。
「じゃあ、期待していようかな」
彼女はそう言ってほほ笑んだ。